十二の月が廻り、今年も訪れた一年の暮れ。 資料の中に亡者ひとりひとりの記録を詰め込んだ膨大な量のそれを整理し、棚の上へ宛ら雪のようにこんこんと降り積もった埃を取り除いていく。 記録課での大掃除がひと段落ついた頃。鬼灯が監守を務め、新卒たちが刑場で使われていた釜磨きに精を出す其処へと足を向けた。 「鬼灯さん」 「おや、記録課の掃除は終わったんですか?」 「……」 「なまえ?」 「…あ、ひと段落したので顔を出そうと思って……ここの釜は癖のある方が多いですから」 釜をせっせと擦る新卒たちを監視するように佇む鬼灯に声をかけると、くるりと振り返った彼はたすきをかけ、いつもよりそのたくましい腕や脚を露出させていた。 毎年のこととはいえ普段きっちりと着物を着込んでいる鬼灯の乱れたそれを見るのは新鮮で、思わずぽおっと見惚れてしまう。 張り出した筋肉や腕に浮き出る血管を目にして、男の人だなぁ、と素直な感想がぽとんと胸に落ちる。自分とは随分と異なる身体のつくりに心臓が甘く跳ねた。 彼女の心情をよそに小さく首を傾げた鬼灯はなまえの顔をのぞきこみ、そのほのかに赤く色づいた頬へと大きな手のひらを滑らせた。 「どうしたんです、顔が赤いですけど…熱でもあるんですか?」 「そ、そんなことありません。平気です」 「ですがほら、顔熱いですよ」 「それは鬼灯さんが……!」 「…私何かしました?」 どうやら本当になまえの心中を理解できていなかったようだ。 いや、確かに今回はなまえが勝手に鬼灯の男らしさに胸をときめかせていたのだから無理はないけれど、彼ならば彼女のささいな心の変化を感じ取ることは容易に出来た筈だ。 それでもわざとらしくなまえのやわい頬から手を離そうとしないのは、初々しい反応に彼の意地悪いところがつつかれてしまったからだろうか。 するすると肌をなぶる鬼灯の指先にぴくりと肩を揺らしたなまえは、そのどこか艶をふくんだ仕草に耐えきれず今までそこらを彷徨っていた視線をあげ、真っ赤に染まった顔をさらした。 「ほ、鬼灯さんが離れてくださればそのうち収まりますから!」 「今は鬼インフルエンザも流行っているでしょう?心配なんですよ」 「大丈夫です私鬼じゃないですし!」 「そういえばそうでした」 とぼけたように目を丸くして空いている片手を頭にやった鬼灯を、恋しさと恨みがましい想いの交ざった複雑な瞳で見やる。 それでも頬を包む手のひらはなまえのぬくもりから離れたがらず、むしろ先より甘い色を溶かした眼差しが鬼灯から降り注いだ。 「……で、ですからあの、手を…」 「…なまえは、付喪神にも人気ですよね」 「え?そうですか?」 「掃除の腕がいいとかでいつも引っ張りだこじゃないですか」 「えっと…鬼灯さん?」 かすかに眉をひそめた鬼灯は、唐瓜たちが汗を流して磨く付喪神となったそれに切れるような視線をうつす。 鬼灯の言うとおり彼らには身体を磨いてくれとせがまれることが多い気もするけれど、単純に綺麗になりたいからでは、と首を傾げたなまえに鬼灯はため息をもらした。 「彼ら…なまえを見る目がやらしいんですよ」 「きっとあの目は生まれつきだと思いますよ!?」 「いえ、男にはわかるんです」 「は、はぁ」 やけにぎらぎらとした目を釜に投げる鬼灯はまさか付喪神をそねんでいるのだろうか。むっすりと唇を引き結ぶ彼に喜んでいいのかわからず、困ったように笑う。 頬に当てられた鬼灯の手をそっと握ると、まばたきを増やした彼がこちらを見下ろした。 「ほら、年の瀬ですし彼らも1年の汚れを落としたいんですよ。お手伝いしてはいけませんか?」 「………なまえはいざという時のおねだりが上手ですね」 上目に見つめられてあやすように指先をからめられては駄目だとは言えない。滅多に聞けない甘えのようなわがままを言われると、許さないという選択肢は鬼灯の中から消えたも同然だった。 あきらめたようにゆるく息をついた鬼灯になまえがふわりと表情をほころばせると、最後に頬をひと撫でされて名残惜しそうに手を離される。 改めてその場を見回してみると、つるりとしたテフロンを加工された彼と、赤茶色の錆を身に纏った比較的古株の彼が諍いを起こしているのが見えた。それに巻き込まれている唐瓜を気の毒に思いながら鬼灯を見上げる。 「鬼灯さん、付喪神さんたちが口喧嘩を…」 「仕方ないですね」 つかつかと彼らに向かって歩いていった鬼灯は銀色のそれを持ち上げて、ちゃぶ台でもひっくり返すようにひょいと投げ飛ばしてしまった。 それがたった今言い争っていた彼に打ち当たったのを確認して立ち上がった鬼灯は、唐瓜たちに釜たちの扱いについて注意を促す。 「自力で歩けないタイプの付喪神はおしゃべりなんです、無視して洗っちゃって下さい」 「そうですね…お話していると楽しいんですけど、少し饒舌というか……」 「なるほどわかりました…」 気を取り直して再び釜掃除にとりかかった矢先、集中力が途切れてモップで遊びだしてしまう茄子をしっかり者の唐瓜が鋭くいさめる。 「…茄子さんはご自宅の大掃除ができなさそうですね」 「ハイ、なので昨日も俺が手伝って…」 「唐瓜さんは本当に面倒見がいいですね」 黒い表面に蔓延った赤錆を削り落としながら彼らの話に耳を傾ける。 どうやら茄子はなかなか物を捨てられず、片づけた傍から忘れて取り出してしまうものだから唐瓜が注意しながら大掃除を進めるのが常のようだ。 本当にいいコンビだなぁとなまえはにこやかに彼らを眺める。 「昔のものに気を取られるのはわかりますね」 「この前なんか鬼灯さん、意味のわからないメモとか発掘してましたね」 「あ〜そういうのってありますよね」 ついこの間、引越しを終えてもまだ荷物が残されている寮の部屋を年の締めということで鬼灯と共に掃除した際出てきた1枚のメモ。 サンタを捕らえる、アイスピックを10本、めいっぱいのあの部位、肝臓革命…などなど理解不能な言葉が連ねられた1000年前のメモ用紙にどことなく背筋が冷たくなりながらも何とか清掃を終えた時のことが脳裏をよぎる。 「なまえと出会う以前は散らかし放題だったので、どこに何があるのかなんて忘れてしまうんですよ」 「ふふ、これからもお掃除がんばりますね」 「よろしくお願いします」 丁寧に頭を下げる鬼灯にくすくすと笑みをこぼしながら気合いをいれるように拳を握ってみせるなまえ。 そんな雑談も交えながらようやく成し遂げた年末の大仕事にふう、と息をついた。さわやかなゆずの香りが漂う釜の中でぐつぐつと煮えたつ亡者たちを見ていると今年も終わりだな、とどこかもの寂しい感覚に陥ってしまう。 「鬼灯さん、来年もいい年にしましょうね」 「ええ。…なまえとならどんな困難に直面しても乗り越えられますよ」 「私がいなくても鬼灯さんひとりで何とか出来そうですけど……傍に置いてくださいね」 「当たり前です。…もうずっと以前から、隣になまえがいない情景なんか浮かびません」 透けるような淡い黄に染まった湯にいくつもの気泡が浮かんでは弾けていくのを見守りながら、ふたり寄り添って言葉を交わしあう。 お互いのいない未来など想像することすら叶わない。 純粋な想いは確かな甘さをはらみ、彼らの胸にたゆたっていたのだった。 |