俺の方向からでは表情はよくわからんかったが、夢野さんや跡部の反応からどうもあの無表情鉄仮面が笑みを僅かに浮かべたらしい。……いかんぜよ。どうにも夢野さんはテニス部のヤツらに気に入られ始めている気がする。
「……え、仁王さん?」
「……ピヨ」
そんな考え事をしながら歩いていたら、練習をサボってヴァイオリンの音色を追っていたらしい。いつの間にか、夢野さんが練習していたペンション前にまで来ていた。ふらっと現れた俺に夢野さんは驚いているようじゃった。
木漏れ日に思わず目を細める。
「……どうしよう。この人はまともに話す気があるんだろうか……っていうか無視していいのかな、うん、無視しよう」
「……ヒドいナリ」
思いっきり聞こえとるよと伝えると「あ、会話するつもりあったんですね。すみません」と笑顔を向けられる。
え、あれ、これ、もしかせんでも、俺嫌われとるまではいかんでも、苦手意識持たれとるんじゃないだろうか。……脳裏に妙に扱いのひどい氷帝の忍足が浮かんだ。
「……それで練習はいいんですか?」
「……腹が痛いから抜けて来たんじゃ」
「嘘はいけないと思いますよ。仁王さん」
吃驚した。
笑顔でさらりと返されて思わず瞠目する。……はっ、いかん。めちゃくちゃ目を見てしもうたナリ。急に恥ずかしくなって顔を背けた。
「……なんでわかったんじゃ」
「あ。当たっていましたか?すみません、友達に仁王さんは嘘吐きだって聞いていたんで、かまかけてみたんです」
つまりは当てずっぽうらしい。……本当に腹が痛かったらどうするつもりだったんじゃ。
だが、妙に可笑しな気分になる。少しでも俺のことを知っていてくれたんが嬉しかったんかもしれん。
「……立海で一度お前さん、グレン・ミラーのムーンライト・セレナーデを弾いてたじゃろ。あれ、もう一回頼めんか」
「いいですよ。それで練習にやる気が出るなら」
すんなり承諾すると夢野さんはジャズの曲を奏で始めた。
……あぁ、本当にクラシックでもジャズでも変わらないものがある。彼女はやはり天才じゃ。
「…………仁王さん、本当はどこで私を見かけたんですか。……私、立海でジャズを弾いていません」
奏で終えた夢野さんは俺を真っ直ぐに見据えた。
そうじゃ。本当は違う。俺が夢野さんのファンになったのは、立海なんかじゃないぜよ。
もっと前。
彼女が天才ヴァイオリン少女だともてはやされていた時期だ。
「……後ろ向いてくれんか。話したいことがあるき」
「……」
無言のまま俺に背中を向けた夢野さんにそっと近づく。実は一度声をかけたことがあるんじゃ。こうやってそっと後ろから、大人たちに振り回されて泣いとった夢野さんの背中に。
「辛いなら──」
『辛いなら辞めんしゃい』
「──っ?!」
「な」
あの時と同じように声をかけようとした。それはもしかしたら、あの頃の俺を夢野さんが覚えといてくれるかもしれんと、淡い期待を抱いてだ。
だが緊張しとったせいか、俺はうっかり足を滑らせてそのまま夢野さんを後ろから抱き締めてしまった。……前に回った手が、中学生にしては少しばかり発育のいい胸を掴んでしまう。
「こ、これは間違──」
「きゃあぁっ!」
「──じゃぶあっ?!」
夢野さんの盛大な悲鳴とともにガツンと顎に衝撃が走る。夢野さんが思いっきり屈んだ状態の俺に頭突きをかましてきたのだ。い、痛いぜよ……!
「忍足先輩を超える変態がここに……っ!」
そんな失礼極まりない捨て台詞を吐きながら、バタバタと夢野さんはペンションの中へと走っていった。
ち、違うんじゃ……
こんなつもりじゃなかったんに……!
「いかん、まーくん、立ち直れそうにないナリ……」
うずくまったまま、午前練習はサボることにした。……否、もうどうしたらいいんじゃ。俺。
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