ぽつ、ぽつ、と窓を濡らしていく雨粒をぼんやりと眺める。2人が部屋に帰ると同時に泣きはじめた空は重たく暗い雲をまとい、雨脚は強まるばかりだ。 背後ではなまえがふんふんと鼻歌を唄いながら今日買ってきたものをテーブルに並べて、満足そうににこにこと笑顔を咲かせていた。 「お揃いのもの増えたねー」 「…こんなに買ってしまっていいのですか?」 なまえの言葉にどこか気まずそうに答えた丁が暗に言っているのはお金の話ではない。いつ消えるかもわからない自分の物が増えてしまって良いのか、ということだろう。 そっとうかがうように見上げられて、くすりと微笑をもらす。 「いいんだよ、私が好きでやってるんだから。…思い出は心の中に残るって言う人もいるし、私ももちろんそう思うけど。やっぱり丁くんとの大切な思い出は形に残しておきたいなぁって思ったから、いいの」 大切な大切な思い出だからこそ、一片の欠けも許したくないから。丁との思い出が染み付いた物が手元にあれば彼がいなくなった後も、どんな時にでも丁を想うことが出来る。 「…そうですか。では私も、この根付は肌身離さずもってます」 「丁くん」 「いつか離れてしまっても、これを見てあなたを思い出せるように」 その声に応えるようにりん、と丁の小さな手の中で鳴った鈴。丁は夕日をこぼしたような朱色のそれをいとしそうに見つめた。 なまえも携帯につけることにした鈴に目を落とし、唇にそっと笑みを乗せる。 穏やかな時間の流れる中で、ふと窓の外を見やったなまえはしとしとと降り注ぐ雨……正確にはそれに洗われている洗濯物に目をうつしてはっと我に返ったように勢いよく立ち上がった。 その際テーブルに膝を打ちつけてしまい、ぐらりと倒れそうになった揃いのコップを押さえながら丁はなまえを仰ぐ。 「洗濯物!取り込むの忘れてた!!」 「ああ、もう一度雨であらっているのかと思ってました」 「びしょ濡れだよもう、丁くん手伝ってー!」 わたわたと焦りながら部屋に投げ込まれる服はどれも恵みの雨を吸ってずしりと重たくなってしまっている。 無造作に放られるそれらを拾い集めながら、上空から垂れ下がる絹糸のような雫を眺めた。 「そういえば、なまえさんが私を見つけたときも雨がふっていたんでしたっけ」 「うん?そうだよ、随分体温が下がってて心配したんだから」 「……そうですか、ならば雨乞いは成功したのでしょうか」 「…?雨乞い?」 服を乾燥機に放り込む彼女の後ろについて回りながら何気無くもらした科白に、きょとんと目を丸くしたなまえが振り返る。 しまった、と丁は内心わずかに慌てた。この便宜さが追求された世の中なら神頼みなどではなく人工的に雨を降らせる方法があるかも知れないし、なかったとしても平和に染まったこの世界で犠牲を伴う儀式を執り行うとは思えない。 生け贄など丁にとっては当たり前のことでも、なまえには非日常的な話なのではないか。そんな懸念がぐるりと思考を取り巻いた。 不思議そうに丁を見つめてくるなまえからふらりと目をそらし、話題を変えようと口を開く。 「いえ、何でもありません。それよりもなまえさん、観たいテレビがあったのではないのですか?」 「録画予約してるから大丈夫だよ、ねぇそれより雨乞いって?」 「……なまえさんが気にすることではありませんよ」 「丁くんのことなら何でも気になるよ!家族だって言ったでしょ?」 「……」 丁と瞳をからめ、心に訴えるような言葉と、その眼差しに親愛をにじませてじっと見つめられれば折れてしまうのは丁の方だった。 はぁ、とひとつため息を落とし、あまり気持ちの良い話じゃありませんよ、と前置く。 こくんと頷いたなまえの瞳が真剣な光を帯びていくのを目に捉え、ふっと肩から力を抜いて唇をほどいた。 「この時代よりも遠い昔の話ですから、そう気負わないできいてください。……私は元の時代で雨乞いの生け贄にされたのです」 「え…?生け贄って……」 「村人はみなしごだった私の命を神に捧げて、雨がふるよう祈りました」 まばらに地面を濡らしていく降り始めの雨のように、ひとつひとつ丁寧につむがれていく言葉は冷たくなまえの胸に落ちる。 知らず知らずのうちに胸元をぎゅっとにぎっていたなまえは、心の中にそれ以上聞きたくない思いと丁のことが知りたいという思いがせめぎあっているのを感じた。 生け贄。その単語はなまえにはとてつもなく遠いものに聞こえる。 ずしり、と心にたまっていく重苦しい想いを胸にとどめて、きゅっと結んでいた口をゆっくりとひらいていく。 「じゃあ、……じゃあ丁くんは…」 「今頃はもうしんだか、生死の境目をさまよっている…筈でしたが、なぜかなまえさんのいるこの時代にやって来てしまったようで……。 …なまえさん?」 「ひどい、よ」 内側にせき止められなかった想いが唇の端からもれていく。まずどうしようもなく胸の中に沸いてきたのは、怒りだった。 みなしごである丁は生け贄に捧げても後腐れのない体のいい存在だったのだろう。年端も行かない男の子が独りで抱えるには、その小さな背に背負うには重すぎるものを身勝手に押しつけて命まで奪うだなんて、あまりにも酷じゃないか。 ぐっと握り込んだなまえの拳が震えているのが目に入って丁が瞳を持ち上げると、普段ならばゆるやかに弧を描いている眉が強ばっているのが目に止まった。 明朗な彼女から静かに感じ取れるのは沸々とした怒り。彼女自身が贄にされたのならともかく、なぜなまえが怒っているのか見当もつかない丁は小さく首を傾けて問いかけた。 「なぜあなたが怒るのですか?」 「だって許せない…、生け贄を捧げたって雨が降るとは限らないのに責任を全部丁くんに押しつけて、自分たちはのうのうと生きてるなんて…!」 「……そうですね」 「あ……ごめんね、丁くんは覚悟して生け贄になったのに私…」 「いえ、なまえさんが気にすることではありません。縋るものがあるだけで心持ちも異なるのでしょう」 「……っ」 「なまえさん?」 どうしてこの子は、自分のために泣こうとしないのだろう。どうしてそうも平然としていられるのだろう。 疑問とともにこみあげる悲しみは、丁が抱え込んだ薄暗いそれを察することが出来なかった自身への不甲斐なさと綯い交ぜになって、まぶたの裏でふくらんでいく。 丁を映していた視界がぼやけて、じわじわと彼の輪郭が溶けていった。波打つ世界のなか、丁が驚いたように目を見開いたような気がした。 うまく消化できない感情ごと包み込むように、目の前で立ちすくむ彼を抱く。 「なまえさん、いたいです」 「ごめん………私なんにもできなくて、ごめんね…っ」 「もうよいのです、それより……あなたに泣かれるほうがこまります」 ぴとり、と頬を覆うぬくもりはなまえの涙を拭うように肌を伝っていく。 ぐずぐずと鼻をすするなまえをじっと見つめた丁の心にほのかな熱を持って芽生えたのは嬉しさだった。 命を貢ぐことに抵抗がなかったわけではないし、理不尽に先の人生を奪われることに怒りを覚えなかったわけでもない。寧ろ死後の世界があるのなら、あの素知らぬ顔で丁を殺した者たちに何らかの罰を下したいとも思っているけれど。 そんな鬱々とした想いもたくらみも吹き飛んでしまうくらい、なまえが丁のために腹を立てて、その優しい光を灯した瞳を翳らせ涙をこぼしてくれたことが嬉しかった。 それは確かになまえの心を苛んでいて、本来ならば喜ぶべきものではない筈なのに。 柄にもなくふわふわと胸が弾んでしまうくらいの幸福が丁をくるんでいる。我ながらゆがんでいる、と内心自嘲しながら、いじらしく肩をふるわせて悲しみに嘆くなまえを丁はいとおしそうに見つめた。 「なかないでください、なまえさんの泣き顔も良いですけど、私はあなたの笑った顔が一番きにいっているのですから」 「丁くんは平気なの?悲しいとか、腹を立てたりしないの?」 「はらわたが煮えくり返るくらいの怒りを感じますし憎しみもありますけど、あんな奴らへ思いを馳せることになまえさんとの時間をうばわれるのがいやなのです」 「……」 「だからなまえさんも、あの者たちに対して易々と心を砕かないでください。あなたの感情の一片すら、奴らへわたしたくない」 独占欲に満ちた言葉がつらつらと口から生み出されるのに当人すら驚きながら、それでも思いの丈を音にしていく。 丁を囲う腕がぴくりと揺れたのに気づいたけれど、防波堤を切り崩されたようにあふれていく想いの波は引く様子を見せなかった。 「…うん、丁くんが望むなら……もうこの話はしないし、笑ってる」 「はい」 出会ってたった1週間。その短い時間の中で、なまえが丁にとってこれほどまでに大きな存在になるとは思いもしなかった。 自分に人間らしい感情を教えてくれる唯一のひと。彼女が与えてくれる言葉や行動のひとつひとつがゆるゆると胸に染み込んで、時には甘くそこを締め付ける。 いつか離れる未来がわかっていても、永遠に傍にいたいと思えてしまうくらい大切なひと。 彼女がよく寄せてくれるすき、という想いはきっと、今痛いほどに丁を抱きしめているなまえへ向けるこの心なのだろう。 優しいにおいのする肩口に顔をうずめ、すきですよ、と彼女には聞こえないよう口の中で秘めやかに囁いて、やわらかななまえの身体にそっと腕を回したのだった。 |