久方ぶりに非番を貰ったある日のこと。買い物を済ませて自宅への道をたどっていると、ばったりと鉢合わせたのは鬼灯と、何やらかしこまった衣装に身を包んだ桃太郎たちだった。 桃しるしのついた羽織を着て、袴を身につけた彼に懐かしさがこみ上げる。 「わぁ、桃太郎さんどうしたんですかその格好!」 「少し現世まで鬼退治に行って、その帰りです」 「鬼退治?」 「イヤ、そんな大層なもんでもなかったでしょう…恥ずかしいからやめてくださいよホント……」 出会った頃と比べすっかり心を改めた桃太郎は、頬を上気させて視線をさまよわせている。彼に以前の傲慢さはかけらもなく、何だか微笑ましくなってくすりと笑う。やわらかな笑みを浮かべるなまえの隣へ愛らしい脚を跳ねさせながら駆け寄ったシロは、彼女が手にしている買い物用の鞄に鼻を近づけた。 「なまえさん買い物帰りだったの?」 「はい、そうですよ。今日はすき焼きにでもしようかと思って…あ、皆さんも来られますか?」 「え、いいんすか?」 「はい、ちょうどお肉が安くて…」 「なまえは安い物があると買い込みますからね。食べ切れなくてもいけませんし、どうぞいらして下さい」 「わーいお肉!お肉!」 ぴょこぴょこと跳ね回るシロをよそに、なまえの隣に佇んでいた鬼灯はさりげない仕草で彼女が抱えていた荷物をさらっていったのを、桃太郎は見逃さなかった。それを自然に受け入れるなまえの様子からこれが彼らの日常なのだと悟る。 今日あった出来事でも話しているのだろうか、顔をほころばせて楽しげに何やら言葉をつむぐなまえと、時折こっくりと相づちを打ちながら、普段からは想像もつかないほどのやわらかな眼差しで彼女を見つめる鬼灯。 少し手を伸ばし合えば触れるだろうその距離で肩を連ねて歩むふたり。自分たちがいなければきっと手を繋いでいたのだろう、恋人の先の関係を甘く睦むその情景が桃太郎のまぶたの裏に浮かんだ。 責務を負う補佐官からただの夫婦に戻った鬼灯たちを見ていると胸のあたりがほっこりとほぐれていく。 それはシロたちも同じようで、隣で足を進めるかつての仲間たちと顔を見合わせて微笑みあったのだった。 「さ、着きましたよ」 「うわ、立派なお宅ですね…」 「自分で言うのも何ですけど、結構気に入っているんですよ」 「2人でここにしようって決めたんです」 主人の帰りを待ちかまえるように佇む一軒の日本家屋。瓦屋根に上品な土壁、日本らしさを体現した趣を見せるその一軒家が彼らの住まいだ。 2人の住み処なのだとしみじみ感じたのか、くすぐったそうに笑んだなまえはほんのりと頬を染めながら桃太郎たちを中へと案内した。 格子がはめ込まれた引き戸を開き敷居をまたぐと、かすかな木のにおいが鼻をくすぐる。そこはかとない懐かしさを覚える香りの中、廊下を進んだ。通された広間もまた畳が敷かれており、古き良き日本の文化を感じてしまう。 「すっげー広いー!」 「おいコラシロ」 「ふふ、じゃあ私は支度しますね」 いつの間にか着物の袂をたすき紐で仕舞っていたなまえは格子戸で仕切られただけの隣接している台所へと立つ。 桃太郎は彼女の華奢な背中がせわしなく動き、とんとんと具材を切る小気味いい音を耳に入れながら向かいに腰を下ろす鬼灯に目を移した。 「何かこうして見ると良いお嫁さんって感じだね」 「なまえですか?……そうでしょうか」 「確かに仕事してる普段とはまた違うな」 「そうだなぁ、嫁に欲しいくらい…」 「…………」 「すっすみません口が滑りました」 「滑った、ということはそう思っていたということですか?桃太郎さんはなまえをそういう目で見ていたと」 「ちっ違いますって!本当、シロの言うとおりいい嫁さんだと思っただけで…!」 あんまりにも和やかな空気がたゆたっていたからつい気を抜いてしまった。つるりと機嫌良く滑った口をこれほどまでに恨んだことはない。 想い合っているのは明白だというのに、この手の話には過剰に反応を示す鬼灯の研ぎ澄まされた視線に切りつけられて桃太郎は身を縮ませる。2人が未だに蜜月のような睦まじさを見せているのは彼の冷めそうにない恋情があるからだろうか。 がたがたと身体を震わせながら正座し、折り畳んだ膝を見つめる桃太郎に一瞥をくれた鬼灯は小さく息をついた。 「まぁ世間的にはどうか知りませんが、私にとって良い嫁なのは認めますよ」 「それなまえさんが聞いたら喜ぶだろうな〜俺ちょっと行って来ようかな」 「シロさん、貴方も口を滑らせないよう縫いつけて差し上げましょうか」 「ええっ!何で!絶対喜ぶよ!」 「口に出さない方が上手くいく時もあるのです」 鬼灯の理屈はシロには通用しなかったようで、こてんと首を傾げる真白。なだめるように彼の柔い頭を撫でつけた鬼灯はおもむろに立ち上がり、格子戸に手をかけた。 「行っちゃうんですか?」 「ええ、もう出来上がる頃でしょうし」 「…ああ」 「え?何?」 またもやひとり首を傾げるシロを尻目に、桃太郎は納得したように頷いた。鬼灯たちの談笑を邪魔しないようにか、なまえは台所でほとんどの行程を済ませてしまっているようだった。漂う良い匂いと彼女の性格を察するところ、熱した土鍋ごと移動させようとしているのだろう。 鬼灯はどこか間の抜けている彼女が怪我でもするのではないかと懸念して席を立ったのだ。 現に指を手ぬぐいで覆った彼が鍋を手にこちらへ戻ってくる。 「鬼灯さんすみません、ありがとうございます」 「いいえ、ドジを踏んで火傷でもされるより私が運んだ方が安心できます」 「…はい」 嫌みとも取れるそれに隠された優しさを受け取ったのか、なまえはふわりと唇をほどけさせて鬼灯を見上げた。お互いを思いやって成り立つふたりの関係は夫婦としての理想の形だ。視線を交わす彼らの間にあたたかく甘みを帯びた空気がうまれると、こちらの方がむずがゆくなってしまう。 何ともなしに鬼灯たちから目をそらすと、なまえが思いついたように声をあげた。 「鬼灯さん、お酒飲まれますよね?お出ししますね」 「ああいいですよ、私が飲むんですから自分で出します。桃太郎さんもどうですか」 「あ、じゃあお願いします」 ひとり踵を返した鬼灯の背を見つめるなまえの瞳がほのかに熱をはらんでいて、それがまた桃太郎の胸の内をくすぐっていく。 情を通じあえる相手がいるということをこれほどまでに羨んだ日はない。ふう、と深いため息を吐いた桃太郎の目を忍ぶように、シロがなまえの耳元に愛くるしい口を寄せた。 内緒話を打ち明けるようにこっそりと鼓膜を揺らした獣の言葉になまえの頬が桜色に色づいていく。それと時を同じくして酒瓶を抱え戻った鬼灯が、彼女の紅潮した肌に目を止めて眉根を寄せた。 「あ、おいシロ何話したんだよ!?鬼灯様から止められてただろ!」 「えーだってさぁ…」 「……はあ、もういいですよ話してしまったのなら」 「……」 「…なまえ」 「っはい!?」 名を呼ばれびくりと肩を跳ねさせたなまえの隣に腰をおろした鬼灯がそっと彼女の耳に囁きを落とす。耳たぶをくすぐる温い吐息と間近に迫る彼の濡羽色の虹彩だけでもなまえの心の許容量を越えてしまうのに、そこに追い打ちをかけるように鼓膜をかすめる低いささめき。 ―「貴女はこれ以上ないくらい素敵な伴侶ですよ」 そんなことを言われたら、嬉しさと彼への想いで心臓が壊れてしまいそうなほどに高鳴る。甘く鼓動を速めていくそれを抱え、なまえは火照った息をゆるりと外気へ逃がした。 「ね、言ってよかったでしょ」 「シロ、お前なぁ…」 ふふん、と得意げに尾っぽを揺らす彼に呆れた目で一瞥したあと、身を寄せる夫婦を見やる。 何を言われたかはふたりだけの秘め事だろうが、彼女の幸せがあふれたような花笑みを見れば良いことであったのは一目瞭然だ。 彼らを見守り心がゆるんでいく感覚に浸る桃太郎はこの時、桃源郷に帰って早々ひとり店に残された上司に事のすべてが露呈し、自棄酒に付き合わされる羽目になろうとは思いもよらなかったのだった。 |