恋しぐれ | ナノ




「ほ、鬼灯さん、またこんなところで記念撮影ですか……?」
「だって見てくださいよこの素晴らしい廃墟」
「確かにわくわくはしますけど見るからに…」
「出そうですね」
「み、皆まで言わないでください!」


地面にははがれ落ちた屋根瓦が雑然と散らばっており腰ほどもある草は生え放題、引き戸は外れて役目を成しておらずそこから覗く室内もひどいものだ。山間に沈む夕日は血をこぼしたような赤。深みのある紅に照らされた廃屋は逢魔が時ということも相まっておどろおどろしい空気を醸し出している。
ふるりと身体を震わせたなまえを一瞥した鬼灯はカメラを片手に小さく首を傾げた。


「何ならここで待っていますか?」
「もももっといやです!私も行きます!」


現世の人間からしてみればなまえ自体が幽霊なのだが、幼い頃に植え付けられた妖怪や霊に対する恐怖心は薄れることなく根深く彼女の中に残っている。何よりも東の空からゆっくりと下りてくる夜色の帳や重々しい雰囲気を背負うあの廃墟が恐ろしいのだ。

普段地獄で亡者や妖怪に出会っても恐れは感じないし、むしろ初めて邂逅する妖怪には好奇心を存分にくすぐられて自ら近づくのがなまえの常なのだが、今日は違う。もの恐ろしい廃墟の空気に呑まれてしまっているのだ。
1人で待つなんて天と地がひっくり返っても出来そうにない。それならば驚かされる心配があるとはいえ鬼灯と一緒に居たほうがずっと良いように思えた。

すたすたと前を行く鬼灯のシャツの裾を掴みながら、老朽化して苦しげなうめき声をあげる床の上を進んでいく。
時折風にがたがたと揺すられる襖に飛び上がりつつ、広間のような開けた部屋へとたどり着いた。柱は腐り落ち、抜けた床板の間から悠々と芽吹いた雑草が足元に息づいている。当然部屋を照らす明かりはなく、壁や天井の割れ目から顔を出す暗闇がうぞうぞと蠢いている気がしてそっと鬼灯の腕に寄り添った。


「………え?」
「どうしました?」
「い、いえ…今女の子の声みたいなのが聞こえた気がして……」


内緒話をするようにささめきあう小さな声。耳をかすめたその声音は女の子のもののような気がして辺りを見回すけれど、言うまでもなく子供の姿など見当たらない。
空耳か、もしくは幽霊……と考えて悪寒が背筋をなぶり、ぎゅう、と鬼灯に縋る手に力を込める。
そんな彼女を見下ろしてその切れ長の瞳に意地の悪い光を揺らめかせた鬼灯は、目を瞑ってがたがたと震えるなまえの首筋に生ぬるい指先を舐めるように這わせた。


「きゃあああ!?」
「………何ですか突然」
「い今首に何か……!」
「そうですか、やっぱり何かいるんですかね」
「やだっ、やめてくださいよ本当に……っ!?」


白々しく問いかけた鬼灯が犯人だとは微塵も思わずにきょろきょろと忙しなく首を巡らせるなまえの耳に届いたかすかな笑い声。
感情を一切はらんでいないような平坦な声色はなまえをあざ笑うかのように響き、恐怖心が限界を越えてしまった彼女は瞳を涙でじんわりとにじませながら鬼灯を見上げた。これ以上は一秒たりともここにいたくない、その一心で彼に訴えかける。


「早く写真撮って帰りましょうよ…!」
「仕方ないですね、泣かれても困りますし……もう少し怖がるなまえを愉しみたかったのですが」
「鬼灯さんっ」
「はいはい」


涙をふくらませ、潤んだ虹彩に上目で見つめられればもう鬼灯に勝ち目はない。肩をすくめて部屋の真ん中に立った鬼灯をファインダーに収めるなまえの手は、出来上がった写真が懸念されるほど慄いてしまっている。
少しやりすぎたか、とわずかに反省の色を見せた鬼灯の思案を遮るように朽ち果てた廃屋になまえの叫び声がこだました。


「どうしたんですか」
「こ、ここども、が」
「あ、ちょっとなまえ」


ぷっつりと糸の切れた人形のように意識を手放してしまったなまえが床に投げ出されてしまう前にしっかりと抱き止める。何故唐突に卒倒してしまったのかは見当もつかないが、恐らく写真に何か映り込んだか人ならざるものでも目にしてしまったのだろう。
慌ててなまえの顔をのぞきこむと少々青ざめていること以外は異常の見られないようでほっと息を吐いた。ひと心地ついたところでなまえから視線を落とせば、いつの間にか彼女を取り囲むようにして屈む幼子がふたり。

なまえはこのいとけない子供に驚いていたのか、と特に慌てる様子を見せずにひとり納得した鬼灯はなまえを硝子細工でも扱うように優しく抱きかかえて座り込むと、彼女が目を覚ますのをじっと待ったのだった。





「ん……」
「あ」
「起きた」
「大丈夫ですか、なまえ」
「はい…あの、その子達は?」


鬼灯の膝の上に横抱きにされていることに羞恥を感じるより早く、無表情になまえの顔をうかがう2人の女の子に首を傾げる。吸い込まれそうなほどに深い常闇を思わせる瞳はどこか鬼灯と似ていて、いち早く思いついたのは隠し子、だった。
そんな思考を否定するかのように、鬼灯の軽く握られた拳骨にこつんと小突かれてしまう。彼にはなまえの頭の中など透けるようにお見通しらしい。


「彼女たちは座敷童子です。住める家を失くしたらしく、廃墟になったここに住み着いていたみたいですよ」
「そうなんですか……住める場所がなくなってしまうのは辛いことですよね…」


なまえが噛みしめるようにこぼした言葉は空虚な家屋に苦しげに響いた。痛々しく細められた瞳はゆらりとゆらめいて、その輪郭は溶けるようにぼやけている。そうしておもむろに手を伸ばした彼女はそっと、そのふたつの頭に触れる。
鬼灯に抱えられたなまえの傍で蹲る2人の頭を優しく優しく撫でる彼女の仕草はあたたかなぬくもりに満ちていて、彼女たちは自身の髪にふれる体温にぱちぱちとまぶたをまたたかせた。
じっとこちらを見つめる丸いよっつの目にふわりと笑みを返すと、少したじろいだ2人は頭上を往復するなまえのやわらかな手のひらに自身のそれを伸ばした。


「あ、不躾でしたよね、すみませ…」
「もっと」
「え?」
「もっと撫でて」


撫でて、とねだる座敷童子に鬼灯と顔を見合わせると、どちらからともなく眦をやわらげる。彼女たちからは確かな寂寥が見て取れて、久方ぶりに触れ合うひとの体温に甘えるようにその大きな目を伏せた。

彼女たちの望みどおりに暫く髪を梳くように撫でてやっていたなまえが鬼灯を見つめてぽつりと落とした科白は、何とも彼女らしい慈しみに染められたものだった。


「この子たちの面倒を見てあげてもいいですか?せめて住む家が見つかるまで……」
「そうですね、地獄になら座敷童子が住める場所があるかも知れません」
「地獄?」
「住めるところある?」
「きっとありますよ、私もがんばって探しますね」


なまえと鬼灯を上目に見つめて首を傾げる2人に安心させるように笑みを寄せると、彼女たちはようやく淡く表情をゆるませた。ここのところ現世で会社の倒産が続いていたのはやはり2人が関わっていたのだろう、本来奥座敷を好む座敷童子には現代の建造物が肌に合わなかったのかも知れない。
似た理由で現世に住めなくなった妖怪が増えていることも問題になっているし、せめて地獄だけは彼らが住みやすい場所にしなければ、と心に留める。

真剣な顔で何やら考え込むなまえに気がついた鬼灯は、未だ彼女を横抱きにする腕へやんわりと力を込めた。


「そういえば珍しいですね、恥ずかしがらないのは」
「え?…………!!!わ、ごごめんなさい降ります!」
「いえ、別にまだこうしていても」
「降りますから!」


ち、と舌を打つ音が聞こえたあと、手を取って立ち上がらせてくれた鬼灯。ずっと彼の膝に身体を預けたまま真面目な言葉を交わしていたと思うと、それを座敷童子たちに見られていたのだと思うと恥ずかしくていたたまれない。
火照った顔を両手で隠しながらうう、と唸るなまえを、下からのぞきこむように仰いだ幼子たちが口を開く。


「照れてる」
「真っ赤だ」
「なまえは初心なんです、面白いでしょう」
「うん、暇な時はなまえで遊ぼう」
「わ、私で遊ぶんですか!?」


そうしよう、と黒と白の頭が示し合わせたように同時に頷く。
表情に乏しい3人にじっと見つめられて鬼灯が2人増えたような錯覚に陥りながら、彼らの為すがままに翻弄されるであろう未来を思ってなまえは困ったように笑ったのだった。



「なまえ」
「何ですか…ってきゃあ!」


ふたつ重なった彼女たちの呼び声に振り返れば、目と鼻の先に能面のような日本人形がぬっと現れて思わず悲鳴をあげてしまう。なまえの驚きように彼女たちの小さな唇から起伏のない笑い声が生み出される。

地獄に連れ帰ってからというもの、2人のささやかな悪戯は日常茶飯事になっていた。それに困らせられることもあるけれど、なまえをからかう度に無邪気にはしゃぐ彼女たちを見ているといとおしさが胸に沁みて、いつの間にか顔がほころんでしまう。


「着せかえお松」
「鬼灯様に買ってもらった」
「ふふ、よかったですね」


2人を肩と腰にくっつけた鬼灯からぬばたまの髪を持つ童子を受け取ると、なまえを見上げる丸っこい濡羽色にやわい微笑みを向ける。ゆるやかな手つきでとんとん、とその幼い背中を叩けば彼女はおぼろに瞳をなごませ、なまえの肩口に顔をうずめるようにして身を寄せた。

座敷童子のいじらしい反応に穏やかな眼差しを鬼灯と見交わす。彼らを遠巻きに見つめていた獄卒たちは、傍目から見ても仲睦まじい家族としか言い表せない4人へあたたかな視線を送ったのだった。


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