恋しぐれ | ナノ




今日は食堂に整備点検が入るので外食でもしよう、ということになり、鬼灯と閻魔に誘われ大衆食堂にやってきた。
じゅうじゅう、と鉄板の上で音をたてるこんもりとした分厚い肉。2人はそれにナイフをつきたてようと仲良く構えていた。閻魔は身体の大きさからしてたくさん食べるのもわかるけれど、それと同じだけの肉を前にする鬼灯には感心してしまう。

なまえの顔の何倍もあるそれが鬼灯の口の中へと消えていくのをぽかんとしながら見守っていると、呆気にとられる表情がよほど間が抜けていたのか、こちらを見やった鬼灯はわずかに目を細めながら少し小さめに切り分けた肉を差し出す。


「なまえも食べますか?」
「い、いえ私は自分の分で充分です」
「小食ですねぇ」
「鬼灯さんが大食なんです!…たくさん食べてくれるのは作り甲斐があって嬉しいですけど……」


鬼灯はうっかり夕飯を作りすぎた時でも残さずぺろりと食べてくれるから気持ちがいいし、作り甲斐もある。残すと勿体無いと言いつつもなまえが作ったあたたかい食事に向ける眼差しはひどくやわらかくて、近頃ますます料理が好きになったのは鬼灯のおかげなのかも知れない、なんて考えてひとり気恥ずかしくなった。

ほのかに甘い熱をためる頬をごまかすように箸を進めると、聞き覚えのある声と見慣れた巨体を揺らしながら姿を見せたのは午頭と馬頭だ。


「大王様、鬼灯様!なまえちゃんも」
「こんにちは」


思いがけず顔を合わせた彼女たちにぺこりと頭を下げる。
ステーキハウスに現れた牛頭たちは牛肉を口に入れることに抵抗はないのだろうか。そんな思考が重なったのか、鬼灯は訊ねるように彼女たちを見上げる。


「何故午頭馬頭さんがステーキハウスへ?不愉快では?」
「アタシ牛だけどあくまで午頭だから…人間が猿料理を見たとして心の底から同情する?」
「私はちょっと抵抗ありますけど……」
「なかなかシビアな考え方ですね」


細かいことを気にしてたら何も食べられない、と明るく笑う午頭に妙に納得してしまう。牛肉料理はあふれるほど目にするからそんな風に割り切ってしまった方が楽なのかも知れない。
ふむ、と考え込むなまえの思考を引き戻すように、馬頭の声が響く。


「ところでご一緒してもよろしいかしら?」
「あ、じゃあ私椅子を借りて…」
「いいじゃないですか、ここに座れば」
「…え」


腰を上げたなまえの手首を捕まえ、特等席です、と鬼灯がぽんと手をおいて示したのは自身の膝。
そこに目を落とした瞬間、ぼっと火がついたように顔を赤らめたなまえが思わず鬼灯を見つめると、愉悦をふくんだような眼差しと瞳がからんでからかわれたのだと気づく。

静まる気配のない心臓がとく、とく、と早鐘を打つのを感じながらなまえが言い返そうと口を開くより早く、牛頭馬頭の2人がきゃあ、と声をあげた。


「もう〜、仲良いんだから!」
「ラブラブなのねー!羨ましいわあ」
「らぶ……ややめてくださいよもう!鬼灯さんもこんなところで…!」
「おや、では家で改めて、ということですか?」
「ち、違いますって!…私椅子取りに行ってきます!」


恋の話が大好物な彼女たちの高い声音を背に受けながら、逃げるように店の隅に置かれたそれへと駆け寄る。

立ち止まったなまえは手を胸に当てながら、ふう、と息をついた。からかわれるのは慣れていても、鬼灯を前にするとどうしたって胸があまやかに鼓動を速めてしまう。
おまけに牛頭馬頭たちが鬼灯の意地悪を煽ってくれるおかげで心臓がいくつあっても足りない。

しかしいつまでもここで蹲っている訳にもいかない。気持ちを切り替えるように火照った頬をぱちん、とはたいて踵を返した途端、目の前いっぱいに広がった黒に身体を飛び跳ねさせてしまう。


「ほ、鬼灯さん!?いつの間に…!」
「何やってるんです?料理冷めますよ」
「今戻ろうとしていて…」
「……顔赤いですね」
「え」


顔をのぞきこまれて思わずぎゅっと目をつむると、頬に触れるか触れないかのところを指先がなぞっていく気配がして一際肌に熱がたまる。

いつもより敏感に反応してくれるなまえにくつりとのどを鳴らした鬼灯は、潔く彼女から手を離すと椅子をひょいと持ち上げておもむろに歩き出した。
拍子抜けしたようにきょとんと瞳を大きくするなまえを肩越しに振り返った鬼灯は、小さく首を傾けて口を開く。


「物足りなさそうな顔ですね?」
「そ、そんなことありません!行きますよ!」
「はいはい」


図星をつかれたのか頬へ朱色を散らしたなまえがわざとらしく肩を怒らせて鬼灯を追い抜いていくのを見て、彼は再びやさしく目を細めたのだった。

席に戻ると、相変わらず恋多き乙女な午頭馬頭たちがきゃあきゃあと盛り上がっているところで、状況をつかめずに立ち尽くすなまえに鬼灯がこっそり耳打ちした。


「どうやら午頭さんはミノタウロスさんにご執心のようで、彼の出生やらギリシャ神話について盛り上がっていたところなんです」
「なるほど……ギリシャといえばハデス様ですね。彼が治める地獄は日本の地獄と似たところがあるので一度お話してみたいです」
「ええ、それ抜きにしても観光したい場所です」


ギリシャと聞いて見事に仕事に感化された見方をする2人に閻魔は苦笑いをもらす。なまえは元々真面目だったが、輪をかけて仕事中毒な気質になってしまったのは鬼灯のそれが移ってしまったからだろうか。
性格こそ似ていないが影響を与えあい互いに染まりつつあるふたりは、まさしくおしどり夫婦だろう。
鬼灯たちを交互に見やっていた閻魔は自然と口元がゆるんでいくのを感じた。


「大王聞いてます?」
「えっ、な何だったかな」
「でかい図体して……その大きな耳は飾りですか」
「え、えっとですね、ほら日本とギリシャの地獄は共通点が多いじゃないですか?どうですか、友好を図ってみては」


鬼灯から飛び出した罵詈雑言に被せるようにして説明していくなまえが言うには、よもつへぐいや六文銭といった特性がよく似ていることからギリシャの裁判官であるミノス王と親交を結ぼうという考えが以前からあったようだ。

唐突な提案にしどろもどろに立ち上がった閻魔は鬼灯の突くような鋭い視線から逃れるようにして後ずさった。


「ま、まあその件はまた会議を開こうよ、ここはおごるから仕事に戻ろう」
「え、いいんですか?」
「すみません、ごちそうさまです」


さあさあ、と気まずい話題を切り上げて会計に向かった閻魔は懐を探ってはたと動きを止める。
どうやら手持ちがなかったようで、鬼灯に泣きつく彼に、こういうところは外さないのに職務になると一歩足りないのは何故だろう、となまえは純粋に疑問に思った。


「斧で頭割ってみましょうか?千円くらいは出てくるかも知れません」
「こ、こら鬼灯さん、いくら大王でも一万円くらいは出ますよ!」
「突っ込むとこそこなの!?…やっぱり鬼灯君に影響されてる……!」


閻魔の嘆きにあどけなくまぶたをまたたかせている彼女を見る限りでは心からの言葉だ。狙っていないだけに性質が悪い。
疑問符をふわふわと浮かべるなまえに頭を抱える閻魔を、冷たい黒曜色はあざ笑うように眺めたのだった。


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