パシャパシャと軽快に焚かれるフラッシュを浴びるのは、新しく設立される地獄について解説を進める鬼灯だ。 彼が提案した待ち伏せ地獄という名のそれは、豪華な家を構え極限状態に置かれた亡者を其処へ誘うというもの。更にはただの屋敷でなく、食品サンプルを使用して彼らの三大欲求を刺激する、という新しい試みも加えられている。 そこで採用されたのが猫獄卒。淡々とした恐ろしさのある猫たちは待ち伏せハウスの奥、おどろおどろしい暗がりで待機する役目にぴったりなのだ。その演出はさながら某童話を想起させる。 そして、今日は猫獄卒の募集と一般からの意見を求めて公開シミュレーションに踏み切ったのだった。鬼灯を包囲する報道陣の中にはあの猫又記者である小判の姿も見えた。 不意に、記者からの質問や新地獄について説く鬼灯を見守っていたなまえの着物の裾がくい、と引かれる。 それにつられて目を落とせば、視界に捉えたのはシロだった。彼の後ろには一様にそのやわらかな耳と尻尾を垂れさせる犬獄卒たちがちょこんと座り込んでいる。 なまえを見上げるその愛くるしい瞳たちにきゅっと胸を締め付けられながら首を傾げる。 「シロさん?どうしたんですか?」 「なまえさん…新しい地獄には俺たち必要ないってこと?」 「違いますよ、ただ今回は静かな雰囲気に猫獄卒さんの方が合っているんです」 「でも……」 納得いかないというようにうなだれる彼と目線を合わせるように腰を屈め、丸みを帯びた頭をそっと撫でる。 優しく愛でるように何度も頭上を往復するあたたかな体温にシロはゆるゆると目尻をやわらげた。 うかがうようになまえを上目に見ればやわらかに緩められた瞳と視線がからみ、冷えていた心が彼女の優しさに溶かされていくようでひどく心地がよい。 慈しむような眼差しに胸のあたりがふわふわと浮き立つ。 それに勇気づけられ、頭をなまえに擦り付けるようにして彼女を仰ぐと、穏やかな日だまりのような笑みを寄せられてその唇が開かれた。 「待ち伏せハウスで採用されるのは猫さんだけとは限りませんよ?」 「え?」 「シロさんたちも頑張れば猫獄卒さんたちと肩を並べられるくらいになるかも…」 「お、俺がんばる!」 なまえの言葉にたやすく煽られてくれたシロをはじめとした犬獄卒たちは、猫に負けてたまるか!とばかりに一致団結して鬼灯の元へ向かっていく。 思わぬライバルの登場により士気が下がっていた犬獄卒を景気づけ、尚且つ気まぐれな猫たちの意欲を高まらせるには敵対関係にあるらしい彼らを衝突させる、という方法しか思いつかなかったのだけれど、いささか発破をかけすぎただろうかとなまえは首をすくめる。 彼らを眺めていると、猫たちは宿敵から避難するようにするすると鬼灯の頭や肩に身をのぼらせていた。 姦しい空間に囲まれ彼らを乗せたまま微動だにしない鬼灯と、出し抜けに視線がつながる。怪訝そうな視線に誤魔化すような微笑みを唇に乗せれば、淡く瞳を細められた。 対立するふたつの群れに取り囲まれた鬼灯がその群生をかき分けつつ、指を追ってちょいちょい、となまえを手招きする。 「シロさんたちを唆したのなまえですか?」 「ほんの少し、ですけどね。いけませんでしたか…?」 「いえ、よくやってくれました。仕事というのは仲間とライバル、両方がいる時出来も効率もよくなりますから」 元々お互いに抱いていた彼らの対抗心を少しだけつついてあげただけなのだけれど、こうして鬼灯に褒められると胸が喜びに華やぐ。 こらえきれずにふわりと顔をほころばせた頬を鬼灯の手のひらがねぎらうように撫でれば、息をひそめて2人を傍観していた小判がこれ幸いとその光景をファインダーに収めた。 「相変わらず仲いいですねェ、今度なまえ様の特集組ませてくださいよォ」 「許しません」 「いーじゃねェですか、宣伝に協力するんですから見返りとして…」 「では小判さんには頼まないことにします」 「あー、わかりましたよォ。…ガード堅ェなァ」 不満そうに二又の尾をゆらりと振った小判はあきらめたようにため息を吐いた。 眉間にきつくしわを寄せて小判を見下ろす鬼灯に困ったように笑いつつ、なまえは足元で競り合うけものたちに温かい目を向けたのだった。 * 荒れた岩肌を進むと、荒涼とした景色にはそぐわない家が見えてくる。 さながらお菓子の家のような外見をしたそれに、なまえは呆気に取られた。待ち伏せハウスと名づけられた屋敷は食欲をくすぐるような良いにおいをふわりと漂わせ、つやのある食物で飾られている。 まさかその家が食品サンプルで制作されているとは誰も思わないだろう。 「すごい完成度ですね…」 「でしょう、…よだれ垂れてますよ」 「えっ!」 「冗談です」 慌てて口元に指先を当てるなまえに目を細めて言えば、もう、と照れたように彼女の手が鬼灯の腕に触れる。 今日は、小判の協力もあってようやく猫獄卒の数が規定に達した新地獄を視察に来たのだった。 犬と猫の不仲をうまく利用し、彼らを焚きつけて完成させたこの待ち伏せ地獄は食品サンプルを用いていることもあり外国からの観光者は絶えず、ささやかな観光スポットにもなっている。 料理を彩るみずみずしささえも見事に表現されたそれを見やり、確かに日本の技巧は世界に誇っても遜色ないものだと感嘆する。 そうして鬼灯と2人並んでいると、真白な尾を揺らし、とことこと愛らしい足音を立てて駆けてきたのはシロだ。 口元の毛が朱に染まっているのは職務を全うしているしるしなのだが、無邪気な瞳を輝かせる彼には何とも似つかわしくない。 「あっなまえさんなまえさん!俺たち頑張ってるでしょ!」 「はい、よく働いてくれて助かってますよ」 「へへ」 ふふん、と得意げに小さく鼻を鳴らすシロを褒め讃えるようにその背へと手のひらを滑らせる。なまえは彼の唇に紅のように引かれた赤い色にくすりと微笑をもらしながら、ハンカチを取り出した。 彼の汚れた口を拭ってやるなまえは子供の面倒を見る母のように、その瞳に慈愛をにじませてシロを見つめている。行儀よく座って大人しくなまえを受け入れているシロもどこか嬉しそうにそのふっくらとした尾をひと振りした。 そんななまえたちに幾分かやわらげた眼差しを寄せた鬼灯は彼女に倣って腰を折り、そのあたたかな毛皮に指先を差し込んだ。 「………へへ」 「シロさん?どうかしましたか?」 「鬼灯様となまえさんは元から仲が良いけど、2人に仲間入りできたみたいで嬉しいんだ!」 「私も、とっても嬉しいですよ」 なまえの膝の上にそっと前足をかけたシロは明るくそう言って鬼灯たちを見上げた。つぶらな双眸に見つめられて顔を見合わせたなまえと鬼灯はどちらからともなく瞳を和ませる。 膝に置かれたふんわりとした前足を優しく撫でたなまえは、柔和な笑みをそっと咲きこぼれさせたのだった。 |