山の女神である木花咲耶姫が富士山の現状を報告するために閻魔庁へと訪れた時のこと。 記録書に目を通す鬼灯をよそに、閻魔はふと湧き出た疑問を口にする。 「そういえばさ、サクヤ姫の有名な伝承……あれ本当のことなの?」 「確かにあのお話はにわかには信じ難いですよね…」 「ああ、あれはね」 いつも総じて穏やかでおっとりとした空気を連れ従えているサクヤ姫。 そんな彼女にまつわる逸話はサクヤ姫の性格を鑑みれば実にしっくりこないものだった。 それは天孫ニニギとの間に初めて子をもうけた際のことだ。 一夜しか共にしていないこともあり不安だったのだろう、本当に自分の子かと疑うニニギに憤慨したサクヤ姫は産屋を建てて火を点け、その中で見事出産してみせたのだ。 そんな突飛もない秘話が彼女に在るとは、正直なところ考えられない。 しかし如何もその話譚には種があったらしい。彼女が言うには、当時現れた使用人を名乗る子供たちが考えた手品のようなものだったようだ。 大昔の逸話として語られるそれだが、当人からすれば愛するひとが自分を信じてくれないのだ、ひどく悲しかったことだろう。 心苦しく思い彼女をうかがうように声をかける。 「そんなことがあったんですか…」 「ええ、でもあの使用人の子達とはそれから一度も会ってないのよ」 「なるほどねぇ、サクヤ姫大人しそうなのに妙な説話だと思ってたんだ」 「……ああ、ありましたねぇそんなことも」 手品が存在しない時代だったから通用したのだと重ねて話す鬼灯を、呆気に取られて見上げる。 まさかその幼子は彼だったのだろうか。 軽く目を見開いたなまえは鬼灯と視線をからめながらまぶたをまたたかせる。 互いを見交わす夫婦の傍らで不思議な巡り会わせもあるものだと驚いていたサクヤ姫は、次いで仲睦まじく肩を並べる彼らを見てふわりと笑みを浮かべた。 「なまえさんたちはそんな心配もなさそうね」 「え?」 「だって仲良さそうだし、補佐官様がなまえさんを疑うことなんてないでしょう?」 「…ど、どうなんでしょう」 「私に聞かなければわからないことですか?」 疑われることはないと信じているけれど鬼灯の心のうちは彼にしかわからないし、万が一ということも、と悩む姿勢を見せるなまえ。 そろそろと鬼灯へ視線を寄せれば、ふう、とあからさまなため息をついた彼に肩を跳ねさせる。 「全く、なまえは相変わらずですね」 「………」 「信じていますよ。それに貴女にそんな器用なことが出来るとも思えませんしね」 「鬼灯さん…」 「まぁDNA鑑定という奥の手もありますし」 「一言余計です!」 ちょっと感激していたのに、と唇を尖らせるなまえの頭をいつものように撫でつけると、たまたまその場に居合わせ2人の様子を見ていた烏頭と蓬は感心したような息をもらす。 彼らもサクヤ姫の逸話が生まれた場に立ち会っており、更に言うならば鬼灯の部下であると共に友人であり幼馴染でもある。 「しかし丸くなったよなー。今じゃ補佐官様だし、嫁さんは見つけてくるし」 「でもいつも冷静だったから補佐になったのは考えられないことじゃないよね……結婚した時は驚いたけど」 「何ですかその言い様は」 「だって…なぁ?」 「うん」 意味深な視線を交わし合ったあと、にやりと笑い合う2人と彼らに訝しげな瞳を向ける鬼灯。 3人の仲の良さが一目でわかる応酬を微笑ましく思ったなまえがふわりと笑みをこぼしてしまえば、少し不機嫌そうに眉をしかめた鬼灯に戯れにきゅっと頬をつままれてしまった。 「なにするんですか」 「なまえが憎たらしい顔をしていたので」 「ちょっといいなぁっておもってただけです!」 「2人が羨ましいんですか?どこが?」 未だその指先で頬の肉をつまむ鬼灯の手を外そうと躍起になりながら、拙い発音で言葉をつむいでいく。 幼馴染という縁で繋がる3人は交流もあり、鬼灯がどんな性質をしているかも烏頭たちはよく把握しているだろう。 それに加えて幼い鬼灯との思い出も彼らにはある。 話には聞いているけれど、やはり彼の、好きなひとの幼き日々を見てみたいと願うのは自然なことだ。未だ小さな頃から何かしら仕出かす鬼灯の振る舞いを耳にする度に、そこに居合わせられたらと考えてしまう。 同じ思い出を共有できたらとてもとても、幸せだろうな、と。今思いを馳せても仕方のないことだけれど、どうしてもそんな風に思ってしまう。 困ったように表情をくずすなまえの頬に触れていた鬼灯の手が持ち上がり、額の辺りで止まったかと思えばそこを淡い力でぴん、と弾かれる。 甘く加減された力が肌に伝わり、なまえは目を丸くした。 「…言葉にはしませんけど意外となまえって欲しがりさんですよね」 「ほ欲しがりさんって」 「今、私の"隣"にいるのはなまえでしょう」 「!」 「更に私の過去も欲しいのですか?」 「……そう言われるとすごく強欲な気がしてきました…」 しゅん、と肩を落とすなまえを見つめながら、鬼灯は浅く息をつく。 鬼灯の心すべてといってもいいくらいの想いを彼女に傾けているというのに、なまえはまだ足りないと言うのだから困ったものだ。 きっと彼女に自覚はないのだろうが、なまえが鬼灯を求める度に胸の辺りが変に浮つくものだからあまり気安くそういう科白を口に出されると身がもたない。 何かを誤魔化すようにわしゃわしゃと頭を撫でまわす鬼灯に、頭上に疑問符を浮かべていたなまえはふと思い出し笑いをするように頬をほころばせた。 「何ですか?」 「いえ、鬼灯様も手品に嵌まっていた頃があったんだなぁと思ったんです」 「まぁ子供の頃の話ですし」 「何だかかわいいですね」 「だから男に対して言う言葉ではないと再三言っているでしょう」 「すみません」 注意されながらもやんわりと微笑みを唇に乗せるなまえに呆れの交じった瞳を寄せた鬼灯だが、その表情はどこかやわいものだった。 そんな睦まじい2人を遠目に眺める烏頭と蓬は旧友の幸福を目の当たりにして肩をすくめる。 先ほどは戯れのようにああ言っていたが、もし彼女との間に子を成したとしても一寸すら疑うことなどしないのだろうと考えて、友人たちは静かに笑みをたたえたのだった。 |