恋しぐれ | ナノ




転生の申請に関わる書類を整理していた時、ふと目についた数枚の書類。そこに事細かに記載されていたのは賽の河原の所謂ガキ大将をつとめる碼紫愛のことだった。近頃鬼灯が忙しなく多方の課へ掛け合っていたのはこのためだったのだと気がついたなまえは、ゆるんでしまう頬の止められないまま彼へ声をかけた。


「碼紫愛くんが次の転生に選ばれたんですか?わあ、良かったですね!」
「改革までするほど望んでいたことですからね」


賽の河原で積み石の呵責を受けている子供たちを束ねて獄卒を人質に取るほど、彼らの中で1番転生を希望していたのが碼紫愛だ。
しかし通常より幾分か転生の時期が早いように思える。まさか彼の思いを汲んであげたのだろうか、と名簿を手にした鬼灯の顔をのぞきこむ。


「何ですか?」
「いえ、やっぱり鬼灯さんって優しいなと思って」
「…そんな風に言うのはなまえくらいですよ」


地獄を以前より手厳しいものにした張本人、冷徹・厳格・ドSの三拍子揃った鬼灯を優しいと表現した彼女はやわらかな空気をまといながら笑む。優しいという単語は慈しみに満ちたなまえのような娘を指すものだろう。眉をひそめながらも内側をくすぐられたような感覚に襲われ、一際眉間の谷を深くした鬼灯は話を戻すように咳払いをひとつして口を開いた。


「で、申請も通ったことですしこれから賽の河原にお地蔵様と向かおうと思うんですが、なまえも来ます?」
「行きます!お別れもしたいですし、お祝いも…何がいいですかね、ビスコとか好きでしょうか」
「子供はビスコが好きという固定概念…っていうかなまえ、執務室に菓子を持ち込まないでくださいよ」
「あ、鬼灯さんには内緒だったんでした…!」


ごそごそと机を探ったなまえが取り出した菓子に呆れたような眼差しを投げる鬼灯にまぶたをまたたかせる。なまえが持ち込んだのではなく徹夜で仕事をこなしていた彼女に閻魔がくれた物なのだが、鬼灯には言わない方がいいだろうとはぐらかすように曖昧な笑顔を形づくった。
鬼灯にはつくり笑いだとわかるような表情を浮かべたなまえにきゅっと唇を引き結んだ鬼神は閻魔がいるであろう裁判所の方へと鋭い視線をとばした。


「孫に餌付けする爺か」
「えーっと、お、お夜食のつもりだったんですよ!」
「なまえも、夜中に糖分を摂取したらそのまま脂肪になりますよ」
「うっ…」
「いつかは大王みたいな腹に……」
「や、やめてくださいよ!」


なまえの場合はむしろもっと太った方が良いのだろうが、彼女を見ているとどうにもからかいたくなって仕方がない。さっと顔を青ざめさせてお腹を抱えるなまえに眉を上げると、いつもの意地悪なのだと気がついた彼女は鬼灯を上目に睨みあげたあと、ふいっとそっぽを向いてしまった。
なだめるようにやんわりと頭を撫でつける仕草に腑に落ちない思いはあるけれど、その大きな手のひらは鬼灯なりになまえを可愛がっている証拠なので、何とも言えずに口をつぐむ。


「さ、なまえの機嫌も治ったところで河原へ行きますよ」
「……はい」


彼の手の上で上手く転がされている感じが否めないまま、なまえは黒に染まった袂を翻して歩きだした鬼灯の後を追ったのだった。





お盆の供物を届けるのも兼ねて訪れた賽の河原では真面目に石を積んでいた努力のあとが見られる。親より先に命を終えてしまっただけで、基本的にはいい子たちなのだ。それだけに早く転生させてとせがむ彼らを前にすると胸がじくじくと痛むのだが、今日は良い知らせを持ってきただけに気持ちも軽かった。

河原に到着してすぐ、供物には目もくれずにこちらに背を向けこそこそと会議を始める子供たち。その筆頭である碼紫愛は鬼灯を宿敵と認識しているらしく、幾度か攻撃をしかけるもことごとく避けられてしまう。反抗的な彼はからかい甲斐があるようで、鬼灯も無表情ながら楽しそうだ。

にこにこと朗らかな笑みを浮かべながら2人の様子を見ていると、不意になまえを見た碼紫愛がこちらへ近づいてくる。ちょいちょいと手招きされて腰を屈めると、監視するように碼紫愛を視線で追う鬼灯を気にかけながらも口元に手を当てて内緒話をするようにこっそりと呟いた。


「なぁ、お前アイツの嫁なんだろ?」
「え、はい…」
「よし、じゃあお前が弱点だ!」
「弱点、ですか?あの碼紫愛くん、今日は貴方に伝えなければいけないことが」
「うるさい!一回くらい一泡吹かせてやらなきゃ気が済まねぇんだよ!」
「わっ、こら、この前怒られたばかりでしょう!」


至近距離に居たために反応できず、捕まえられてしまった両の手首をいつぞやの獄卒のようにぐるぐると縛り付けた碼紫愛を叱るけれど、鬼灯にやりこめられたことがよほど堪えたのか聞く耳を持たないまま彼の元へと連れて来られる。
そろりと見やった鬼灯は眉間の影を深く落とし、鋭く研がれた黒曜色の瞳で碼紫愛を睨み下げていた。鬼灯からにじみ出るぴりぴりとした重たい空気が彼が苛立っていることを痛いほど教えてくれる。

このままでは碼紫愛の転生も流れてしまうかも知れない、と危惧したなまえは慌てて彼らの間に身体をすべりこませ、屈辱を晴らそうと鬼灯に敵意を向ける彼に声をあげた。


「こんなことしたら貴方の転生が取り消されてしまいますよ!」
「……は?」
「本日卒業して転生するのは貴方……のつもりだったんですけどねぇ、なまえに随分好き勝手してくれたじゃないですか」
「ま、まぁまぁ鬼灯さん、私は大丈夫ですし」
「彼女もこう仰っていますし、気を静めて下さい」


繋がれている両手をひらひらとさせてその場を取りなすように微笑むなまえを援護するように、背中に輝かしい後光を背負った菩薩地蔵が顔をのぞかせた。
2人にやわらかく諭され、未だ腑に落ちないような表情をしながらも身を引いた鬼灯を一瞥して、今度はなまえが碼紫愛にひそやかに耳打ちをする。


「ああ見えて鬼灯さん、碼紫愛くんのこと気に入っていると思いますよ」
「鬼灯殿が少し早く転生の申請をしてくれたんですから」
「……そうなのか」
「…是非来世もヤンチャに過ごしてください」


なまえの、小さな怒りのくすぶりさえ包み込むような眼差しを受けてひとつ息をついた鬼灯は憮然とそうひとりごちた。
子供たちの歓声を受けながら菩薩地蔵に連れられて天へと昇っていく彼を見送るなまえはふと横顔につつかれるような視線を感じ、隣に佇む鬼灯を見上げる。
怒気は収まったはずなのにどこか不機嫌そうに表情を歪めた鬼灯にびくりと肩を跳ねさせると、彼は肩をすくめて声を落とした。


「全く、簡単に捕まるんじゃないですよ」
「ご、ごめんなさい」
「しかもこんな風に縛られて…子供は力の加減を知らないんです、ほら赤くなってるじゃないですか」


手際よく縄をほどいてくれた鬼灯は、白い柔肌がこすれて赤くなってしまっているそこをするりと指先で撫ぜた。痛みはないかだとか他に傷がついていないかと隅まで調べてくれる鬼灯はやはり優しい。
触れるか触れないかのところをくすぐるようになぞっていく手つきにこらえられずに笑みをもらせば、きゅっと眉をしかめた鬼灯が顔をあげた。


「何笑ってんですか、人が心配してるのに」
「ごめんなさい、でもこそばゆいのと…やっぱり鬼灯さんは優しいなって」
「…だから、そう思うのはなまえだけですよ」


というよりはなまえにだけ自然と優しくしてしまっている、と言った方が正しいのかも知れないが。素直にそう口にするのも憚られて、面はゆそうに顔をほころばせるなまえの額をつん、と突いてやりながら、手首の赤みがひくまでそこを何度もやわく撫でたのだった。


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