……否、榊おじさんが第三音楽室で待っているということで。
そこへ向かっていたのだけど、この学園の敷地面積を見くびっていたというか、はい。甘くみてました。
なんだここ
ここはどこだ
こんなことなら、篠山さんと及川さんにきちんと説明を受ければ……!
後悔しても後の祭りで。
絶賛迷子なのは変わらない。
「あー、今度人を見かけたら声をかけ──すみませんっ!」
第三音楽室は三階であるという情報だけを頼りに歩き回っていた私は、視界に入った大きな背中を見つけて声をかける。
「うわぁ、大きいですね!」
と思わず続けてしまった。
「……ウス」
「あ、ごめんなさい!先輩、あの、少しお聞きしたいことが……」
「……違い……ます」
「へ?」
日本成人男子の平均より遥かに高い身長の彼を見上げながら言葉を紡いでいたら、ぼそりと遮られた。
言葉の続きを待ったが、彼はそれ以上話さないみたいで。
ふと私の校章バッチと彼のバッチが同じ色をしていることに気づく。
「……同学年」
「ウス」
「…………第三音楽室、知ってる、かな?」
「ウス」
小さく頷いてくれた彼は、どうやら第三音楽室まで案内してくれるらしい。
「……ありがとう!えっと」
「……ウス、……B組、樺地……崇弘、です」
「っ!私はF組に転入してきた夢野詩織です、よろしくです、樺地くん!」
「……ウス!」
僅かに表情を和らげてくれた樺地くんは、とても優しそうだった。
その後も、第三音楽室につくまで色々とお話をした。
彼は殆ど「ウス」しか言わなかったけれど、それでも微妙なニュアンスの違いもあったし、ちゃんと話を聞いてくれての相槌だったので、苦ではなかった。
寧ろ楽しい。
樺地くんはどうやら人を探している途中だというのに、私の案内を優先してくれたようで、第三音楽室につくと会釈してからいってしまった。
……ううん、取りあえず明日樺地くんに何かお礼の品を献上しよう。
転入してきて、初めて出来た男の子の友達だという嬉しさもあって、私はぼんやりとそんなことを決意した。
「……失礼します」
「あぁ、遅かったな」
「少し道に迷ってしまって」
音楽室の中に入れば、見事なグランドピアノのすぐ近くに榊おじさんが立っていた。
私が頭を下げれば、榊おじさんは口元に笑みを浮かべる。
「まぁいい。……それより、部活はどうする?一応オーケストラ部があるが……」
「……実は立海でも部活はサボテン部だったので、そうしたいんですが」
「……は?」
榊おじさんは瞬きを数回大袈裟に繰り返した。
「サボテンを育てる部活です」
立海は文武両道をうたっていて、必ず部活か委員会に入らなくてはならなかった。
だから、一番暇そうなサボテン部に入って毎日ヴァイオリンでサボテンに語りかけていたんですと続ければ、榊おじさんは微妙に苦笑している。
「……入る気はないということか。まぁ詩織は私が個人的に指導するとしよう」
「でもおじさん、テニス部の監督をされているのでは」
何故榊おじさんがテニス部の監督なのかはわからないが、テニス部は部員数が多いと聞いた。
それにレベルも高いとも篠山さんに聞いている。
だから忙しいのではと口にしたが、問題ないと頭を撫でられた。
「……さて、私の用件は以上だが」
「……少しここで弾いていてもいいですか」
「あぁ、私は部の方にいく。鍵は部活終わりに私が閉めるから、好きなときに帰るといい。思う存分奏でなさい」
「ありがとうございます」
一礼してから私はずっと手に持っていたヴァイオリンケースを開く。
構えた時には、榊おじさんの姿はなかった。
「……さぁ楽しもう、ワルキューレ」
ヴァイオリンの名を口にして、私はそっと瞼を閉じた。
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