恋しぐれ | ナノ




ふわふわと浮き足立った胸を抱えながら、なまえは先を行く黒い背中を追う。袖を翻して鬼灯が目指すのは今日収録されるテレビ番組の控え室だ。

本来ならば番組と関係ないなまえが立ち入っていい場所ではないのだが、マキも出演すると聞いてすっかり浮ついてしまった彼女を見かねて鬼灯は仕方なく連れていくことにしたようだ。


「あ、あの鬼灯さん、私までいいんですか…?」
「マキさんと話したくてそわそわしていたくせに何を今更」
「うっ…それを言われると…」


ばつが悪そうに身を縮めるなまえに呆れたような眼差しを投げながらも彼女の背に添えられた手は優しい。

鬼灯に促されるようにして足を踏み入れた控え室には、台本のようなものを手に持ったマキがこちらに背を向けて座っていた。
声をかけようと開いた口を鬼灯の大きな手のひらに塞がれ、唐突な接近に甘く跳ねる心臓を押さえながら彼女の肩越しにそれをのぞきこむ。どうやら映画の脚本がのようだ。


「映画出るんですか」
「えっ!?ああ内緒!コレまだ内緒です!…ってなまえさん?」
「んんー、」
「あ、すみません」


ようやく鬼灯に塞がれていた口を解放されてぷは、と息をこぼす。ほのかに頬を上気させてマキに向き直ったなまえは、その表情に光を灯し彼女の手を自身のそれで包み込んだ。


「私絶対観に行きます!鬼灯さんも一緒に!」
「わ、ホントですか!?」
「いや、どんな話か知らないことには…」
「…だめですか?」
「……」
「じゃあよかったらそれ読んで感想聞かせて。面白いと思ったらなまえちゃんと行けばいいんじゃない?」
「カマーさん」


切々と訴えるような瞳で見つめられては鬼灯も言葉を詰まらせてしまう。黙ったまま見つめあう2人の間にひょこりと姿を現したのはカマーだ。彼女は今回の特番の衣装デザインを担当しているらしく、マキが出演する映画の監督とも知り合いだと言う。

顔が広い彼女に驚きつつ、なまえと顔を見合わせた鬼灯は受け取った台本に目を通し始める。


「設定は割りと普通ですね」
「舞台は江戸時代なんですね!」
「なまえには懐かしいかも知れませんね。…御隠居のキャラ濃いなー」
「ど、ドMですか」


姉御肌の女性にマキが演じるドジっこ、更に被虐趣味のある御隠居…馴染みのある設定にも負けないほどの灰汁の強さが目に付き、とても面白そうだ。

ふとマキの役に別のアイドルの名が記されていることに疑問を覚えると、元々は違うひとが抜擢されていたのだが諸事情で出られなくなってしまったのだという。病でも患ったのではと懸念したなまえはマキと顔を見合わせる。


「そうなんですか、ご病気にでも罹ったんでしょうか」
「さぁ…心配ですよね」
「…鬼灯さん?こそこそして内緒話ですか?」


カマーと2人、顔をつきあわせてこそこそと話し合う鬼灯に首を傾げると、彼らは取り繕うように姿勢を正す。
何か秘密にしなければいけないことでもあるのかと疑問符を浮かべながら鬼灯を見つめると、能面のような面に意地の悪い気配をかすかにひそませた彼が口を開く。


「何でもありませんよ。…そんな顔をして、カマーさんに嫉妬ですか?」
「ち、違いますよ!気になっただけです!」
「そうですか、残念です」


どこまでが本気なのか読めない瞳をしてなまえを見やる鬼灯に頬へほのかな熱がたまる。

嫉妬などではない、と心の中で自分に言い聞かせる。なまえを避けるようにして交わされる会話が気になっただけで、断じてやきもちを妬いた訳ではない。
鬼灯は精神衛生に悪いといった理由で時折なまえには聞かせない話があるから少し気にかかったのだ。守られていることは嬉しいけれど、腑に落ちない思いは拭い去れない。

自然と唇がとがっていくなまえにどこかいとしそうな想いを溶かした眼差しを寄せた鬼灯は彼女の頭を優しい手つきで撫でつける。


「そう拗ねないでください」
「拗ねてないです……」
「ではやはり嫉妬ですか?」
「違いますってば!」
「よしよし」
「子供扱いしないでください!」


平坦な声音にからかうような色を見せながら何度もなまえの髪を梳く鬼灯のあたたかい指先に、意固地になっていた心がほだされていくようだ。
なだらかになっていく胸の内をいささか悔しく思いながらも鬼灯の手のひらに甘えるなまえにカマーが声をもらした。


「2人の世界って感じねぇ。マキちゃんも相手見つけなきゃ」
「鬼灯様たちみたいになるのは難しいと思いますけど…」
「そそんなことありませんよ」
「頑張ってください」
「何か応援されると微妙な気分になります…」


仕事中ではないとはいえ、マキたちに恥ずかしい場面を見られた気がしてぱっと鬼灯との距離を取ったなまえの頬は見る見るうちに色づいていく。
鬼灯たちのやり取りをよそに、しばらく気恥ずかしさにうつむいていたなまえは話題を変えようと顔を上げる。


「ややっぱり映画の宣伝にはCMも大事ですよね!」
「話変えましたね」
「そんなことないです、よ?」
「まぁでもそうですね、アナタの予想は100%覆されるとか言われても覆されないことの方が多いですし、テッパンのフレーズを入れられても私の場合は謎の反抗心が湧きます」


あらすじからも逸れず興味を惹かれるようなCMを制作した方が観客数も増えるのだろう、と鬼灯たちの会話に相づちを打ちながら考える。何ともなしに業界の苦心を垣間見たような気になって眉を下げた。
なまえと同じように彼らの話を黙って耳に入れていたマキは不意に鬼灯に向かってくす、と揶揄するような笑みをもらす。


「…御隠居のキャラがお気に入りってことは、やっぱり鬼灯様はドMキャラがお好きなんですね」
「Mが好きな訳ではないです、何人にいじめられて喜んでんだ向かってきなさいよ」


ばしばし、と机を叩く鬼灯の冷や汗をにじませるマキを横目に小さく首をかたむけたなまえは、以前他愛のない会話の中で明かされた彼の嗜好を思い起こす。


「鬼灯さんは反抗的な人の方がいいんですよね」
「でもなまえさんってそんな反抗的でもないと思うんですけど…」
「そうですか?割と頑固ですし芯も通ってますよ」
「お、折らないでくださいね」
「ま、鬼灯ちゃん的に夢中になっちゃうところがなまえちゃんにあるってことよね」
「……」
「……」


そう客観的にまとめられると照れくさくなってしまうのだけれど、とそっと鬼灯を盗み見るとふいっと顔を逸らされてまぶたをまたたかせる。表情を見られるのを嫌がるように頑なに背を向ける鬼灯にむ、と眉根が寄った。

隠されると見たくなるというのが人の性だ。
こっそり肩越しに顔をのぞきこもうとして腰を浮かせると、敏感になまえの動きを察知した鬼灯の大きな手のひらに顔を覆われて視界が塞がれてしまう。


「わ、鬼灯さん!見えません!」
「見なくていいです」
「あれ?な、なんか鬼灯様……」
「珍しいものが見れたわねぇ」
「何ですか?私も見たいですー…」


不満を隠すことなく呟くと、暗く閉じた視界の中でふっと吐息する音が聞こえる。ふわりとやさしく前髪を揺らすそれを最後に顔を包んでいた手が離された。
まぶたを持ち上げた先の鬼灯はすっかり平静を取り戻していて、なまえは無念そうに眉尻を垂れさせる。


「残念です…」
「まあコレは観に行きますよ、頑張ってください」
「…話変えましたね?」
「……」
「……」


先ほどの自分と同じ返しをしたなまえと瞳がからんでほんわりとしたやわらかい笑みを寄せられた鬼灯はやわらかな仕草で彼女の頭を小突いた。くすくすと笑って彼を見つめるなまえを鬼灯はきまりが悪そうに流し見る。

やがて控え室に訪れたスタッフに呼ばれた鬼灯が鉢植えごとぴょんぴょんと跳ねる金魚草を連れて部屋を後にするのを、なまえはあたたかな眼差しで見送った。
誰の手も借りず移動していく金魚草を目の当たりにして驚愕の表情を浮かべていたマキは1人遅れて立ち上がったが、はたと足を止めてなまえを振り返る。


「マキさんも行かれるんですよね?」
「あ、はい!でもすごいなぁなまえさん、鬼灯様でもあんな顔するんですね」
「うーん、マキさんがそんなに驚くなんて…見られなかったのが悔やまれます…」
「なまえさんが鬼灯様の唯一の弱点かも…」
「え?」
「いえ!じゃあ私行きますね!」
「はい、応援してます」


心底残念そうにしゅんと肩を落とすなまえに彼女は感慨深く頷く。
まったく非の打ち所がない冷徹な補佐官の弱点を見つけたことに満足そうな表情を形づくったマキは、穏やかに手を振って送り出す彼女に明るく笑いかけたのだった。


prev next