パシャパシャ、と目がくらむようなフラッシュが瞬く。小判から地獄で働く猫獄卒を写真に収めたいと頼まれたその付き添いで、というより監視も兼ねて鬼灯と共に刑場を回ることになったのだ。次々とファインダーに切り取られていく可愛らしい猫たちに心がほんわりと癒されていき、なまえの口元に笑みが浮かぶ。 「しかしこんなにたくさん猫ばかり撮ってどうするんです?」 「"美しすぎる働く猫"みてーな記事を作るんです」 「また下世話な……後で送ってください」 「見てーんじゃニャーか」 憮然とした表情を崩さずに猫たちの記事を催促する鬼灯はやはり動物が好きらしい。動物たちの写真集がひそかに彼の私室の本棚に置かれているのも知っている。 微笑みを口の端からくすりともらすと、なまえに視線を送った鬼灯は小さく首を傾げてひとつ訊ねる。 「なまえも見たいですよね?」 「はい。一緒に見ましょうね」 肩を寄せあって猫の可愛らしい姿を拝むことは彼らの中で既に決定事項となっているらしい。鬼灯と彼女の仲が蜜月とも呼ぶべきそれであることは知っているが、普段の厳格な姿からは想像もつかないその言動に呆気にとられることも少なくない。 2人の夫婦仲についてぜひとも記事にしたいところではあるが、殊更小判には警戒して然るべきという考えを持つ鬼灯がいる限り容易ではないだろう。 しかし虎視眈々と獲物をねらうのは最早猫の習性だ。何とかこの仲睦まじいつがいに取り入られるようなほころびはないものかと小判はその鋭い猫の目をぎらりと光らせた。 不穏な眼光を閃かす小判に敏く目をつけた鬼灯は、おもむろに屈み込むと緩慢とした手つきで彼の小さな頭をがしりと掴む。 「何か妙なこと考えてませんよね」 「ニャ!?そそんなことニャいですよォ」 「…貴方の低俗なゴシップになまえを巻き込むようなことをしたら本当に、……潰しますからね」 「ひいい」 「ど、どうしたんですか小判さん!」 猫獄卒たちの様子を見ていたなまえには聞こえないほどまで声を落とし、唸るように低く呟かれたその言葉は鬼灯の鬼気迫る表情と相俟って小判の身体を縮みあがらせた。 がたがたと身を震わせ頭を抱えるようにして地面にうずくまった猫又に気がついたなまえは、いたわるようにその小さくやわらかな背をさすってやる。 「鬼灯さん?小判さんに何か言いました?」 「いえ、特には。親切に忠告して差し上げたまでで、怯えられるような謂われはありませんね」 「親切に、ですか…」 「ところでなまえ、慰めるのはもういいでしょう。次に行きますよ」 まだ丸みを帯びたそこを往復していたなまえの手をさらうように取ると、地に伏す小判には一瞥もくれることなく足を進め始める。 小さくなる2人の背中に慌てたように飛び起きた小判は気を取り直したように手記を手に鬼灯たちを追いかけた。そのちっぽけな胸にいつかあの冷徹無慈悲な鬼神を出し抜いてやろうという燃えるような野望を抱いて。 * 「着きましたよ、ここです」 ぐるる、と風の呻きにも似た重低音がもの恐ろしく周囲に響きわたるそこは火車が寝床とする地獄の入り口だ。 是非とも彼女を取材したいという小判の頼みから案内したその場所には通常の何十倍もの大きさのキャットタワーが聳えており、傍にはなまえすらも軽々と飲み込めてしまえるほどの猫ちぐらが置かれていた。 鬼灯の呼び声に応えてその頂点を目にすることもままならない塔の天辺から、どしん、と大地が震えるほどの衝撃を伝えて降り立ったのは亡者を地獄へ運ぶ役目を担っている巨大な化け猫、火車だ。 すっと細められた瞳孔に大きな口からのぞくひと噛みで骨まで砕けてしまえそうな牙、槍の穂先のように研ぎ澄まされた爪に恐怖した小判とは対照的に、気安い様子で彼女に近寄っていったのはなまえだ。 その恐ろしい凶器が目と鼻の先に突きつけられているのにも関わらず、火車のやわらかな喉元に手のひらをうずめ、もふもふと撫でる彼女に思わず鬼灯の着物の裾を引っ張ってしまう。 「なまえ様呑気に愛でてますけど…だ、大丈夫ニャんですかイ?一応化け猫ですよねェ?」 「平気ですよ、彼女たちは仲が良いですから」 冷静にそう言う鬼灯に倣ってなまえたちに目を向けると、火車は確かにごろごろと喉を鳴らして彼女の愛撫に甘えるように身体を寄せていた。こうして見るとそこらにいる猫と何ら変わりないのだが、やはりその見た目には物怖じしてしまうほど迫力を感じる。 新顔の小判が気になったのだろう、火車はなまえが撫でやすいように曲げていた背をぴしりと伸ばし、見下すように問いかけた。 「ところでにゃんか用かい、アンタは何だい?」 「わわっちは小判っちゅーチンケな記者でさァ!」 「小判さんは猫を特集した記事を書くために火車さんに取材をお願いしたいそうですよ」 「因みにゴシップ誌です」 火車はいかがわしいね、とひとりごちた後、舌なめずりをして小判を牽制しながらも取材に応じる気になったようだ。 獄卒として務めるようになった経緯まで話した彼女は、案外小判のことが気に入ったらしい。ちょうどひとり裁判にかけるまでもなく地獄逝きが決まった亡者がいるということで、迎えに行くのに小判も連れていくと火車は言う。 "お迎え"に使用される彼女の愛車であるバイクの荷台は、鬼灯と小判、そして亡者を連れ帰ることを考えれば定員いっぱいだろう。 「じゃあ私は帰りをお待ちしていますね」 「本当に代わらなくていいんですか?火車さんのバイクに乗るの好きじゃないですか」 「いいんですよ、気にせず行ってきてください」 ふわりと笑んで見送るように手を振るなまえ。包み込むようなやわらかな空気をにじませる彼女と頑強な火車のバイクが何ともアンバランスに並んでいるのを見ていると、なまえとの思い出が色あせることなく脳裏に浮かび上がる。 視察の際初めて火車の愛車に乗ることになったときのことだ。すっかりはしゃいでしまってサイドカーから転がり落ちてしまわないかと何度人知れず肝を冷やしたことか。存外好奇心の強い彼女が怖がるとは思っていなかったが、もうあんな思いは御免被りたいものだ、と鬼灯は内心でため息をこぼした。 彼を横目に、ひとつ頷いてみせた火車はその大きな口を開く。 「そうだねぇ、ついこの間乗せてあげたばかりだし」 「はい?」 「か火車さん、それは内緒ですってば!」 「おや、鬼灯様には秘密だったかねぇ」 「…なまえ、貴女隠し事がいささか多くありませんか」 秘密が多いといってもなまえのそれは子供がするいたずらのような可愛らしいものばかりなのであまり懸念したことはないが、それでも隠し立てされるのは気分の良いものではない。内容というよりは鬼灯にもなまえに関することで知らない事情があるという事実が気に食わないのだ。 じとりと探るような眼差しを受けて冷や汗を浮かべたなまえは、観念したように首をすくめながら白状していく。 「この間の非番の日、火車さんのバイクに乗せてもらったんです」 「ほう、さぞや楽しかったでしょうねぇ」 「う、怒らないでください…!もう乗ったりしませんから!」 「いえ、別に乗るなとは言ってません。そのことを隠そうとしたなまえの態度が気に障っただけで、ね」 「ごごめんなさい……」 しゅんと身を縮こまらせながら反省したように眉尻を下げたなまえに吐息した鬼灯は、この話題はこれで終わりだというように彼女の頬をなぞる髪に優しい仕草で指先を通した。 修羅場を期待していたのか視界の端でわくわくと胸を弾ませてこちらをうかがう小判を認めると、鬼灯はその首根っこをひっつかんでサイドカーに放り込んでしまった。 幾らか表情をほぐしたなまえは鬼灯が触れた感触を追うように髪に指をすべらせたあと、ほのかな桜色に頬を染めたまま彼らが乗り込んだバイクを見上げた。 「じゃ、行ってくるよ」 「はい、お気をつけて」 「いい子にしててくださいね」 「鬼灯さんも落っこちないようにしてくださいよ?」 「誰に言ってるんですか」 ひねくれた物言いをする鬼灯の真似をして冗談めかした科白をつむいだなまえは、ひらりと手を振る彼に微笑み返す。 そうしてエンジンをふかしてぐんぐんとスピードをあげていく火の車が星くずのように小さくなるまで、雷を思わせる化け猫の喉鳴りの音が途絶えるまで見守っていたのだった。 |