恋しぐれ | ナノ




金魚草や特徴的な地獄の植物に興味を示したシロたちと共にやって来たのは閻魔殿付近にある地獄博物館。その中に併設されている植物園へ足を向けたなまえと鬼灯、不喜処の動物獄卒たちは様々な植物が植栽されている園内を見て回っていた。
天上に手を伸ばす葉は毒々しい色合いにその身を彩っている。夜を飲み込んだような口をぱっくりと開き、そこから吐き出される地を這うような唸り声がおどろおどろしい雰囲気を漂わせている。あまり目にする機会のない花木はなまえの好奇心を刺激して、彼女はきらめかせた瞳を周囲に向けた。


「見たことない植物がたくさんあります…!」
「楽しそうで何よりです」
「鬼灯さんと金魚草を育てるようになったら何だか他の植物にも興味が出て来てしまって」
「…そうですか」


鬼灯によって染められていくなまえの嗜好にどこか充足感に満たされる。心を包むのは優越をはらんだいとおしさだ。それに浸るようになまえを見やった鬼灯に気がつき、彼女は不思議そうに首を傾げながらもほころぶような花笑みをたたえた。


「今度現世の植物園にも行きましょうか」
「はい、ぜひ!」


互いをやわらかな眼差しで見交わして、取り決めた小さな約束が幸せでたまらないという風にふわりとゆるめられたなまえの瞳。彼女のやわい虹彩に映し出される鬼灯もまた、同じ幸福に満たされていた。

毒草に分類される植物たちを眺めていると、目に入ったのは生薬にもなる抜草苦という植物。毒性も持つそれは亡者の傷口に根を張るもので、受苦無有数量処に多く生える植物だ。以前桃太郎が薬の材料として採取していたことを思い起こしたシロたちはさっと血の気を引かせた。


「改めて考えると薬剤師って国家が認めた劇薬のプロか……」
「桃太郎が目指す職怖ぇえ〜」
「私はそれを兎さんたちも志しているのが怖いです……」


麗らかな日の光を浴びて草を食む兎たちもあのふんわりとした愛らしい頭に刻々と薬の知識を蓄えているのだと思うと少しもの恐ろしくなる。
口元をひきつらせる彼らに追い打ちをかけるようなルリオの一言が飛んだ。


「医者が扱う注射だって強力だもんな」
「俺予防接種嫌い!」
「私だって注射は嫌ですよ」


鬼灯の言葉を受け、彼にも痛覚があったのか、と随分な物言いをするシロたちになまえは鬼インフルエンザの予防接種に出かけた時のことを想起した。

注射に並ぶ列が捌けていくのをむっすりと口を結んで睨みつけていた鬼灯が、言葉にはしなかったものの通常のそれより頑丈に出来ている針の先が肌を突き破るのを嫌悪していたことは安易に見て取れた。
鬼灯は存外痛みを得意としないらしく、嫌がるように歪められた表情は拗ねた幼子のようで、それがまたなまえの心をくすぐっていったことを覚えている。


「……ふふ、」
「何笑ってるんですか」
「いいえ、気になさらないでください」
「思い出し笑いなんてやらしいですね」
「や、やらしいことを考えていた訳ではありません…!」
「どうだか」


態とらしく肩をすくめてみせる鬼灯に違いますからね、と食い下がるなまえはからかわれているとは気がついていないようだ。
ほのかに頬を上気させて鬼灯の袖を引く彼女は相変わらず悪戯のし甲斐がある。愉悦をふくんだ眼差しを彼女に寄せている内に、けものたちは外国の植物が植えられたエリアへと足を進めていった。


「あ、柿助ー!ほらバナナ!」
「あのなー、猿=バナナって安易なこと考えてんだろ」
「じゃあ柿助さんは何が好物なんですか?」


洋食より和食派だ、と言う柿助になまえは首を傾げる。やはり果物類なのだろうが彼の好物は何だろう、と思案を巡らせていると、シロは合点がいったようにつぶらな目に力を込めた。


「あ柿?柿ですか旦那?」
「オマエ一回全身の毛むしっていいか?」
「柿?ねえ柿助の好物って柿?」
「こらシロさん、あまり追求してはだめですよ」


青筋をたてる柿助にひょこひょこと尻尾を揺らしながら彼にとって痛い部分への問いを重ねるシロを鬼灯と共に諌める。
鬼灯が次に目を向けたのは吊り下がるようにして育つ食肉植物だ。子供くらいなら平気でひと呑みしてしまいそうなほど大きいそれになまえがまぶたをまたたかせていると、彼は不意にシロを持ち上げた。
わずかに眇められた目は鋭さを帯びていて、嫌な予感が胸をよぎる。


「鬼灯さん、もしかして…だ、だめですよ?」
「さあ、何のことやら……。シロさんこれはですね、30分もすると何でも消化してしまう食肉植物です」
「出してー!出してー!」


抱えた犬をすっぽりと消化液がにじみ出る袋の中に収めてしまった鬼灯に苦く笑う。過去の汚点を無闇にえぐってはいけない、とシロを諭す鬼灯自身はその道理には当てはまらないようだ。

無事に救出されたその真白い毛並みがとろりとした粘度を持ったものに濡れているのを拭ってやると、シロはやわらかく尾を振って、お礼を言うようにその丸い頭をなまえの手のひらへと擦り付けた。


「ふふ、くすぐったいです」
「なまえさんの触り方って優しくて、俺好きだ」
「ありがとうございます」
「………ほら、行きますよ」


2人の周囲にあたたかい空気がほわりとたゆたうのを和やかな瞳で見守っていた鬼灯はそっとなまえの背に手を添えて歩みを促した。
次に訪れたのは天国、仙境に自生する植物が所狭しと置かれた一角だった。
先ほどとは打って変わり神々しい色彩が散りばめられた其処で、一際目を引いたのは根が銀、茎が金、そして実が真珠で出来ているという木だった。
竹取物語でも登場した蓬莱の玉の枝だろう。
思わず、ほうっと吐息したなまえは感嘆したように言葉をもらす。


「綺麗……」
「なまえはこういうの欲しいですか?」
「いえ、手元にあったら何だか落ち着きませんし、こうして皆さんの目に触れた方が良い物だと思います」
「なまえらしいですね」


慎み深い彼女らしい答えにおぼろげに瞳をゆるめた鬼灯はなまえを見つめながら、慈しむようにその柔らかな髪をやんわりと撫でた。
煌びやかな色を放つ場所を通り抜けると、次のエリアには刑場で馴染みのある樹木が根を下ろしていた。
その中でも頭の隅をつつかれるのは衆合地獄の呵責に用いられる刀葉樹だ。一見笹のようにさらりとしたさわやかさを持つ葉なのだが、触れると研ぎたての刃のように鋭さを増していくのだ。


「刀葉樹ですね。何だか懐かしいです」
「え?どうして懐かしいの?衆合地獄にある樹なんだよね?」
「ええ、でも私もこれに登って亡者を誘ったことがあるんです。随分昔のことですけど」


幼い身ながら経験したあの出来事は今でも記憶に残っている。あの時鬼灯に自ら縋ってしまったことも、全て。
何ともなしに気恥ずかしくなってふらりと視線を泳がせていると、鬼灯の声が降り注ぐ。


「まぁ、あんな気の休まらない思いはもうしたくありませんけど」
「…休まらなかったんですか?」
「種類は違えど、貴女を大切に想うことに変わりはありませんから」


シロたちには聞こえないよう、ひそめられた声音が耳を甘やかに撫でていく。なまえは恋しさといとおしさの狭間に揺れる想いを抱きながら、幸せに満たされたように頬をほころばせたのだった。

そして結局のところ植物園に訪れる発端となった金魚草については何の解明もされないまま、今日もそのざわめきは中庭を賑やかに飾りつけている。


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