花盗人は何処 | ナノ




白澤と桃太郎との同居生活を始めて数日、ようやく桃源郷で過ごす彼らとの日常にも慣れてきた頃。
いつものように食卓を囲った3人は、互いの顔を見交わして丁寧に手を合わせた。


「いただきまーす」
「いただきます」
「……そういや最近、白澤様滅多に夜遊びしませんね」
「ん?そりゃなまえちゃんが居るし…みすみす桃タロー君と二人きりにする訳ないでしょ?危ないし」
「何もしませんよ!白澤様じゃないんですから!」


なまえが居候して以来、朝食にもきっちりと顔を出す白澤をいっそ恐ろしげに見やる桃太郎。足しげく通っていた妓楼に赴く気配もない彼に疑念を持つのは、白澤の性質を知っていれば当然のことだ。
白澤は桃太郎の不躾な視線をかわしつつ、からかうように目を眇める。


そんな騒がしくも心地よい空間に、なまえは頬をゆるめながらふと思う。
薄っぺらな口説き文句を吐き、桃太郎に言わせればちゃらんぽらんな彼に支えられたことは幾度となくあった。その感謝を伝えたことはあっただろうか。
以前手渡した弁当などでは見返りにもなり得ないほどの恩を返すにはどうしたら良いのか。
小さく首を傾げたなまえに気がつき、つられたようにこてんと顔を傾ける白澤に心が淡くあたためられる。


―彼女はなまえの幸せを願うだろう。
不意に蘇ったのは、現世で鬼灯から伝えられた現実に打ちのめされていたなまえへと寄せられた科白。あの一言がなまえをこの世界に留めた一手となったことを忘れてはいなかった。
目の前で朗らかに笑む白澤にゆるい微笑みを返しながら、そっと口を開く。


「ずっと思っていたんですけど…私に何かお礼をさせて下さい」
「へっ?お礼?僕何かしたっけ」
「私が元の世界に帰れないと言われた時、鬼灯さんから伝言を聞きました」
「あ、あー。年甲斐もなくこっぱずかしいこと言っちゃったアレかぁ」
「私にとってはとても大切な言葉です……」
「…そっか、それなら良かった。うーん、でもお礼か」


なまえの真摯な瞳と声音を受け、気恥ずかしそうに目線を泳がせながら、白澤は後頭部をかき乱す。
なまえの心を何とか此処に引き留めようとつむいだ言葉を受け、我が天敵は気色悪そうに顔を歪めていたけれど結果的にはその科白が彼女をこの世界に繋いだようだ。

その事実に色濃い喜びが心に浮き出るのを感じながら、ううんと頭をひねる。
礼と言われて真っ先に頭をよぎったのは色狂いと表される白澤らしい思考だったが、そんなものをなまえに求められる筈もない。
そう思ってしまうのは白澤のささいな心境の変化にあるのか、初めて胸にうまれた感情を未だ噛み分けられずにいる彼は戸惑いを覚えながら視線を彼女に戻す。

すると黙って様子をうかがっていた桃太郎が怪訝そうに眉をひそめて声をあげた。


「白澤様なら真っ先に遊びに行こうとか言いそうなのに、どうしちゃったんですか」
「失礼だなー、今考えてるんだよ……でも遊びに行く、か」
「って、結局そこに行き着くんですか?」
「うるさいよ桃タロー君!じゃあなまえちゃん、今日一日付き合ってくれる?」
「えっ今日ですか?お店は……」
「元々適当だし、最近はまじめに働いてたから大丈夫大丈夫」


あっけらかんと笑ってみせる白澤により、今日は休業となったようだ。
すでに出かける気でいるのか、白澤は鼻歌を奏でながら席を立つ。彼の周囲に漂う浮ついた空気に困ったような笑みをもらしつつ、なまえと桃太郎は視線を交わしたのだった。





左右に連なる店と、その真中に流れゆく小川。せせらぐ水面は美しく透き通っており、そこに浮かぶ小舟には様々な品物が並べられている。自然豊かな天国らしく、鮮やかな緑が彩るそこはショッピングモールとは思えない景色が広がっていた。

なまえは慣れ親しんだ現世の常識を覆すその景観に息をのみながらも、日向に照らされたような笑顔を見せる。


「わぁ、高天原のショッピングモールってこんな風になっているんですね!」
「そうだよ、なまえちゃん来たことないかなと思って」
「はい、すごいです……」
「喜んでもらえてよかった」


感嘆し深い息を吐き出したなまえに、白澤はゆるく眦をほころばせる。
まるでなまえの心が満たされることを望んでいたような微笑みを形作る白澤に、はっと我に返った彼女が眉を持ち上げた。


「…もしかして白澤さん、最初からそのつもりで私をここに?」
「んー?どうだろう?」
「お礼のつもりだったのに、私を喜ばせてどうするんですか……」
「まぁまぁ、僕も楽しいからさ」
「………」


目に映える風景に惹かれ華やぐ胸中と白澤への不満がせめぎあい、気むずかしく目を細めるなまえ。そんな彼女に弱ったように瞬きを増やした彼は、どうにかなまえの機嫌を取ろうと周囲を見回す。
そうして視界に捉えた店へなまえをいざなうように彼女のやわらかな手を取った。


「あ、こういう店女の子は好きだよね」
「…そうですね」
「困ったな、機嫌直してよ」
「じゃあここで何か奢らせて下さい」
「なまえちゃんにそんなことさせられる訳…」
「奢らせて下さい」
「………もう、変なとこで頑固だなぁ」


むっと眉を寄せ、今度はなまえが白澤を引っ張るようにして足を踏み入れた店内は鮮明な唐紅が散りばめられており、彼と深い結びつきのある国、中国を思わせる内装でまとめられていた。

色とりどりの可愛らしい雑貨が売られているそこで何を贈ろうかと吟味し始めるなまえを、白澤はどこか慈しみのにじんだ虹彩で見つめる。
彼の瞳には気がつくことなくなまえは困ったように首を傾げた。


「私、男性に贈り物なんて碌にしたことないので、何がいいのかわかりません…」
「!へー、そうなんだ」
「?何か嬉しそうですね」
「いやいや、気のせいだよ気のせい」
「…?」


にこやかな笑みの中に、喜びにも似た色を見つけてなまえは不思議そうに目を丸める。

まぶたをまたたかせてこちらを見上げる彼女に男の影がないことに、何故だか白澤の気分はふわりと持ち上がった。
こうして2人肩を連ねて歩く姿が傍目から見れば恋人のそれなのだろうかと人知れず想像して、胸がくすぐられたようなむずがゆさに襲われる。なまえによってたやすく翻弄される胸中を妙に面映く感じた白澤は、彼女に悟られないよう棚に飾られた品物を適当に手に取った。


「そうだなぁ、例えばこういう耳飾りとか?ほら、僕いつもしてるでしょ?」
「うーん、耳飾りですか…ちょっとあっちの方見てきます」
「うん」


悩むように視線を巡らせ、店内をくまなく見回すなまえの頭には白澤しか居ないのだろう。そう考えると彼女の眉間に寄ったしわすら価値のあるものに思え、地獄で奔走しているだろう鬼神に歪んだ優越感を抱いた。

ひとり思考を巡らせていると、明るい声色をはらんだなまえの声が白澤を呼ぶ。それにまたあたたかいものが胸ににじむのを感じながら、彼女へと歩み寄った。


「見て下さい白澤さん、これって調剤のときに使う…」
「ああ、乳鉢だね。ここって何でも売ってるんだな…そろそろ買い換えようと思ってたんだよ」
「じゃあ買いましょうか?」


彼女の手にあるそれは、白澤にとっては仕事道具であり毎日嫌というほど見ている代物だ。
白い表面はなめらかに光を弾き、質は良さそうではあるがそれを男への贈り物として選ぶなまえの感覚は確実に常識から外れている。


「…買いましょうかってなまえちゃん、まさかこれがプレゼントとか言わないよね?」
「えっ、……だめですか?」
「だ、だめじゃないけど」


思わず苦い笑みをこぼした白澤に、なまえは眉を下げてこちらをうかがった。
こわごわ白澤を見つめるなまえにどきりと心臓が音を立て、焦りすら覚えてしまう自身にらしくないと言い聞かせつつ、慌てて首を横に振る。
それに安堵したように表情をやわらげたなまえに、白澤までもが胸をなで下ろしてしまった。
彼女の言動ひとつひとつに一喜一憂してしまう心を認め、白澤は参ったような苦笑を浮かべる。


「お待たせしました、これどうぞ!」
「…何か、なまえちゃんには勝てる気がしないな」
「何がですか?」
「ううん、何でもない。これありがとうね、……本当に」
「はいっ」


会計を済ませ戻ってきた彼女の晴れやかな笑みをひと目見れば再び宙に浮かぶような想いになる。
彼女に弱みを握られたような、しかしそれも満更ではなくむしろ幸福すら感じることに白澤は諦めに類する笑みを象った。

胸の中でじわじわと面積を広げていくなまえへの想いに名をつけるにはまだ早計かと思っていたが、そう決めつけるのもまた判断を早まったようだ。
隣を行くなまえに甘さをふくんだ視線を寄せながら再度店が立ち並ぶ通りに出ると、目を奪われたように周囲を眺める彼女に口を開いた。


「いい息抜きになったかな?」
「え?」
「僕のせいで悩ませちゃったみたいだし、悪かったなと思ったんだよ、これでもさ」
「あ……」


白澤の科白に彼へ目をうつすと視線が繋がったその火照りのにじんだ虹彩に、ゆるく心臓が煽られる。
彼とふたりきりになったあの晩に見た瞳と同じ色をしたそれ。黒紅のその奥に根付く熱は、あの時より強さを増しているような気がして思わず視線をそらす。

藍墨色の夜を背景に近づく彼の瞳と、肌を撫でたゆるい吐息。
記憶の底に押し込めていたその情景が否が応でも思い起こされ、なまえの頬が淡く色づいていった。
それに目を細めた白澤がすくいあげるように彼女の顔をのぞき込み、わざとらしく問いかける。


「顔赤いけど、…何思い出したの?」
「なっ、何も!ももう帰ります!」
「あ、待ってよなまえちゃん」


意地悪く眇められた瞳と目線すら合わせられずに、彼の腕に包みを押しつけて歩みを速める。背後から追いかけてくる白澤の声に、今は答えられそうにない。
そよぐ風にさらされ、頬の熱が冷めるのに伴いかすかに騒がせられた心も少しずつ平穏を取り戻していくことに気を緩ませて、なまえは小さく吐息したのだった。


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