「コスプレショーですか?」 「うん、鬼卒導士チャイニーズエンジェル」 「行きたい」 くいくい、と着物の袖を引かれて見下ろせば、座敷童子たちが丸い瞳でなまえを見上げ、もう一度ねだるように袖を引く。 先から彼女たちがしきりに行きたいとせがむのは子供たちに人気のあるアニメのコスプレショーのことだ。ヒーローに憧れたりもするのだから相応に子供らしいところもあるのだな、と微笑ましく思いながら彼女たちの切りそろえられた髪をゆるゆると撫でる。 感情の起伏に乏しい黒塗りの虹彩にきらりとした光の粒が揺らぐのを見て、なまえは眦をゆるめつつ鬼灯を肩越しに振り返った。 「鬼灯さん、どうしましょうか?」 「…なまえも行きたそうですね」 「え?そ、そうですか?実は…このイベントにマキさんが出るらしいんです」 「ああ、道理で……まぁ、行ってもいいですよ」 「わぁ本当ですか!?」 期待に満ちたようにきらめく瞳をむっつも寄せられれば頷くしかない。幼子2人と一緒になって無邪気にはしゃぐなまえを見る鬼灯の眼差しはあたたかく、やわらかさをはらんだものだった。 一方でなまえの手を握り、無表情ながらにくるくると回って喜びを表していた黒と白は不意に立ち止まり、あどけなく首を傾げた。 「そういえばマキって誰?」 「ああ、2人は知らないんでしたっけ。アイドルの方ですよ、このエンジェルうぐいす…という役を務められるみたいです」 「なまえ、好きなの?」 「はい、マキさんは可愛いだけではなくて何にも一生懸命で…元気を貰えるんです」 「………」 友人でもある彼女を胸に思い浮かべながらふわりともの柔らかな笑みを唇に乗せてそう言うと、2人は顔を見合わせたあと鬼灯の元へと駆けていってしまう。何かを訴えかけるように鬼灯を仰ぐ彼女たちを不思議に思いつつ眺めていると、その小さな唇から発せられた科白になまえは慌てて3人に近寄った。 「浮気だよ鬼灯様」 「なまえ、うぐいすのこと好きなんだって」 「そそれは浮気とは言いません!ね、鬼灯さん!」 「よく気がつきましたね、私も怪しいと思ってたんですよ」 「ええっ」 浮気だ、とこそこそとささやき合う座敷童子たちにここぞとばかりに便乗した鬼灯は、日頃腹の中にたまっていたマキに対する淡い嫉妬のようなものを吐き出すようにため息混じりにぼやいた。 焦って手をこまねいている内に彼らの中でどんどんふくらんでいく浮気疑惑を晴らそうと、なまえは一心で口を開く。 「マキさんは女性ですよ?浮気とかじゃありませんってば!」 「ですが最近私と話す時には、決まってマキさんの話題になるじゃないですか」 「それは、鬼灯さんとの共通の友人だからで」 「随分楽しそうですし、よほど彼女が好きなんでしょうね」 「…鬼灯さん……子供みたいですよ?」 確かにマキは近頃ますます人気を集め、メディアでの露出も多くなってきたことが嬉しくて鬼灯との会話に度々登場したけれど、彼がそれに釈然としない思いをくすぶらせていたなんて知らなかった。 驚いた半面、なまえだけに向けるその稚拙な表情が子供のようでひどくいとおしい。 むっすりと不機嫌そうな顔を象った鬼灯に思わず本音をこぼしてしまうと、ぴくりと肩を揺らした彼はどこか開き直ったようになまえを見据える。 「自分の嫁が別の人間に心動かされている姿を平然と見守ることが大人の定義なら、私は餓鬼で結構ですよ」 「………鬼灯さん」 「…私が存外独占欲が強いことはもう知っているでしょう」 「……はい、鬼灯さんのそんなところも好いと思いますよ」 彼が堂々と口に出すその科白は幼い独占欲のかたまりのような物なのに、胸の奥がやわくくすぐられたような感覚を覚えて顔をほころばせてしまう。 鬼灯はそんななまえに呆れたように目を眇めながら、心の底に降り積もっていた澱みを吐露出来たことに胸のすくような思いを抱いた。 あまやかな慈しみをにじませた瞳で互いを見交わす2人を見つめた幼子たちは、おもむろに口元をやわらげたのだった。 * たどり着いた会場にはどうやら座敷童子たちのお目当てだったチャイニーズエンジェルのショーだけではなく、アニメ祭りと称して様々なグッズなどが売られる露店も出ているようだった。 ごちゃっとしていてまとまりのない出店が立ち並ぶそこはどこか現世の秋葉原を彷彿とさせる。なまえは騒々しい周囲のあちこちに興味を示しながら、子供たちに混じって席についた。 「私コスプレショーって初めて来たんですけど、楽しいですね!」 「それは良かったです。が、やっぱり子供連れの客が多いですね」 「そうですね……あ、でもあの人たちは何でしょう、知り合いの子に写真でもねだられたんでしょうか」 黒く縁どられたメガネにチャイニーズエンジェルの可愛らしい衣装をまとった小太りの男性。よく見ると同じような雰囲気の男たちがカメラを構えて、皆一様にマキが活躍する舞台上をファインダーに収めている。 首を傾げながら彼らを眺めるなまえの頭にぽん、とやわらかく手を置いた鬼灯は口元に手をやり、彼女に顔を寄せるとそっと言葉を落とす。 「彼らはファンですよ」 「ファンってマキさんたちの?」 「いえ、マキさん演じるエンジェルうぐいすの、です」 こそこそと内緒話をするように距離を縮める2人を座敷童子たちは不思議そうに見上げる。 なまえは鬼灯と共に幼子たちの頭をはぐらかすように撫でてやりながら、納得したように頷いた。子供にせがまれて仕方なく、というよりは自分たちのために必死にシャッターを切っている疑問がようやく解けたのだ。 ただ、ヒロインに扮する彼女たちを見つめる瞳をぎらぎらと輝かせている様子がどこか異様で、心に引っかかるものを覚える。少々度をすぎて気分を高揚させているように見え、マキたちに危害が及ばないと良いのだけれど、となまえは一抹の不安を胸に抱えたのだった。 ところ変わり控え室。ショーの途中でマキと目が合ったように思えたのは気のせいではなかったらしい。控え室へと案内されたなまえたちは鮮やかな鶯色の衣装に身を包んだマキと談笑していた。 「ああ、この子達の付き添いで…………まさかとは思いますけどおふたりの…?」 「ち、違いますよ!今閻魔殿で預かっている座敷童子さんたちです!」 「…そんなに必死に否定しなくともいいじゃないですか」 「で、ですけど」 「失礼しま〜〜す」 勘違いされたままではなまえの容量を簡単に超えてしまうくらいの気恥ずかしさで耐えられなくなるのは目に見えているのだ、細く研がれた瞳でいくら睨まれてもこの誤解は解かなければ自身が危うい。 もうすでに頬を桜色に染めているなまえが話題を逸らそうと口を開くより早く、控え室の扉が開け放たれた。そこから顔をのぞかせたのはショーで敵役として登場していた可愛らしい女の子だ。 ミキと名乗った彼女もアイドルらしく、ショーでのキャラを崩さずにマキと挨拶を交わしたあと律儀に手みやげを差し出した。強烈なキャラクター設定とは裏腹に本来はまじめな性分なのかも知れない。否、まじめだからこそ枠から突出したキャラクター性を維持出来ているといった方が正しいのかも知れないけれど。 会話を進めていく内に徹底していた語尾が外れてしまい、慌てて修正する彼女も初期の頃のマキのように事務所の方針に振り回されているようだ。どこか荒んだ瞳に苦労の色を見て取ったなまえは眉尻を下げながら呟いた。 「…何だか彼女も大変そうですね…」 「そうですね、営業なんかも苦労しそうです」 「そんなことないニャーン毎日バカみたいに楽しいニャーン!!」 あはは、と辛さを通り越して開き直ったような彼女の笑い声は鬼気迫るものがあり、困ったようにマキと顔を見合わせたなまえはそっとミキの手を取った。 絹のような白い肌には幾重にも積み重なった辛酸が染み付いているのだと思うと胸がきりきりと痛む。労わるようにきゅっと握り、心からの言葉をつむいだ。 「同じアイドル事務所同士、相談ならいつでもしてね!?」 「よければ私にも言ってください、お話だけでも聞きますから」 「わあ友達2人も出来たニ"ャ"ア"ア"ア"ア"」 「怖い!!」 そんな会話を交わしていた時だった。一般人が入って来られる筈のない控え室の外が何やらざわざわと騒がしくなり、その声は着実にその固い扉を侵食していく。 何だろうかと無垢に首を傾げたなまえを、鬼灯はちょいちょいと指を折って手招きをした。まぶたをまたたかせながらも従順にこちらへ近寄る彼女の手を鬼灯の武骨な手のひらが引いたのと、ばたん、と勢いよくドアが開放されたのはおおよそ同時期のことだった。 「うぐいすタンー」 「!?」 「…お、お知り合いですか?」 「ちっ違いますよ!誰!?」 戸口に立っていたのはうぐいすの可憐な装束に身を包んだ中年ほどに見える男性で、マキをうぐいすの愛称で呼ぶ彼はエンジェルうぐいすを心底愛してやまないらしく息荒く彼女たちに迫っていく。 その形相になまえは背筋にぞわぞわと悪寒が走るのを感じながらぎゅっと拳を握った。たまらず悲鳴をあげる彼女たちを何とか助けようと、鬼灯が止める間もなくなまえは駆け出す。 「あ、こらなまえ!」 「少し落ち着きましょう、ね!?」 「キミは何のコスプレしてるの?何かのアニメのキャラかな!?なかなか好みだよぉぉ」 「ああの…!」 なまえは男とマキたちの合間に身体を滑り込ませ、どうにかして諌めようとするけれどすっかり興奮してしまった彼は止まる気配はない。むしろなまえを巻き込んで一層強くこちらへ詰め寄って来る彼に思わず目を瞑ったその瞬間だった。 耳に届いたのは固い骨同士がぶつかった痛々しい音と、次いで壁にめり込むような重く厚みのある物音。恐る恐る目を開けると飛び込んできたのはコンクリートに食い込んだ巨体、それを中心に深く刻まれる皹だ。 「え…」 「なまえ」 「へ?わっ、」 まともな反応を取る暇もなく鬼灯に肩を引き寄せられ、半ば連れ去られるようにそこを後にする。 控え室を出、長い廊下を引き返す鬼灯はなまえに一瞥でもくれることはなかった。力強く引かれる仕草とは裏腹になまえの手を握る鬼灯の体温はひどく優しいあたたかさで、それが苦しく感じるほどに恋しかった。その手から強い懸念が伝わってきて、とても心配させてしまったのだと後悔が残る。 前を行く鬼灯の歩みに合わせてさらりと揺れる、流れるような黒髪をそっと見上げた。 「ごめんなさい、私…無茶をしました」 「…………本当に…これだから危うくて、常々傍に置いておかなければならないと思ってしまうんですよ」 「…すみません」 「まぁ…それが私の特権ですけど」 ひとつ深いため息をついた鬼灯は存外腹立ちを覚えている様子はなく、どちらかといえば呆れ返ったように目を細めている。漸くなまえへ寄せた眼差しには確かな愛慕の色がひらめいていて、それに応えるように彼女はやわらかな笑みを咲かせたのだった。 |