生薬の配達に訪れた桃太郎が連れていた、一匹の猫。彼の頭の上でふるふると身をふるわせるそれは、白澤によりいのちを与えられた生き物らしい。 彼の奇怪な絵柄を身体いっぱいに表現しているそれ―…猫好好をひと目見たなまえは、無邪気な少女のように瞳をきらめかせた。 「か…かわいいですっ!」 「え、可愛いですか…?じゃあなまえさん、よかったらそれが消えるまで預かってくれます?」 「わぁ、いいんですか!?喜んで!」 ぱっと表情をほころばせて桃太郎から猫好好を受け取ったなまえは大切そうに腕に抱えあげる。 不気味な様相をして背筋を這うような鳴き声を吐き出すそれににこにこと朗らかな笑みを向けるなまえはとても嬉しそうだ。 一方、彼女の腕の中でゆらゆらと後ろ足を揺らすそれを不服そうに見やった鬼灯は大きく吐息をもらした。 「なまえさんが変わった趣味しててよかった…」 「よくないですよ、家に連れて帰る気でしょう」 「もちろんです、1人では可哀想ですから」 ね、とそののっぺりとした顔に向かって首を傾げるなまえはすっかりそれに心惹かれてしまったようで、ゆるゆると頬をほぐしている。 彼女が可愛がっているのが猫や犬ならまだしも、宿敵とも言える白澤がつくりだした気味の悪い生物だと思うと無垢にはしゃぐなまえを素直に見守ろうという気にもなれない。 ふう、と2度目のため息をついた鬼灯に気がついたなまえは視線をふらふらとそこらに漂わせながら、話題を変えるべく口を開いた。 「これ白澤様が出したんですよね?」 「はい、何かこんなことしてましたよ」 「踊っているみたいですね」 「ああ、それは禹歩ですね」 両の手のひらを身体の正面で合わせてステップを踏むように足を動かす桃太郎に不思議な動きだなあと目を丸くする。 鬼灯曰く道教の方術らしく、剪紙成兵術というものを使うときに用いられるのだとか。神獣なだけあって奇跡のようなことも簡単にやってのけてしまう彼に感心していると、鬼灯となまえ、交互に視線をうつした桃太郎はひとつ訊ねる。 「お二人は使えないんですか?」 「使えません」 「無理ですね…」 「なまえさんはともかく、なんか鬼神の割に結構普通というか……人間と変わらないですよね鬼灯さんって」 その言葉が琴線に触れたのか白澤と比較されたような気になったのか、鬼灯が殴りつけた岩が桃太郎の顔面に引き寄せられるようにして打ち当たった。 鼻から血を出して地面に倒れ伏せた桃太郎に慌てて駆け寄ろうとすると、それを遮るように彼の上に金棒が降ってくる。 「それを自力で持ち上げることが出来たら先の発言を認めますよ」 「ほ、鬼灯さん!」 「何ですか?なまえまで私が鬼神らしくないとでも言いたいのですか?」 「もう…そんなこと思ってませんよ、鬼灯さんはいつだって立派で、素敵な方です」 変なところで子供のような幼さをのぞかせる鬼灯に、なまえは呆れといとしさの交じった眼差しを寄せた。 その瞳になだめられるようにして口をつぐんだ鬼灯はふいと目をそらし、糸の束のような紫煙をひと筋くゆらせ始める。 何かをはぐらかすような仕草にくすりと笑みをもらしながら、彼の唇からうみ出される霞のようなそれをかいだ。 凪いだ周囲をかすかにたゆたうのは甘い煙管のにおい。鼻をくすぐるその香りはただ葉に火を点しただけなのにどこかやわらかく感じる。 それに心が和らいでしまうのはふとした時鬼灯から漂うにおいが紫煙の香りをはらんでいるからだろうか。 思わずあの筋張ったかいなの中に居たひとときを思い出してしまい、頬にほんのりと熱が集まった。 かすかに速くなる心音を誤魔化すように愛らしい猫をぎゅっと抱きしめる。 「で、でもこれ凄い術ですよね!甘味を出したらちゃんと味がするんでしょうか」 「食いしん坊ですねえ」 「ちょっと思っただけです!好きなときに甘いものが食べられたら幸せじゃないですか?」 「なまえは意外と単純ですよね」 「褒められてるんですかね…?」 そういうところがなまえのいいところです、とささやいた鬼灯は自分なら、と想像の風呂敷を広げていく。 鬼灯が巨大な兵士を獄卒にするだとか、世界一長いドミノを実現する空想を募らせる一方で桃太郎がもう1人の自分がいたら楽ができるともくろむものの、仕事の押し付け合いになりそうだと言う冷静な彼の一言で一蹴される。 結局、どうしても私利私欲のために使ってしまうなまえたちが使うよりも、いい意味で欲も力を使いこなす能もない白澤が保有しているのが最善なのだという結論に落ち着いた。 「ところで、本当にそれ飼うんですか」 「え……だめですか?鬼灯さん動物お好きでしょう?」 「それを動物とは認めません。それにうちには金魚もいるじゃないですか」 「でも放り出すのも可哀想です…」 先ほどからなまえの腕を独占しているそれに不服そうな眼差しを投げる鬼灯は、例え数日でもそれに彼女の傍らを許したくないようだ。 しゅんと眉を下げて腕の中で丸くなるそれを見下ろすと、なまえの心を感じ取ったのか身体を伸ばした猫好好は彼女のやわらかな頬に自身のそこをすり寄せた。 すりすり、と優しく触れる猫好好の頬はくすぐったくて、思わず顔がほころんでしまう。 「ふふ、くすぐったいですよ」 「…親の性格受け継いでんじゃないですかそれ」 「あっ、鬼灯さん」 鬼灯は人目をはばからず大胆に媚びるようになった猫好好の行動に耐えかねたようにその白い首根っこを掴み、なまえから引き離す。 無骨な手に捕まって嫌々をするように手足をばたつかせる猫好好はその黒く塗りつぶされた瞳で鬼灯を仰ぐ。 暫く無言のにらみあいが続くと、ぷいっとそっぽを向いたそれはなまえに向かって細い前足を伸ばした。 「…その辺にでも捨てておきましょうか」 「だ、だめですって!鬼灯さんの持ち方が嫌なんですよきっと」 鬼灯の空いている片手をそっと取ったなまえは猫好好を支えるように尻の辺りに手を添えさせる。身体が安定したのか、それはどこか安心したように身を預けた。 とりあえず大人しくなった猫好好になまえがほっと胸をなで下ろしていると、じっとこちらを見つめている鬼灯と瞳がからんで首を傾げる。不意に見下ろした自身の手は鬼灯のそれに重ねられたままで、じわじわと肌を伝わるぬくもりに心臓があまく跳ねた。 手に触れるくらい、と思うけれど触れようと思って触れたのと無意識のうちに重ねてしまったのとでは気の持ちようが違うというか。 どうしても頬が熱くなってしまうのも無理はない、と気恥ずかしさから自身に言い聞かせるように心の中で呟いた。 「ご、ごめんなさい!」 「今更手を握るくらいで顔を赤くしないでくださいよ」 「そうなんですけど…」 「あ、なまえが手を離すと落としてしまうかも知れません」 平坦な声色で飄々と落とされた言葉に慌てて引こうとしていた手を鬼灯のそれにぎゅっと重ね合わせる。 一際近くに感じる彼の体温がいつもより熱く感じるのはなまえの肌が火照ってしまっているからだろう。 とくん、とくん、と中心で鳴る心臓の音が妙に大きく響き、何だか甘みを帯びたように感じる。少しでも気を抜くと鬼灯への想いがあふれてしまいそうで、ほのかに色づいていく頬を隠すこともできずにわずかにうつむいた。 彼女のささいな変化も敏く察した鬼灯は愉しげにやわく眦を細め、落ち着かない様子でゆらゆらと瞳をゆらすなまえを眺めている。 「まぁ少しの間くらいなら預かってもいいでしょう」 「え、ほんとですか!?」 「ええ、面白いなまえも見れたことですし」 「…う……」 そう言われると手放しには喜べない、と肩を落としたなまえに鬼灯は愉悦をふくんだ眼差し寄せた。その瞳の奥が何かをたくらむように光るのを認め、なまえはまぶたをまたたかせる。 「何よりなかなか使えそうです」 「?」 仕草ひとつひとつが鬼灯には猫っかぶりにしか思えず、猫好好が鬼灯に対して明らかな敵意を向けていることに彼女が心づく様子はないが、こうして自分に心を揺らし傾けるなまえを見られるのならば多少のことには目を瞑ろう。 そう考え直し、耳の先まで桜色に染まった彼女の顔を鬼灯はからかうようにのぞきこんだのだった。 |