彼のしっかりとした足取りに寄り添うようにゆらゆらと左右に遊ぶ着物の裾。 隣でなまえがゆったりと歩む調子に合わせて時折視線をくれる、いつものわかり難い優しさはなく、鬼灯は本来の自分のペースを保ちながら足を進める。 そんな彼の広い背中を追いながら、なまえは困り果てたような声音で鬼灯に語りかけた。 「鬼灯さん、機嫌治してくださいよ」 「別段不機嫌ということもないですが」 「嘘です、だったらこちらを向いてください」 「………」 前を行く彼はつん、という効果音がついてきそうな具合に顔を背けている。 普段の冷徹さや厳格な態度は微塵も感じさせず、今の鬼灯は駄々が通らなかった子供のごとく拗ねている風に見えた。 しかし、自分の思い通りの反応が得られなかったからといってこうもへそを曲げてしまうとはなまえも思わなかったのだ。恐らくなまえだけに垣間見せてくれる幼い部分にたまらないほどのいとしさを感じると共に、そっと呆れの交じったため息をこぼす。 事の発端は現世フェスティバルという、現世や人間に関するものを集めたイベントの企画が鬼灯の元に舞い込んできたことから始まるのだ。 何か参考に出来るものはないかとたまの休みを利用して現世に降り立った鬼灯に半ば連れ去られるようにして入ったお化け屋敷。 きっと恐怖に怯えるなまえが見たかったのだろう、鬼灯はどことなく喜々とした面もちで入り口の暗幕をくぐったのだが。 そこは地獄を題材とした一風変わったお化け屋敷で、多少驚く要素はあったものの簡単に出口までたどり着いてしまったのだ。それが彼には気に食わなかったらしく、地獄に戻ってきてからもむっすりと唇を引き結んだままなまえと目を合わせようともしなかった。 「もう、鬼灯さん?拗ねないでくださいってば」 「埴山姫の時から焦らされていた私の気持ちがわかりますか」 「いえ、わかりたくはないですね?」 「なまえが泣き叫ぶような心霊スポットを調べておかなくては……」 「ちょ、ちょっと何言ってるんですか!私行きませんからね!」 深く思案するように顎へと手を当てた鬼灯に、悪寒が背筋をぞわぞわと這いあがる。 それに急かされるようにして先を行く鬼灯に追いつこうと駆け足になってしまっているなまえに気がついた彼は、ようやく歩く速度をゆるりと落としてくれた。肩を連ねて鬼灯の顔をのぞきこむと、ばつが悪そうにふらりと目を泳がせた彼はひそめた声をなまえに注ぐ。 「すみません、いささか急いていたようですね」 「はい…でも逆さ鬼灯の模様が提灯みたいで、鬼灯さんの後ろを歩くのも良いものでしたよ」 「そうですか?しかし……なまえが隣にいないと落ち着かないものですね」 「私もそう思います」 鬼灯がいない隣は何故だか寒々しく、心にすきま風が吹いたように落ち着かなかった。彼がほんの少し遠くなっただけなのにじわじわと冷えていく指先が不快で、鬼灯を仰いでも黒曜色の虹彩にぬくもりを溶かしたような眼差しと視線が繋がらないのが嫌だった。 なまえは鬼灯の隣に身を置くことが最も自然であるべき形のような、歯車がかちりとはまったような感覚を覚えた。 ふたりはどちらからともなく顔を見合わせて、からまった瞳の先の恋しいひとにやわらかな想いを馳せたのだった。 * あの必ずしも楽しかったとは言い難い現世視察からいくらか時を置いた後日。今なまえたちが居るのはやがやとにぎわう祭りの会場だ。 わた飴を想起させる入道雲や自動車の写真が飾られている写真館や現世の菓子など様々な出店が立ち並ぶ中で、一際目をひくのは物々しい絶叫が響きわたる一角。その名も"亡者体験の館"だった。 小さな喧嘩の仲直りをしたあの後、お香や唐瓜、茄子と現世フェスティバルの出し物について試行錯誤した結果、"怖い"と"亡者を知る"という二つの条件をクリアした企画館を思いついたという閻魔の案を元に作られたのがその館だった。 とはいえやることはいつもの職務と変わらない拷問である。意外というか案の定というか、この企画に前のめり気味で乗り気だったのが鬼灯だ。 なまえを怖がらせるべくお化け屋敷に誘ったあの時見せた表情に似たものを浮かべながら準備にいそしむ彼は心から楽しんでいたようで、それは館へと足を踏み入れてしまった鬼たちの呵責に励む今も同じだ。 何だか腑に落ちないような思いを抱えつつ、客を痛めつけている鬼灯を見守る。 「なまえも久しぶりにどうですか」 「そ、そんな気軽に拷問に誘わないでくださいよ…!」 「ああ、なまえには鞭や金棒よりこちらの方が良いですかね」 「……」 どこからか舌切り鋏を取り出した鬼灯にひくりと口元を引きつらせたなまえは苦い思い出を想起して思わず自身の手のひらに目を落とす。 鬼灯のぬくもりが手の甲に触れ、有無を言わせず切り落とした亡者の舌。ぶつり、という生々しい音と力を込めるごとに肉へと食い込むあのやわらかい感触は鮮烈になまえの記憶へ刻まれた。 「舌切り鋏はまだちょっと…」 「アラ、ならこれは?」 いくら苦手とはいえ逃げてばかりもいられない。拷問も職務のひとつなのだからと情けなく縮こまりそうになる自身を叱咤するなまえに、お香は艶の差した笑みを向けながら鞭を差し出す。鋏よりはと革で出来た上等なものらしいそれを受け取ると、彼女は鬼灯の足によって踏みつけられた鬼を見、意を決して鞭をしならせた。 「ご、ごめんなさい!」 「いてっ!ももうちょっと優しく…うっ」 「ええと、このくらいですか…?」 「あ……っうんいいよ…!」 「本当にそういうクラブみたいだからもうやめてください!」 必死に鞭を振り下ろすなまえはほのかに頬を火照らせて、慣れない呵責に息を切らしている。革製のそれに打たれ、掠れた声で力の強弱を要求する鬼も大概悦に入っているように見えた。 このままでは獄卒の威厳に関わる問題になりかねないと唐瓜が止めに入るよりも早く、重厚なそれが重たく空を切る音が響いた。 武骨な金棒をその身に受けた彼はばったりと地に伏せ、身動きすることすら敵わないようだった。呵責をする際の相方であるそれを肩へと担いだ鬼灯はむっすりと唇を引き結び、未だに頬を赤らめるなまえを不機嫌そうに見下ろした。 「なまえ、もう結構です。やはり貴女は拷問に向いていません」 「頑張ったんですけど…だめでした?」 熱を帯びたやわい頬をぐりぐりと撫でさする鬼灯は、拷問に緊張したからとはいえ他の男が要因で色づいた肌を良しとしないようだった。 それを塗り替えようとするかのように優しい仕草に変化した鬼灯の手にじわりと熱をためる顔を自覚していると、艶やかに首を傾げたお香が口を開いた。 「こうして見ると、なまえちゃんってやっぱり衆合地獄の適性があると思うんだけど………」 「そうですか?お香さんにそう言って頂けると何だか誇らしいです」 「絶対に許しませんよ、なまえも嬉しそうにするんじゃありません」 知らぬところで色目を使うなまえもそれに誘われる男も、想像しただけではらわたが煮えるような想いに苛まれる。全く油断も隙も無い、と鬼灯は谷よりも深い息をひとつ吐き、わずかに嬉しそうな微笑みをにじませるなまえの額をやわらかに小突いたのだった。 |