花盗人は何処 | ナノ




「ありがとうございました!」


今日何人目かの客を見送り、ふうとひとつ息をつく。昨夜鬼灯に胸にたまった悩みを打ち明けたからか単純に彼の声が聞けたからか、晴れやかな気分で手伝いに集中出来る。
穏やかな笑みを浮かべるなまえを横目に、白澤はつまらなさそうに唇をとがらせた。


「あの分じゃ薬剤師にはなってくれないかなー」
「白澤様……なまえさんが悩むってわかっててあんなこと言ったんですか?」
「あんなに思い悩むとは思ってなかったしそれは悪かったと思うけど…ここに残るってことを、少しでも考えてみてほしくて言ったんだよ」
「白澤様が鬼灯さんにかなう訳ないでしょう」
「うわっそれむかつくな〜」


彼女の心を占める比重が鬼灯に傾いていることくらい傍目に見ても明白だ。桃太郎自身にも同様に返ってくる科白にわずかに胸を軋ませつつ、なまえを眺める白澤をちらりと見やった。
相も変わらず飄々とし、本心を隠すことに長けた上司の心情をのぞくことは出来ないが、彼が他の女性に向けるものとは異なる何かがなまえを捉える黒紅の虹彩に揺らいだように思えて目を眇める。

不意に、昨夜彼女を追って出ていった白澤が、ひとりきりで戻って来た時垣間見せた表情を思い起こした。
桃太郎が声をかける前目に入った横顔にはゆるやかな熱情をはらんでいるようだった。それは静かに芽生え始めた想いを映し出しているように。


「あの…白澤様」
「ん?ってお香ちゃん!……と茄子君たち」
「俺らはおまけですか」
「えっ、あちょっと!」


如何様に訊ねようか迷っていると、いつの間に現れたのか戸口でたおやかに佇むお香にいち早く反応して駆けていく白澤。女性のこととなると手早な彼に遮られるようにして、音にしかけたそれを呑み込んだ。

白澤は彼女の背後に並ぶ唐瓜たちには目もくれず締まらない笑顔をお香に向けている。その様子を眺めながら、女性と見れば見境なく、滅多に見せない瞬発力すら発揮する彼がもしかしたらなまえを恋慕しているのでは、などと勘ぐってしまったことを心底悔いる。

呆れつつ、谷より深いため息を落として桃太郎は肩をすくめたのだった。


一方で、お香にすり寄る白澤をよそになまえは指ひとつ動かせずにいた。
自身の口からは何も告げられず、後処理は鬼灯に任せきり。逃げるようにして極楽満月に身を寄せているなまえがどの面を下げて彼女たちと言葉を交わそうというのか。数枚の手紙を宛てたのみで許されようなどとはなまえも思ってはいない。

きゅっと拳を握りしめたなまえは惑うように目を伏せ、不快な音を立て続ける胸元に手を当てた。握り込んだ手にじんわりと汗がにじむのを感じながら、ふるえる唇を開く。


「お香、さん……私…」
「…なまえちゃん」
「…………」
「…………」
「えーっと…あ、積もる話もあるだろうし店の奥で話す?」
「…そうねェ、そうしようかしら」


4人の間に立ちこめる緊迫感と息の詰まるような重苦しい気配に居心地悪そうに身じろいだ白澤は、店から住居へと繋がる戸に手をかけた。

それに従いながら、唐瓜は一度もこちらを見ようとはしないなまえに視線を投げる。彼女の瞳には罪悪感が強く浮き出ていて、なまえが自責の念にかられているだろうことはたやすく想像出来た。
ぐっと眉根を寄せた唐瓜に気がついたのか、気を紛らわすように、あるいは励ますように肩を叩いた親友と共に一歩を踏み出す。


「じゃあ僕は店に戻るよ。いくらでも居てくれていいからね」
「助かるわァ、ありがとう」
「……………」
「……………」
「もう、3人ともそんなに暗い顔してちゃダメよ」
「…お香さん……」
「なまえちゃん、元気そうで良かったわァ」


お香の柔和な声に、なまえは行き場をなくしていた瞳を彼女に向ける。
騙していたと言っても過言ではないのに、変わらずやわらかな微笑みを向けてくれるお香にきゅっと胸が苦しくなった。
久しく傍らになかった優しさとぬくもりに撫でられあたたかくなっていく心に、今までなら身をゆだねていただろう。けれどなまえの中で蠢く罪の意識がそれに甘えることを良しとしなかった。

強ばりが溶けないなまえの表情に眉を下げたお香は、彼女の肩にそっと手を置いて紅を引いた唇をほどく。


「今回の件で、少なからず不信感を抱いた人もいるけれど……アタシたちは違うわ。むしろなまえちゃんに嘘をつかせてしまったことを申し訳なく思ってるの」
「そんな、私が決めたことです…!最初から本当のことを明かしていれば皆に迷惑をかけることもなかったのに……本当に、ごめんなさい」
「謝らないで。必要な嘘だと判断したんでしょう?なまえちゃんが苦しんでいたのはこれを読んだらすぐにわかったわ」


彼女が懐から取り出した白い封筒に、なまえは小さく目を見開く。
彼女たちと閻魔殿の皆に宛てた頼りない紙切れ。なまえの想いを、告白を精一杯詰め込んだそれを大切そうに手にしたお香はやわらかな月の光を集めたような金色の瞳でなまえを優しく見つめた。

それがまたなまえの心を疼かせる。こんなにも優しさにあふれたひとたちをまやかし続けていたのだと思うと胸がちりぢりに裂かれてしまいそうだった。


「手紙……」
「ええ、鬼灯様から頂いて、ここになまえちゃんがいるって聞いたから来たの。…気づいてあげられなくてごめんなさいね」
「いいえ、私が悪いんです!直接言えもしないで、鬼灯さんに頼ってばかりで…」


後悔はしていない。
あの時は最善だと思った道を取った結果だから。
しかし心へ鮮明に影を落とす罪悪感は簡単には消えてくれず、結果またお香に悲しい表情をさせてしまっている。
思わず強く噛みしめた唇からほのかに血の味がにじむのを感じながらも、なまえは自らが突き立てたそれをゆるめようとはしなかった。


「……」
「…唐瓜」


そんななまえの様子を黙って見ていた唐瓜は、彼女の苦しみが伝染したように浸食されていく胸中に眉を寄せる。それもなまえを大切に想うがゆえだ。
茄子の呼びかけに応えるように小さく息を吸い込んだ唐瓜は、視線を揺らすことなくなまえをまっすぐ見据えた。


「なまえ」
「唐瓜くん…」
「目そらすな、ちゃんとこっち見ろ」


一目こちらを見やったあと、ふらりと泳がせるように眼差しをそらすなまえの両頬を手のひらで挟み込み、捕まえる。
いささか乱暴なその仕草に彼女は一度まぶたを伏せ、彼の体温に背中を押されるようにして頷いてみせた。


「……うん…今までのこと、ごめんなさい…」
「俺の方こそ……ごめん」
「え?」


唐瓜は彼女との間にようやく繋がった瞳に安堵を覚えながら、深く頭を下げる。
何気ない会話の中で笑顔を見せても、その裏ではいつも痛む胸に耐えていたのだと想うと察してやれなかったことが悔やまれる。
なまえがひた隠していた心の痛みを理解してやれなかったというのに何が友だ。
彼女と離れていた分降り積もった苦い想いを乗せて言葉をつむぐ。


「悩んでること、気づいてやれなくて…悪かった」
「俺も、なまえが何か事情を抱えてたことは何となくわかってたけど踏み込んでいいのか迷ってるうちにこんなことになって、…独りにしてごめんね」
「ひとり?」
「独りで悩んで来たんでしょ?辛い思い、してきたんだよな」


唐瓜に次いで、辛苦と悔恨が同居した表情を見せた茄子が謝罪の言葉をつむぐ。
彼が口にした独りという単語になまえはゆるくかぶりを振った。閻魔殿に身を寄せるようになってから、孤独に苛まれたことは一度だってない。そこにはいつだって、騒がしくて賑やかで、ぬくもりに満ちた空間が広がっていたからだ。
何ということはない彼らとの日々になまえがどれだけ救われたか、思いを巡らせただけで胸の辺りにひだまりが生まれたようだった。

なまえにそう感じさせてくれたのは他でもない、目の前に居る彼らだ。


「ううん、独りじゃなかった。鬼灯さんが居てくれて、唐瓜くんや茄子くんや、お香さんたちが居てくれた。独りなんかじゃなかったよ」
「なまえ……」
「騙して、本当にごめんなさい」
「騙されてたなんて思ってない。だって、俺たちに見せてくれた笑顔に嘘はなかったでしょ?」
「…茄子くん」


彼のやわらぐ眦につられてなまえも微笑みをこぼすと、一層笑みを深めた茄子はおもむろに彼女の手を取った。なまえの手を捕まえていない方の片手は唐瓜のそれを握っている。


「じゃあ仲直り!ほら唐瓜も」
「別に喧嘩してた訳じゃねーけど…でもちゃんと話せて良かった」
「うん…!」
「ふふ、本当に良かったわァ」


睦まじく繋がれた手から胸へと熱いものが伝わっていく。喜びや安寧や心を震わせるような想いが綯い交ぜになり、視界がじんわりと揺れていった。
3人の輪郭が溶けていくのを止められそうもなく見つめていると、のんびりとした声音がからかうように耳へと届く。


「なまえ、また泣いてるの?」
「だって……っ」
「お前泣き虫だよなぁ、そんなんで獄卒目指せるのか?」
「な、何で知ってるの?」
「鬼灯様が教えてくれたわァ、今度は本当のインターン生としてしごきます、ですって」
「ええっ」


思わず引いてしまった涙の波を気にとめる余裕もなく、なまえは唇をひきつらせる。
あの物騒な金棒を振り回される場面を想像してしまい、さあっと青ざめていくなまえをよそに唐瓜たちはやわらかな笑みを浮かべた顔を見合わせた。
ようやく日常の一片を取り戻したように思えて思わずもらしてしまった彼らの笑みは、ゆるゆるとほぐれていく心の内を描いたようだ。


「…よかった、ちゃんと元通りになったみたいだね」
「白澤さん!」
「お騒がせしてごめんなさいねェ」
「いやいや、なまえちゃんやお香ちゃんに笑顔が戻ってよかったよー」


ゆるやかな空気に染まりつつあった4人へ唐突に降ってきた声は安堵に包まれていて、彼に心配をかけてしまったことを知る。
扉からこちらをうかがうようにひょっこりと顔を出した白澤に微笑みを向けると、黒紅の虹彩が優しげに和んだ。


「あっ、そういえば鬼灯様から伝言!"なまえに手を出したら本格的に呵責を検討します"って」
「はぁ?どんだけ過保護なんだよ……」
「本当ねェ、早くなまえちゃんの顔見せなきゃ安心しないんじゃないかしら」
「そうですね、…早く帰りたいなぁ…」
「アラ、それって鬼灯様に会いたいってことかしら?」
「えっ!?ち違いま……せんけど、違います!」
「えっ、ちょっとなまえちゃんそれどういう意味!?」


白澤に詰め寄られ逃げ出すなまえ、そんな2人の様子を受け楽しげな笑い声が周囲をくるむ。
心の奥を冷たく圧迫していたわだかまりが溶けて、さやかな笑顔を見せるようになったなまえを目にした友人たちは一秒でも早く彼女が戻って来られるようにと願いながら、いとしい少女を見守ったのだった。


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