「うーん…お店まではその服で我慢してもらうとして、靴どうしよう…」 靴が収納されたシューズラックの前で腰を屈めるなまえの隣でちょこんとしゃがみ込む丁と共に首をひねる。 どう見ても彼の足に合いそうな大きさの物はない。 ちらりと丁を見下ろすとちょうどなまえを見ていたのか、ぱちっと瞳がからんだのでその黒曜色に微笑みかける。 「私はここでまっていてもよいのですけど」 「でも丁くん1人を残していくのも…そうだ!」 何かを思いついたようにぽんと手を打ったなまえに手招きされ、訝しみながらも近づけば彼女の細い腕にひょいと抱き上げられた。 突然高くなった目線と自身を包む慣れないひとのぬくもりに戸惑いを覚えながらも、丁はなまえに縋るように彼女の服を掴む。 「急に何ですか」 「丁くんを抱えていけばいいんだよ!ね、いい考えでしょ?」 「……腕がいたくなってもしりませんよ」 日向のような笑みを向けられて何となく顔を背けつつ、ぶっきらぼうにそう言えばまた嬉しさをふくんだ彼女の笑い声。 何がそんなになまえを喜ばせているのか理解できないまま、結局近くの店まで抱えられて行くことになってしまった。 なまえが歩みを進めるたびにゆらゆらと上下に揺れる身体が不安定で心もとない。そわそわと落ち着かないようなこのままでいたいような、相反する思いを内包しながら息をついた。 それに、彼女は何処も彼処もやわらかであたたかかった。 布越しに彼女に触れている部分が他と比べて随分ぬくく感じるのは、なぜだろう。 「丁くんは軽いねー」 「なまえさんはやわらかいですね」 「えっそれって肉がついてるってこと!?う運動した方がいいかな…」 ショックを受ける彼女を他所に、ぽすんとなまえの肩に頭を預けると何もかも彼女に委ねてしまえそうなほどにひどく心地が良かった。 生まれて初めて、心の休まる場所を見つけたような気がした。ゆらりと波打つ心が次第に穏やかさを取り戻していくのを感じる。 村の連中の哀れみをにじませた目や、蔑むような眼差し、優しい建前に隠された本音。 そんな暗いものとは無縁のなまえがきらきらとした光をまとっているような、とてもまばゆいひとに見えたのだ。 再び心の柔いところがほんのりと熱を帯びた。 たんたん、と足音を響かせながらアパートの階段を降りると、目の前に広がった風景に腕の中の丁が小さく肩を揺らした。 やはりいきなり外に連れ出すのはまずかっただろうか。 丁の様子を伺うように顔をのぞきこみながら問いかける。 「びっくりした?やっぱり昔とは大分違うのかな」 「…ええ、…本当に未来に来てしまったのですね」 初めて目にする景色、物、見たこともない形の建物。そのすべてから生み出される混ざり合った様々な雑音が耳を劈く。 丁を取り囲む一切が目新しく、新鮮であると共にもうあの静かな場所には戻れないのだと感じた。あの村は特別好いてはいなかったが、木の葉がこすれる音色や風のざわめきはいつだって丁をやわく包んでくれたから気に入っていたのだが。 地面は優しい土色ではなく灰色に塗り固められ、木々はほとんど見られない。呆然と周辺を観察する丁の視界に飛び込んだ、白い柵を挟んだ向こう側を猛然と走るその鉄の塊に目を見張る。 「あれは車っていうの。ぶつかったら死んじゃうかも知れないから近づいちゃだめだよ」 「この灰色の地面はなんですか?」 「コンクリートだよ、道を舗装するための物なんだよ」 「……」 「大丈夫、丁くんのことは私が守るから!」 ぽんぽん、と優しく背中をあやされて眼差しを寄せた先のなまえは、丁を安心させるように淡い微笑みを唇に乗せている。 「それはそれで不安ですね」 「何で!?」 「…ですが、これからもよろしくお願いします」 「うん、よろしくされました!」 ぺこり、と頭を下げる丁になまえはほっと胸を撫で下ろして大通りへと足を進める。立ち並ぶ店の中に子供服を売っているところもあった筈だ。 目当ての店に向かう途中も、自分はここにいると知らせるように時折ゆるゆると丁の背をさする。強張った小さな身体がほぐれるまで、何度も。 そうしてたどり着いた店のショーウインドウには、のっぺりとした肌に子供服をまとったマネキンが陳列されていた。 中でもなまえの目を引いたのはデニム生地のオーバーオール。胸元に色とりどりのボタンがつけられており、キャスケットが合わせられたそれはとてもかわいらしく見えた。 腕の中の丁を見下ろして、次に飾られたそれに目を向ける。 「どうしたのですか?」 「丁くん、これ…着てくれないかな」 「は…?」 「他のは丁くんが選んでいいから、このオーバーオール試着してください!」 絶対似合う、と確信を持って言える。あの服を丁が着用すると相乗効果的にもっともっとかわいくなるに決まっている、と訳のわからない根拠を胸に試着室へと駆ける。 「ちょっと」 「着方わかる?ここの留め金を外して、足を入れて」 「……」 「あ…もしかして嫌だった?」 反応が鈍い丁に先ほどまで眩しく煌めいていたなまえの瞳が細まり、しゅんと眉尻が下がる。 そんななまえの様子になぜか狼狽えてしまった丁は、渋々彼女から服を受け取りカーテンの向こう側へと消えていく。彼女に全面的に世話になっている以上断りにくいという理由もあった。 腕に抱えた見たことのない形の着物と金属製の留め金。 つるりと指から逃げていくそれに手間取りながらも何とか着替え終えた丁は、姿見で自身を確認することなく試着室を出る。 一瞬彼女が居なかったら、なんて考えが頭を過ったが要らぬ心配だったらしい。すぐ傍で手持ち無沙汰に佇むなまえを見上げると、口元に両指の先を当ててふるふると震え始めた彼女にまぶたをまたたかせた。 その大きな瞳には涙までにじんでいるような気がする。 もしや具合でも悪いのだろうか? 訊ねようと口を開いたその時、あのあたたかい体温がぎゅうと丁を包み込んだ。 「かわいいよ丁くん!すっごく似合ってる!」 「………ああ、はい…どうも」 「あれ、何か疲れた顔してるね、大丈夫?」 当然だ、今まで笑顔しか向けてこなかったなまえに突然泣かれたら気を配るに決まっている。それなのに呑気に丁を褒め始めた彼女にもはや呆れたため息しか出ないというか。 疲れる。 身体的なそれではなく、他人のためにこうも感情の波が乱されたことなどなかったからか、身体の奥にくすぶるような疲労を感じていた。 「じゃあちゃっちゃと買ってお昼寝でもしよっか!」 「なまえさん…昼近くまでねていたのにまた眠るんですか」 「………」 「なまえさん?」 適当な服を手に取っていたなまえが、幽霊でも見たかのように目を見開いて丁を見つめている。 その射すくめるような眼差しに居心地が悪くなりつつ、現実に引き戻すようにぺしりと彼女の頬に手のひらを当てると、はっと我に返ったなまえが頬をほんのりと桜色に色づかせながら口を開いた。 「名前!呼んでくれた!」 「はい?…はじめてでしたっけ」 「初めてでした!うわあ嬉しいなぁ!」 「……嬉しいのはわかりましたから、早く用事をすませてください」 丁に名前を呼ばれただけなのにこんなに嬉しいだなんて、自分は案外安上がりな女だったのかも知れないと思いながらなまえは胸に抱いた彼を抱きしめた。 なまえのほのかに熱をためた頬を寄せられながら、伝染するように丁の心もあたたまっていく。胸をつつくむずむずとしたこそばゆいような感覚を誤魔化そうとなまえの髪をくい、と軽く引っ張りながら彼女を促したのだった。 |