「あの…リリスさん……」 「なまえちゃん、遠慮しなくていいわよ、欲しいものがあったら買ってあげるわ。ダーリンが」 「は、はぁ」 地獄に店を構えるぽっくり百貨店。本来なら新しい拷問器具を選ぶため鬼灯とお香に合流するはずだったのだが、幸か不幸かばったり鉢合わせてしまったリリスに引きずられるようにして同伴することになったのだった。 久方ぶりに顔を合わせた彼女と談笑するのはとても楽しいけれど、鬼灯たちを待たせてしまうことになるのは心苦しい。 女性たちが喜々として参加するバーゲンには目もくれず高級品ばかりをひょいひょいと購入していくリリスを弱ったような笑みを浮かべながら遠巻きに眺めていると、同じように脇に控えていたスケープがぽつりとつぶやいた。 「リリス様いつになくはしゃいでるなぁ…」 「日本の物が珍しいんでしょうか?」 「それもあるでしょうし、何よりなまえ様がいるからだと思いますよ」 「え?」 「頻繁に日本の地獄へ訪れる訳にもいきませんし、貴女に会いたいともらしていらっしゃいましたから」 「……そうだったらとても嬉しいです」 明朗な笑みの中にも色香を漂わせながら買い物を続けていくリリス。 スケープの言ったとおりなまえと共にいることで彼女を笑顔に出来るのならもう少しだけ一緒にいよう、と穏やかな微笑みを唇に乗せる。 「なまえちゃん、ちょっと来てー」 「はい、今行きますー!」 弾んだ声に呼ばれてぱたぱたと駆けていく、主人曰く"かわいい友達"を見送りながら、スケープは矩形の瞳をやわらかく細めたのだった。 * 「たくさん買いましたね…スケープさん、少し持ちましょうか?」 「いえ、大丈夫です。お気遣い感謝します」 スケープの腕の中で山となっているそれを見て申し出れば、ぺこりと頭を下げられて柔らかい口調で断られてしまった。あれでも持ち切れない分は郵送してもらっているのだが、リリスはまだショッピングの手を止めようとはしない。 「ねぇなまえちゃん、あれキモノよね!」 「あ、友禅染めですね、綺麗…」 リリスの心を射止めた友禅染めの着物はなまえにはとても手が出せない値段がつけられている。 素人目にもわかる上質な布地を色鮮やかに染めあげたそれはもはや芸術品と言っていいだろう。その美しさに、見ているだけでほう、とため息をついてしまう。 「どうせならお揃いにしましょうよ、ね?」 「で、でも高いですし」 「アラ、お金をかけた分だけ綺麗になれるんだから惜しむ必要はないと思うわ。鬼灯様に見せたいとは思わないの?」 「それは…」 確かになまえは執拗な化粧をせず着飾るのは得意ではないけれど、鬼灯のためなら、とは思う。 彼が少しでも喜んでくれるのなら、少し背伸びをしてみてもいいかも知れない。 鬼灯の名を出した途端、迷うように棚を見つめ始めるなまえにリリスはくすりと笑みをこぼした。形づくった微笑に首を傾げられると、彼女はそのつややかな唇を開く。 「好きな人のために頑張る女の子ってアタシ好きよ」 「リリスさん…」 「それにキモノじゃなくても小物ひとつで印象って随分変わるわよ」 艶やかさの中にもなまえを見守るような優しい色を見つけてどこかくすぐったいような気持ちになりながら、宝石のようにきらきらと輝いて見える小物を眺める。 ふと目を引かれたのは朱に塗られたひとつの帯留め。金魚をモチーフにしているのか、流れるような曲線に縁取られた姿は清らかで愛らしい。 それに心を傾けるうち、ついあふれ出たような笑みを咲かせたなまえの背後からひょこりとリリスが顔を出す。 「可愛いわね、なまえちゃんにぴったり」 「そうですか?」 「じゃあそれ買いましょう。ダーリンお財布〜」 「え!?悪いですよ、自分で買います…!」 「いいのよ。その代わりこれからも鬼灯様と二人で、アタシを楽しませてね」 「えっと、が頑張ります?」 なまえに小さな包みを手渡しながら俺の金なんだがな、とぼやくベルゼブブに何度も頭を下げて身を縮こまらせていると、通路を挟んだ向こう側の店の傍で見覚えのある後ろ姿が佇んでいるのを見つけた。 なまえの心までも惹きつける逆さ鬼灯は彼のものだ。 リリスはきらびやかな品物に御執心のようだったので彼女たちには気づかれないようそっと呉服店を後にすると、なまえは浮き立つ心を抱えながら彼へと歩み寄る。 「鬼灯さん!」 「おやなまえ、遅かったですね。もう購入は済ませてしまいましたよ」 「すみません、リリスさんと一緒にいたもので…」 「彼女日本に来てるんですか」 「ええ、偶然会って」 唐突に姿を見せたなまえに少し目を見開いて驚いた鬼灯はリリスと居たという科白に一瞬逡巡し、紙袋を手に戻ってきたお香となまえを連れて踵を返す。 慌てて後を追うなまえに気がつくと歩調をゆるめてくれたけれど、歩みを止める気はないようだ。 背後ではリリスにねだられて高級な品をいくつも購入させられているベルゼブブと、同伴中なのか妲己を連れた白澤の姿が見えた。彼もまた妲己に貢いでいる最中のようだ。 「ここは女王様と犬の巣窟か」 「白澤様まで…」 「挨拶しなくていいんですか?」 「出先で取引先の赤裸々なプライベートを見てしまうと何か全力で避けたくなる」 彼らの個人的な事情に首を突っ込みたくはないという鬼灯の言い分もわかるけれど、先ほどまで共にいたリリスたちに挨拶もなしに帰ってしまうのは気が引ける。 迷うように彼女たちを見つめるなまえの手を取った鬼灯に半ば連れさられるようにしてエスカレーターに足を乗せても肩越しに背後を振り返っていると、小さく手を引かれる。 「どうしました?」 「あの、やっぱり私リリスさんたちにご挨拶に……あ」 「あ」 眼下でばったりと顔を合わせてしまった白澤たちが見えて思わず声をもらしてしまう。 加えて、逃げる姿勢を取っていた鬼灯の姿を目敏く見つけたベルゼブブがその背にある翅をふるわせたかと思えば一息に飛び上がり、鬼灯の肩をがしりと掴んだ。 鬼灯が咄嗟になまえの手を離せば、彼は引き摺られるままに階下へと滑り落ちていく。 エスカレーターの膝元でうずくまる鬼灯を認めたなまえは心臓がひやりと冷やされたような思いになり、慌てて彼の元へと駆け寄った。 「鬼灯さん!大丈夫ですか!?」 「ええ、多少頭をぶつけたくらいですよ」 「見せてください…!」 「なまえは心配性ですね」 「い、いいから見せて下さい…!」 なまえの科白にふっと目を細めた鬼灯は沈痛な面持ちで髪に触れる指先を握ると、安心させるかのように彼女の頭をぽんぽん、と撫でてやる。 そのぬくもりと向けられたやわらかな眼差しを受け、ほぐれるようにゆるやかになっていく心内になまえはようやくほっと息をついた。 膝を突いていた彼女を立ち上がらせた鬼灯は次いでベルゼブブへ視線を投げる。 「ベルゼブブさんは私より妲己さんに挨拶した方がいいですよ」 「?」 「アナタ、この人友達の妲己よ」 「……よく考えたらこの図凄いですね…」 「言われてみれば」 この状況を改めれば妲己は世界有数の悪女、彼女に同伴している白澤は鬼灯がリリスに紹介した浮気相手で、と複雑な関係が交錯している彼らに苦笑がもれた。 流石の白澤もこの場には気まずさを覚えているらしく、ベルゼブブからは目を逸らしている。 しまいには浮気相手の夫への弁解に、基本的に人妻には手出ししないなどとのたまう彼に鬼灯はきゅっと眉をしかめた。蔑むような視線で白澤を突き刺すと、低く地を這うような声音で彼を責め立てる。 「だったらなまえにもちょっかいかけないでくださいよ」 「僕はまだお前となまえちゃんが夫婦だなんて認めてないからいいんだよ!」 「それどういう理屈ですか…?」 そもそも鬼灯と添い遂げるようなまえの背中を押したのは白澤なのだが、当の本人は忘れてしまっているのかあの言葉を悔いているのか、なまえを見れば口説きにかかる癖は治らない。 きっと社交辞令のようなものなのだろう、となまえの中では自己完結させてしまっているのだけれど。 一方で、白澤に頷いたリリスは艶やかなルージュの引かれた唇をゆっくりと開いた。 「でもわかるわー、なまえちゃんって何か目をかけたくなるっていうか…だから貢いじゃうのよね」 「貢ぐ?」 「あ、さっきの帯留め本当にお支払いしますから…!」 「何のことですか」 鬼灯を置いて話を進めていく2人に問いかけると、困ったように首を傾けたなまえが事情を明かしていく。 そうしてリリスに帯留めを贈られたらしいことを知った鬼灯は眉根を寄せながら懐を探った。 リリスからとはいえ元を正せばベルゼブブの金だ。鬼灯は顔をしかめつつ釈然としない感情ごと突き出すように金を手渡した。 「鬼灯さん、私が払いますよ」 「いえ、私からなまえに、ということにしておいてください」 「でも…」 「貴女が身につける物を他の誰かから贈られたと思うと不愉快なんです」 「……」 思わず頬を赤らめてしまうようなことをさらりと言ってのけられたら口をつぐむしかなくなってしまう。ほのかに朱色の差す肌を露わにしたなまえがこくんと頷くと、鬼灯は満足そうに瞳を和ませた。 彼は胸をふわりと包むあたたかい感覚に浸るなまえの耳元へ唇を寄せると、囁きかけるようにそっと言葉を落とす。 「きっとよく似合いますよ」 「き、気合いを入れておめかしします…!」 不意に近づいた距離に心臓を跳ねさせながらどうにか答えを返すなまえを愉悦をふくんだ流し目で見やった鬼灯は、まだまだ買うものがあると先導するリリスの後を追うべくその華奢な背に手を添えたのだった。 |