既に亜久津は同じ山吹の壇くんと自室に向かっていた。
「大丈夫かい?」
「ふぉ?!」
背後から声をかけた俺に彼女は大袈裟に飛び退く。どうやら驚かせてしまったようだったが、亜久津と対峙していた時よりも挙動不審になっていく彼女に俺が何より驚いた。
「だだだ大丈夫ですよ!仁さん、顔は怖いけど優しいですたぶん」
「あ、たぶんはつくんだ」
夢野さんらしい言い回しに吹き出したら「美少年の爽やか笑顔は心臓に悪い……っ」と独り言を口に出していたから、とりあえずお礼を口にしておく。
千葉の海岸であった時から、この子はなかなか面白い。
「あぐっ、あぁあの、佐伯さんのお部屋もこちらの方ですか?私は榊おじさんの部屋を探しているんですが……」
「あぁ、俺の部屋はすぐそこだよ。えっと、確か先生方の部屋はこの廊下の突き当たりに並んでいたんじゃなかったかな」
「わぁ、すみません。ありがとうございますっ」
頭をペコペコと下げて今にも駆け出していきそうな夢野さんの手を慌てて掴んだ。
たぶん夕食会場だった広間の雰囲気から察するに、この子と話すなら今がチャンスだと感じたからである。
ぐっと引き寄せたら、まさか俺がそう出ると思っていなかった彼女は、簡単に俺の胸の中に飛び込んできた。
後ろから抱き止めているような形になって、目を見開き、石のように硬直してしまった夢野さんについ口元が緩む。
「……俺、君になら束縛されてもいいかな……なんて──」
「のわぁっ」
「──うぐっ?!」
耳元で囁いてみたのだって、反応が可愛くてからかうのが楽しくなってきたからで。
特に本気だったわけじゃない。
見ていて懐いたらずっとそばにいてくれそうな子だなとは思っていたから、付き合ってみても良さそうな気はした。
だからこそ勘違いされてもいいからかいかたをしてはみたが、まさか頭突きをしてくるとは。
「佐伯さんは爽やかだと信じていたのに!くっ、失望した!」
俺から離れてそう叫んだ夢野さんは、鼻に手を押さえてうずくまった俺を一瞬気にするように足を止めたが「……だ、騙されちゃダメだ!」と呟きながらかけだしていった。
「……フフ。佐伯、まんまと逃げられたね。彼女、からかわれるの苦手みたいだよ」
「……はは、それは十分理解したよ。ていうか、不二、ずっと見てたわけ?趣味悪いなぁ」
「女の子を口説こうとして、頭突きされて鼻血出してるやつに言われたくないかな」
「え、マジ?」
くすっといつものように笑った不二に肩を落とす。
嫌なところを見られたものだ。
「……それから、僕が思うに彼女の中の佐伯に対する苦手意識が、氷帝の忍足、立海の仁王、四天宝寺の白石と同等ぐらいになったと思う。……ご愁傷様」
……本当、たちが悪い。
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