恋しぐれ | ナノ




「…あっ」


記録課から執務室へと戻る途中通りかかった資料室、そこで何やら真剣な顔でパソコンと向かい合っているのは鬼灯だった。自然と目を惹かれてしまう彼の姿を見つけたなまえはそっと近づいて小首を傾げた。


「鬼灯さん?調べ物ですか?」
「ああ、なまえ。少し座敷童子たちのことを調べていたんです」
「……そういえば最近見ませんね…どこに行ってしまったんでしょう」
「そんなに寂しそうな顔をせずともすぐに帰ってきますよ。それより突っ立ってないで座ったらどうです?」


近頃姿を現さなくなった幼子を思ってしゅんと沈んだ表情を見せたなまえを椅子へ座るよう促し、素直に従う彼女の頭をなだめるようにやわく撫でてやる。

寂しげに伏せられていた瞳が心地よさそうにふわっと弧を描いたのを目にしながら、鬼灯は神獣の元にいるであろう彼女たちを思い浮かべた。
まさか嫌がらせついでに吉兆の印である彼に座敷童子のルールが通用するか試そうと思案した、などとはなまえには言えず、素知らぬふりを決め込みながら彼女の柔らかい髪を指先で梳かす。
暫く液晶に映った文字を2人でたどっていると、困ったように笑ったなまえが首をすくめた。


「やっぱり彼女たちは悪戯好きなんですね」
「…ああ、なまえはしょっちゅうからかわれてますもんね」
「………苛めっ子に好かれやすいんでしょうか?」
「何故そこで私を見るんです」


不思議そうに首を傾げて鬼灯を見上げるなまえの額をこつん、と軽く小突く。照れたようにはにかむ彼女は存外嫌がってもいなさそうで、むしろ気恥ずかしさから茶化しただけのようだ。
この分なら座敷童子たちを閻魔殿に迎えても問題なさそうだ、と彼女たちの今後に思考を巡らせていると、なまえは唐突に鬼灯の顔をひょこりとのぞきこんだ。


「…何か企んでません?」
「……いえ、別に何も」
「………」
「…………」


核心を突くように鬼灯を見つめる彼女を通常どおりの無表情で見返すと、片眉を小さく上げたなまえは訝しむような眼差しを彼に寄せた。
なまえに対して謀を隠し通し難くなってきたことに厄介だと思う反面、心が淡く和らいでいく感覚を覚える。心が、そして思考さえも通じ合う理解者と巡り会えたことを幸福と言わず何と表せばいいのだろうか。
柄にもなくそんなことを感じ入って、ひとりきまりが悪くなりながらなまえから顔を背ける。


「やっぱり何か隠してますよね?」
「………」
「鬼灯さん?こっち向いてください」
「あれ、2人してこんなところで何やってるの?」
「大王、珍しく役に立ちましたね」
「何それひどい言い様だな!」


鬼灯たちのにぎやかな声に誘われたのか、姿を現したのは閻魔だ。2人仲良く顔を寄せてパソコンを眺めている理由が気になったのだろう、顔に朗らかな笑みを浮かばせてこちらへ歩み寄る閻魔を今ばかりは見直したと頷く鬼灯は、これ幸いと話題を移した。


「座敷童子は小豆飯が好物らしいですよ」
「そうなんですか、作れるように練習しておかないと……」
「なまえちゃんはもうすっかりお母さんって感じだねぇ」
「お母さん…ちゃんとやれてるでしょうか」


なまえの言葉を受けて、機械が得意ではない彼女に代わって小豆飯の作り方を調べ始めた鬼灯もさながら父親のようで。感慨深げにもらした閻魔の科白にほんのり頬を染めたのも束の間、なまえは不安そうな声音をこぼした。

彼女たちの本当の母親にはどうしたってなれないけれど、それと同じくらい2人にとって心安らぐ場所になれたらいいと、現世から連れ帰って来たその時から思っていた。
家がない2人に穏やかなひとときを与えられるような、安心して身を預けられるような存在になりたい。そう願ったのは一度だけではなかった。
なまえが傍にいられる時は、彼女たちが内に秘める憂いごとも懸念もゆるやかに溶かして包み込んでしまえたらどんなにいいか、そう思ったこともある。

思考の底に沈むなまえの肩を優しくたたいたのは鬼灯だ。彼は思い悩むように顔を曇らせたなまえに向かっていとおしそうに
目を眇め、口を開いた。


「心配しなくともなまえはよくやっていますよ。獄卒たちを見ればわかるでしょう」
「……?獄卒の皆さんですか?」
「おや、知らないんですか?私たち4人が揃うとまるで家族のように見えるそうですよ」
「!か、家族、ですか」


思いがけない言葉に嬉しいやらくすぐったいやらで逃げるように視線を移した先の閻魔もうんうん、と同意するように頷いており、なまえはますます頬の熱
に灯した。
耳の先まで朱に色づいたなまえは、こらえきれなかったのかくすぐったそうな微笑みを唇に乗せている。
そんなあたたかな優しさと慈愛に満ちた彼女だから、柔和な空気をこぼす彼女だから座敷童子も懐いているのだ。恐らく他に類を見ないほどのお人好しで素直な部分も2人のいたずら心を上手につついている筈だ。斯く言う鬼灯もそうなのだから。


「でも何で座敷童子の好物なんて調べてたの?」
「近々ここに住んでもらうかも知れないので、少し下調べを」
「ここに、ですか?でも閻魔殿は商家ではないですよね…?」
「ええ、そうなんですけど…あ」
「え?」


かたかたとパソコンをいじっていた鬼灯が見ていたのは不動産会社のホームページだった。そこに売りに出されている見慣れた住所に目を丸くしたなまえは、素早く画面を閉じてしまった鬼灯に問いつめるような視線を送る。
なまえの見間違いでなければ、先ほど彼が隠そうとした売り物件は桃源郷に居を構える白澤の店だ。ふるふると震える指先を液晶に向け、とぼけるように肩をすくめた鬼灯に声をあげた。


「い、今の白澤様のお店じゃ」
「さあ、なまえの見間違いでしょう」
「じゃあ何で2人が閻魔殿に住むかも知れないって話になったんです?神獣である白澤様に座敷童子のルールが通用するか試したんじゃないですか?売りに出されていたのは結果が出たということですよね?それで次は閻魔殿に……」
「…さすがですね、察しが良い」
「……鬼灯さんのことですからね、慣れてしまいました」


無駄に察しが良くなってしまったのも長年彼の傍に寄り添っていたからか。しかし鬼灯の謀を止めるには至らないため、喜ぶべきなのかはわからない。
はあ、と脱力したように椅子の背へ身体をもたれ掛かったなまえはおもむろに携帯を取り出した。
彼女が連絡を取ろうとしているのは恐らくあの神獣だ。鬼灯もなまえの行動原理は透かしたように理解できるので、彼女の手から素早く矩形の機械をさらう。


「あ、何するんですか鬼灯さん!」
「アレに謝罪でもするつもりでしょうが、必要ありませんよ」
「でも鬼灯さんは死んでも謝らないでしょう?夫の至らない事後処理をするのも、つ、妻の役目ですから!」
「そこ噛まないでくださいよ。っていうか私死んでますし」
「もう、屁理屈はいいんですー!」


返してください、と立ち上がったなまえに対抗して腰をあげ、ついでに携帯を掴んだ手も頭上に掲げる。
すかっと虚しく宙を掻く指先に唇をとがらせたなまえは、しかめっ面のまま鬼灯を上目に睨みあげた。痛くもかゆくもない眼差しを易々と受け止めつつ、むきになって踵を持ち上げたなまえが鬼灯の手を目指してぴょんと飛び跳ねるのを眺めた。


「無理すると転びますよ」
「鬼灯さんがっ、素直に渡してくれたら、いいんですっ、あっ!」
「ほら言わんこっちゃない。……怪我をする前にやめておきなさい」


バランスを崩したなまえがぐらりと身を傾けるのを難なく支えた鬼灯は、なだめるように彼女の目の縁を指の背でなぞっていく。触れ合った肌からじわじわとあまやかな熱がうまれていく感覚に気恥ずかしさを覚えたなまえは、伸ばしていた腕をおろした。
ようやく大人しくなったなまえをゆるんだ虹彩で見つめていた鬼灯の携帯が着信を告げ、画面に記された名前を一瞥して電話に出る。

そんな彼をよそに耳の奥でうるさく鳴り響く心臓を抱えたまま立ち尽くすなまえは、もはや指の先にまで伝染したぬくもりに諦めといとしさの混じったため息をつきながら電話口の向こう側に優越が差したような表情を見せる鬼灯の横顔を見上げたのだった。


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