恋しぐれ | ナノ




普段よりいくらか早めに公務を終えることができ、鬼灯と連れ立って食堂へ向かう。たどり着いたそこでは、ちょうど唐瓜たちも食事をしに来ていたらしく、ひとつのテーブルを囲んで何やら談笑していた。

彼らが気を引かれている美容室の広告と話の内容から察するに、鬼の大敵である癖毛について悩んでいるらしい。
鬼灯は絹糸を連想させる流れるような黒髪をしているけれど、彼らは癖の強い地毛が悩みの種のようだ。

唐瓜たちの隣の席に腰をおろした鬼灯に倣って、なまえも椅子を引く。


「直毛は直毛で大変なんですよ」
「鬼灯さんの髪質は、寝癖がついたら直すのに苦労しますからね」
「お手数おかけします」
「いえいえ」


一度ライオンのたてがみのように傍若無人な寝癖がついていたことがあり、あの時は出勤時間ぎりぎりまで粘ったものだ。

結局櫛だけでは事足りずなまえの愛用している寝癖直しを使ったのだけれど、香料がふくまれていたせいであの日はずっと鬼灯から花のような芳香がふわふわと漂っていたことを覚えている。
甘いにおいに包まれる鬼灯が可愛らしいやら2人して同じ香りをまとっていたことが気恥ずかしいやらであまり仕事に身が入らなかったな、と苦笑をもらした。


「いいじゃないですか、鬼灯様はなまえ様が直してくれるんですし」
「やっぱ天パは面倒ですよ」


芽花椰菜の花蕾を思わせる髪を携えてなまえの隣へ腰掛けたのは経理課の葱だ。天然パーマ故の苦悩も彼が口にすると妙に説得力がある。
鬼の男性は特に癖が強烈で、剛毛も加わって櫛が通らないと話す葱たちは毎朝苦心しているのだろう。


「いやいやそんな悩み贅沢三昧ですよ」
「あっ葉鶏頭さん、お疲れさまです」
「お疲れさまです」


なまえと挨拶を交わし、少し離れた席についた葉鶏頭はその薄ら寒い頭部を惜しげもなくさらしてひとつため息をつく。
髪セレブめ…などと恨み言を連ねる彼に困ったように笑っていると、葉鶏頭の角が他の獄卒のそれと比べて随分と長いことに気がついたシロが疑問の声をあげた。
彼が他の鬼より大きな角を持っているのは特別葉鶏頭のそれが長い訳ではなく、皆髪に隠されているから倍以上のものが生えていると思ってしまうのだ。

しかし癖毛のせいで角が見えなくなる、ということもあるらしく、鬼特有の様々な悩みがあるのだな、となまえは首を傾げた。


そんな苦悩談義に花を咲かせていると、高い声がきん、と耳に響く。
皆の視線が集まった先には横髪を巻き、こんもりと髪を盛った鬼女の姿があった。流行の最先端をいく彼女には亡者も驚くだろうと半ば関心していると、ひょっこり顔をのぞかせたのはお香だ。


「女の場合はねぇ、男性の気を引くためというより女同士の見栄の張り合いが大きいのよねぇ」
「なるほど」


確かに、女性の場合は男性よりも同性からの目を気にしている節は見られる。
見栄など張らずにもっと気楽に過ごせば良いとなまえは思うのだが、そうはいかないのが女の世界というものだ。


「私はその人に合ったスタイルでいいと思うんですけどね…」
「なまえも参戦しているのですか?」
「参戦って…そりゃ身だしなみには気をつけていますけど」
「なまえちゃんはいい意味で飾らないから男性にも女性にもいい印象として映るわよね」


穏やかに微笑みかけられてなまえは照れたようにはにかむ。斯く言うお香も男女から好かれており、まだ幼い身の頃から抱いていた憧れは消えないままだ。

彼女が指し示したテレビにちょうど映し出されたのはあるアイドル。彼女たちは男性に受ける女の子らしい華やかなスタンスを崩さないし、反して女性の頂点であるモデルは奇抜な服をいかに着こなせるかによって価値が決定しているようだ。
なまえはアイドルを見れば可愛らしいと思うし、どんな服装でも自身を際立たせるオーラを放てるモデルも素敵だと思うのだけれど。


「私はどっちでもない方が好きです」
「ミステリーハンターさんですね!」
「自分かもって思わないとこがなまえ様らしいな…」


彼の言葉にぽんと手を打てば、ちらりとこちらを見下ろした鬼灯は呆れたように肩をすくめた。

鬼灯が好みというからには某番組のミステリーハンターしか思いつかなかったのだけれど、葱の一言にそういう考えもあるのか、となまえははっと息をのむ。
気取らないところが彼女の魅力でもあるが、鈍いのも考えものだと鬼灯の思わぬ苦労を知った葱は無表情を崩さない彼を一瞥した。


「今度ミステリーハンターの格好してみてくださいよ」
「うーん…面白そうではありますけど……メイド服といい、鬼灯さん私のこと着せ替え人形か何かだと思ってませんか…?」
「メイド服!?」
「何か覗いちゃいけない夫婦の事情を垣間見てしまった気がする…」


良からぬ想像をふくらませたのか、ほんのりと頬を赤らめる唐瓜と茄子をなまえは不思議に思って見つめた。
コスプレともいえる嗜好だから妙だと思われても仕方ないのだろうけど、今の会話に顔を赤くする要素でもあっただろうか、と視線だけで訊ねるように鬼灯を見やる。

なまえと瞳をからめた鬼灯はやわく目を細めたかと思えば、秘めごとのようにそっと耳に唇を寄せた。
愉悦のような含みのある眼差しを敏く察知したなまえは、唇が触れてしまいそうなその距離に心臓を甘く跳ねさせながらも身構える。


「知りたいですか?」
「い、いえやっぱりいいです」
「遠慮せずともいいのに…まぁ嫌いじゃないとだけ言っておきます」
「……覚えておきます」


頬をほのかに色づかせて鬼灯から顔を背けたなまえの頭を、彼はぽんぽんと宥めるように撫でる。
髪を優しくひと梳きされ、アイドルといえば、と再び話の輪に戻っていく鬼灯を盗み見て浅く吐息した。

きっとこれからも、2人の間にたゆたう空気が唐突に甘さをはらんだものになることに慣れを感じたりはしないのだろう。未だに耳を鬼灯のゆるい息づかいがなぶるような気がしてそこを指先でさすっていると、隣から感じた視線をたどり鬼灯を振り返る。


「何ですか?」
「いえ、なまえがマキさんの話に食いつかないのは珍しいと思いまして」
「えっマキさんが何ですか!?」
「聞いていなかったんですか?」
「は、はい」


まさか鬼灯のことで頭がいっぱいだったとも言えず、顔をうつむかせながら身体を縮こませる。ファンとして、何より友人として失格だ、と心の中で彼女に謝りながらなまえはしゅんと肩を落とした。

何やらどんよりと重たい空気を背負っているなまえに鬼灯が小さく首を傾けつつとりあえずその華奢な肩を慰めるように撫でていると、シロは自身の頭にそのやわらかな前足を乗せながらつぶやいた。


「いいなあー、俺も流行りの髪型にしたい」
「女性としてはさ、どうなの?天パやら直毛やら」
「アタシのこれも天パよ、忙しい朝でもセットは楽なの」


お香の科白につられるようにしてひとつにまとめられた髪をいじれば、朱色の髪飾りがしゃらんと音を立てる。鬼灯から贈られたそれに思わず顔がほころんでしまうと、ちょうどなまえを見ていたのか黒曜色の虹彩と視線がからんだ。

どこか柔らかさを帯びた眼差しに見つめられて笑みを深めると共に、ふわりと胸があたたかくなる。
周囲の目を忍ぶようにひとときの間だけ互いを見交わしたあと、ふたりは彼らの会話に耳を傾けた。


「…アイドルは髪型も仕事の一つだけどアタシたちは違うもの」
「そうですよ我々は獄卒なんです。いかにも"鬼"とわかる方が仕事上正しいのかも知れません」
「じゃあ鬼灯さんもパーマに…?」


なまえの一言に皆の頭の中でパンチパーマをあてた鬼灯の姿が思い描かれる。確かに正しく鬼、という姿だが何故か頷き難いそれに集った面々は一様に口元をひきつらせた。
眉をしかめて顎に手を当てた鬼灯は悩ましい口調で独りごちる。


「自分で言っといて何ですがこれは…アリか?………なまえ、どう思います?」
「わ、私ですか!?……えっと…本来の鬼の姿を追求するならそれでもいいと思いますけど、私は今の鬼灯さんが1番だと思いますよ?」
「なら今のままでいいか」
「決断早くないですか!?」


間髪入れずになまえに同意した鬼灯に唐瓜の突っ込みが飛ぶ。
何夜も徹するほどの仕事人間であることに加えて仮にも悩んでいたというのに、と言いたいことは多々あるけれど、彼にはなまえの言葉が唯一といっていいほどの効力を見せるのは周知の事実なのでその科白は喉の奥にとどめておく。

変わらず蜜月のような睦まじさをのぞかせる夫婦を余所に、唐瓜は苦悩の原因でもある右へ左へ気ままに遊ぶ髪を一束つまんだのだった。


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