「……高低差がすごいわね」
「やだな二人とも。照れちゃうよ、あはは」
「「誉めてない誉めてない」」
裕太くんに服を返した次の日、返却されたテスト用紙をタマちゃんとちーちゃんと見せ合いっこしていたら二人が真顔でそう返してきた。
正直傷付く。……誰にだって得意不得意はあると思うんだ!
何故かちーちゃんは全部九十点以上だし、タマちゃんも低くて七十点台なんですけどね?!
いや、そもそも私テスト前一週間入院していたし、テストだってすっかり忘れていたし……
「お前はテストだってわかっていても、どうせヴァイオリン弾いてただろ」
必死に言い訳を考えていたら、隣の席から若くんが鼻で笑ってそう言ってきた。
「……くっそう、否定できないっ」
「詩織の負けね」
ちーちゃんがぽんぽんっと私の肩を撫でて、また若くんが鼻で笑う。
その勝ち誇ったような顔がいらっとしたので、腕を伸ばして若くんの脇腹をくすぐってやった。
……丸めたノートで叩かれた。地味に痛い。
──それからその日は、放課後第三音楽室に来なさいと榊おじさんに呼ばれていたので、ちーちゃんたちと別れた後、第三音楽室に向かった。
途中の廊下を歩いている時に、ふと転入してきた日のことを思い出す。
道に迷ってこの辺りで樺地くんに出会ったのだ。
校舎内を把握してきた今もまだ不安な場所はあるが、よく榊おじさんが指定する第三音楽室がテニスコートに出るのに便利な校舎にあることに気付いた。
廊下の窓から外に目をやれば、テニスコート横にある土手のような場所が見える。
それから第三音楽室の扉を開ければ、ピアノの横に榊おじさんが立っていた。
振り向いたおじさんの表情にどきりとする。
「……あぁ詩織。そろそろ音楽の道に本格的に進まないか」
「……え」
「お前が音楽を愛しているのはわかっている。だからこそ、いつまでも一人の殻に閉じこもるべきではない。お前が望むなら留学もさせよう」
まさか榊おじさんの口からそんなことが出てくるとは思わなかった。
いや、いつかは言われることだとは思っていたけれど……。
「考えておいてくれ。……では私は跡部たちのところに行かなければ」
「……はい」
小さく頷いてから、榊おじさんを見送る。
暫くその場でボーっとしてしまっていた。
いつかは母のように作曲して、それを世界に発表したい。
父のようにヴァイオリンの演奏で食べていきたい。
そんな夢は幼い頃から持ち合わせている。
……そのためには、多くの人の前で演奏しなくてはいけないこともわかっていた。
そう、わかっているけど、また恐ろしい人の表と裏を味わうことになるのかもしれないと思うと、どうしても足がすくむのだ。
「…………宍戸、先輩……?」
ゆっくりと第三音楽室を出た私は、窓の向こうで行われていた場面に目を見開いた。
榊おじさんの足元で土下座をしている宍戸先輩の長い髪がパラパラと地面に落ちる。
宍戸先輩の手にはハサミが握られていて、自身で切ったのだとわかった。
廊下からでは隣で何か叫んでいるらしい鳳くんの台詞はうまく聞こえない。
やがて跡部様がやってきて榊おじさんが宍戸先輩を一瞥した後、踵を返し去っていった。
顔を上げた宍戸先輩の顔はどこまでも真剣で、鳳くんも跡部様も宍戸先輩と同じく真っ直ぐな目をしている。
「……っ」
突如心臓がドクンと大きな音を立てて、血液が熱く沸騰するような錯覚に陥った。
テニスに真剣に向き合っている彼らの前で、私は果たして恥ずかしい演奏をしていないと言えるだろうか。
衝撃に近いその感情の起伏に、ヴァイオリンを弾く気分にはなれず、私はその場を駆け出して自宅に帰ったのだった。
《パンダ:こんばんは》
《善哉:あーやっと来よった》
《eleven:暫くぶりだな。俺と善哉は入院してたことを先輩経由で聞いたし、連絡がなかった理由はメールでも聞いたけど、Eveはかなり心配してたみたいだぞ》
《Eve:あのさぁ、eleven。別にパンダに言わなくてもいいだろ……なんだよ。俺だけ連絡手段がなかっただけだろ……心配して何が悪いんだよ》
《eleven:え、いや、誰も悪いって言ってないだろ?》
《パンダ:ごめんなさい、Eveさん》
家に帰ってもうまく働かない脳みそに、食事をとることも制服を着替えることも億劫になっていたら、光くんからメールがあって、いつものチャットルームに集まることになった。
《善哉:……なんやパンダ、何かあったんか?元気ないように見えるけど》
《Eve:確かにいつものパンダの調子じゃないよね。なに?拾い食いでもしたの?》
いつもなら光くんや深司くんのその言葉にも笑って返せるのに、何故かこの時ばかりはうまくキーボードを打てなかった。
ウィンドウが涙でじんわりと滲み、ゆらゆらと視界が歪む。
《eleven:……パンダ?》
《パンダ:私》
「……私はみんなみたいにキラキラ輝けるようになりたい」
《パンダ:逃げていたコンクールとかにも、出るようにする》
「好きだから……」
《──yukiさんが入室しました》
「もう逃げないって決めた」
《パンダ:みんなが好きなテニスと同じように私は音楽が好きで。私にはヴァイオリンしかないから。……自分の殻にばかり閉じこもってないで、とことん楽しんで最後まで頑張ってみるっ》
いきなりこんな文章を打ち込まれて、深司くんも光くんも十次くんも意味わかんないよねと苦笑しながら、私の指は止まらなかった。
ずるずると鼻水を啜りながら、榊おじさんの言葉やみんなの練習や試合風景を思い出す。
馬鹿みたいに泣いていたせいもあって、倒れる前にチャットで仲良くなったyukiちゃんがチャットルームに入室していたことにすら気付かなかった。
《善哉:応援したるわ》
《eleven:あぁ、善哉と同じく。何があったかはわからないけど、俺たちはお前の味方だ》
《Eve:なんだよ、俺のセリフがなくなるだろ……。あのさ、パンダ。こんな月並みのセリフしか出ないってのもあれなんだけどさ。……息抜きにならつきあってあげてもいいよ。だから自分で決めたんなら頑張ればいいんじゃない》
三人からの返答にまた目頭が熱くなる。
やっぱりみんな素敵なイケメンさんだ。
ありがとう、と打ち込んで送信したのとほぼ同時にチャット画面が更新される。
そこでやっと私は、彼女だと思い込んでいた彼の存在に気付いたのだった。
《yuki:ヴァイオリンを弾いていた君はいつも輝いていた。……だけど君はまたその時よりも強い光りになるんだね。……絶望の中をも照らす光りに。……やっぱり俺には君が必要みたいだ》
《──yukiさんが退室しました》
「…………yuki、ちゃん……?」
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