恋しぐれ | ナノ




低い音が混ざることのない、純粋な高い声色がにぎやかに衆合地獄を彩る。甘味処の長椅子に腰かけて視察の記録を書き記す鬼灯の隣には小判がちょこんと座り込んでいた。彼とは偶々同じ甘味処でひと息いれようとしているところに鉢合わせ、何となく隣り合って会話を交わす。


「衆合地獄は華やかでええが…姦しくて敵わんな」
「男でもうるさい人はうるさい、貴方とかね」
「鬼灯さんったら…」
「違ぇねェ」
「女ほど悪口は多くニャイやい」


変わらず小判への風当たりが強い鬼灯に困ったように笑うと、彼の言葉に同意するように檎がのれんをくぐって顔をのぞかせた。手に持った団子は小判が頼んだものなのだが、彼はひょいと口に入れてしまう。
なまえにまでそれを勧めてくる檎は相も変わらず茶目っ気があって憎めない性格をしている。


「嬢ちゃんもどうじゃ?」
「わっちの頼んだ団子食うな!……しかしなまえ様も女の悪口にゃァ困らされてるんじゃねぇですかイ?」
「そう、ですね……でも愚痴を言う場所は必要でしょうし、正直気にしていたらやっていけないというか…」
「大変なんですねぇ…」


他人を貶めてストレスを発散するひともいるから、もうそれはその人の性質だと受け入れてしまわなければ身が持たない。苦く笑うなまえを同情するような眼差しで見つめる鬼灯に肩をすくめると、通りの向こうで大勢の女性に囲まれている白色を見つけた。
人好きのする笑顔で飾り付けられた彼が悪口を言うとしたら鬼灯に対してのみなので、いつも朗らかな雰囲気が漂う白澤の周りには女性がよく集まるようだ。おまけに博識で漢方にも詳しい彼は話題に富むし、女性を喜ばせるすべに長けている。
そんな彼を見やって眉をしかめた鬼灯は呆れたような低い声を吐き出す。


「あのろくでなしは飽きもせず花街でフラフラと…」
「白澤様モテますもんね」
「なまえ様はアレ、どう思います?」


小判に訊ねられてこてんと首を傾げながら、往来の反対側で軽口を織り交ぜつつ知識を披露する白澤を眺める。
女の人に対して軽薄な部分を除けば肌の合う彼とは、良い友人、という言葉以外に表現のしようがなく、隣に座る鬼灯から流し目をもらいながら口を開く。


「どうって……素敵なお友達ですよ?」
「さすが簡単に靡いたりしんのォ」
「つまらん…」
「貴方たちどんな答えを期待してたんですか」


きゅっと眉間のしわを深く刻みながら不機嫌を隠すことなく目元を強張らせる鬼灯を見上げると、彼は喉元まで出かかった科白ごと飲み下すように饅頭を嚥下した。
小判がどこか納得しないような目を白澤にうつし、ふう、と息をつく。


「ニャンで人気あるのかねェ…」
「…ん〜まァそれこそ人の悪口を滅多に言わないお人じゃからなァ、自然と可愛い女が寄ってくんのよ」
「「……悪口を言わない…?」」


檎の言葉に違和感を感じたなまえと鬼灯の声が重なり、ふたりは顔を見合わせる。彼と顔を突きあわせれば喧嘩三昧な鬼灯は腑に落ちないところがあったのだろう、なまえも鬼灯と白澤の水と油のような仲を知っているので、その言い方には引っかかるものがある。
ううん、と首をひねっているといつの間にか隣から消えている鬼灯に気がついた。


「あれ?鬼灯さんは?」
「ホラあそこじゃ。喧嘩でも売りに行ったんかねェ」
「わ、大変!」


少し思考に沈んでいただけなのに、もう口から泡を吹いて地面に伏している白澤を視界に捉え慌てて駆け寄る。
大方嫌いな人間の前では彼女たちの見解と全く異なる言動をする白澤を見せ付けたかったのだろうけれど、そのいさかいの大半を先手必勝に近い考えを持つ鬼灯から吹っかけていることは分かっているのだろうか。
倒れている白澤に手を差し伸べると、青褪めていた顔が一瞬にして元の血色を取り戻した。


「なまえちゃん!僕に会いに来てくれたの?」
「その汚い手をなまえから離しなさい」
「お2人の喧嘩を止めにきたんですよ。あ、お香さん!こんにちは」
「ふふ、なまえちゃんも大変ねェ」


お香も漢方薬を買いに来たのか、会釈すればしなやかな笑みを唇に乗せて手を振ってくれる。
なまえの手を無遠慮にぎゅっと握る白澤のそれを折る勢いで叩き落す鬼灯をとがめるように見やると、ふいっと目を逸らされてしまう。そんな彼に仕方ないなぁ、と呆れに慈しみの交ざったような微笑を唇に乗せて火花を散らせる2人の間にさりげなく立つ。


「なまえ?」
「お2人が喧嘩を始めても私が止めますので、続きをどうぞ」
「そう言われると話しにくいなぁ…」
「何のお話をしてらしたんです?」
「悪口は地獄だと重い罪に問われる、みたいな話ですよ」


にこりと笑って鬼灯たちを見比べると、彼らはばつが悪そうに顔を背けてしまった。
悪口に関しての地獄は数多く存在する。悪口雑言を尽くした者は受苦無有数量処や野干吼処などで責め苦を受けることになる。特に野干吼処は最も重い罪を犯した亡者が堕ちる阿鼻地獄に付随しているため、阿鼻地獄の洗礼として二千年かけて炎の中を堕ちることになる。
従って弥生人の一部は今も炎の渦中ということだ。更に鬼灯の意向として落下している途方もない時間、生前の自分の行動を永遠に見せ続けられるのだ。これで精神的にも支障をきたす亡者も多く、10日ほど経てば抜け殻のように大人しくなるのだという。

厳しいというか、責め立てるのが好きなんだなぁとどこか生き生きと語る鬼灯を見ながら口元を引きつらせる。同じくあまりの仕打ちに冷や汗をにじませた白澤がぽつりと呟いた。


「まァ天国側の意見としてはもっと"悪口を言った亡者の心理"を配慮するべきだと思うけどね」
「配慮していますよ、だから裁判があるんです」
「……嫌な予感が…」
「お前がいる時点で裁判が厳しすぎるんだよ!」
「あの世は元々現世より厳しいんです!」
「………」


案の定始まってしまった子供のような応酬にふう、と吐息をこぼす。すぐ傍らで静かに2人を見守るなまえに構うことなく次々と投げ交わされる罵詈雑言に徐々に彼女の眉がしかめられていった。
ここで逢ったが百年目とばかりに進展していく鬼灯たちの口喧嘩。盛り上がりが頂点に達したところで周囲に研がれた視線を巡らせた鬼灯にいち早く気がついたなまえは、彼の腕を今だとばかりにぎゅうと抱き込んだ。


「そこまでです!口先だけの喧嘩なら止めませんが、手を出したらだめです!」
「なまえ…ですが」
「だっても何もありません!鬼灯さん、今あのお店を持ち上げようとしたでしょう」
「……」
「周りの方に迷惑をかけてはいけません、子供でも分かりますよ!白澤様もです、少し頭を冷やしなさい!」


腰に手を当てたなまえにぴしゃりと叱られて肩を跳ねさせた2人は、ちらりとお互いを見交わしたあと背を向け合う。
まるで母に叱りつけられた子供のように不貞腐れて表情をゆがめた鬼灯にため息をつきながら彼の広い背に優しく触れた。

なだめるようにゆるゆるとそこを撫でるなまえの手のひらに、腹の中にたまっていた鬱憤が溶かされていくようで。心を落ち着かせるように息を抜いた鬼灯がなまえに向き直った。


「落ち着きましたか?」
「……ええ、すみません。確かにこの店は関係ありませんでした」
「わかってもらえてよかったです」


鬼灯に向けてふわっと笑みを見せたなまえ。
彼女の笑顔を目にした鬼灯は先ほどまでの怒気はすっかり鳴りを潜め、切れ長の瞳を和らげすらしている。遠巻きに様子を眺めていた鬼女たちは感心したように目を丸めて、鬼灯たちのなじり合いが始まったらまずなまえを呼ぼう、と密かに心に決めたのだった。


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