恋しぐれ | ナノ




さあ、と降り注いだ水滴が金魚草に弾かれて、雫が薄ら日にひらめく。一層赤く色づいた模様は鮮やかに映え、通りすがる人々の目を潤した。


「金魚草が今年も紅葉してきましたね」
「この子たちを見ていると秋が来たっていう気分になります」
「ああ、赤紫色のものもありますね」


朗らかに言葉を交しあう2人だが、金魚草の世話を手伝う唐瓜にはその不気味な色に染まった金魚草がチアノーゼに見えて仕方ないらしい。
彼は冷や汗をにじませながらそれを見つめているけれど、マニアの間ではざわめくトルコ石などと呼ばれ高値で取引きされていることは知らないのだろう。

声高らかに絶叫する宝の山に唐瓜は口元を引きつらせた。


「なんかさ〜俺この目が怖いんだよ、こいのぼりとか鳥よけの目も苦手で…」
「えっ」
「……作っちゃいましたね金魚のぼり…」


金魚草をモチーフにしたこいのぼりのような飾りを手に唖然とする鬼灯と口元に手を当てて目を丸めるなまえに、またこの夫婦は、と唐瓜は苦く笑った。

相変わらずのおしどり夫婦はさておき、今年開催される金魚草のコンテスト大会まであとわずか。
大会では大きさ、色、鳴き声を競うもので、なまえは審査員ではないけれど鬼灯に頼み込み毎年舞台袖から観賞しても良いことになっている。
今年はどんな子が優勝するだろうかとすでに期待に胸をふくらませていた。


「そういえば金魚草大使も選ばれるんですよね!」
「ええ、盛り上がると思いますよ」


2人の会話を聞いて行ってみようよ、と茄子に誘われる唐瓜に笑みを向けていると、鬼灯の携帯に着信が入った。
どうやら大会のゲストについてらしい。
鬼灯はミステリーハンターのお姉さんを呼ぼうと話し込んでいるようで、彼の無理難題になまえは困ったような苦笑をこぼす。
1度電話を切り、再びどこかへ掛け直す鬼灯を首を傾げながら見つめていると通話を終えたらしい彼がこちらに向き直る。


「なまえ、今年はゲストにマキさんを呼ぶことになりましたよ」
「本当ですか!?」
「ええ。……嬉しそうで何よりです」


日だまりに照らされたような明るい表情をぱっと咲かせるなまえに、鬼灯はかすかなわだかまりを抱えながら金魚草へと視線を戻した。
なまえも機嫌よく腰を屈め、ゆらゆらと肩を揺らしながら鼻歌交じりに雑草を引き抜いていく。
流れゆくあえかな歌声を耳に入れ、鬼灯はもつれた心情に眉をひそめながら波立つ唐紅の絨毯を瞳に映したのだった。





きゅ、と舞台袖のカーテンを握り締めてステージを見つめるなまえはやわい笑みを灯し、傍目にもそわそわと浮き足だっている。
鬼灯はそんな彼女の頭をぽん、と諌めるように撫でながら声をかけた。


「こら、落ち着きなさい」
「えっ、あ…そんなに浮ついてました…?」


鬼灯を見上げるなまえに頷いてやると、彼女はほんのり頬を赤くして照れたようにはにかんだ。
マキにお熱なのは重々承知しているが、何とも腑に落ちない。ぐるりと腹にまとわりつく重たい鉛のような感情を吐き出すように息をついた。

そんな鬼灯になまえがこてりと首を傾げていると、挨拶を終えたらしいマキがこちらへ踵を返す。

今年は最近のコンテストの中でも群を抜くほどの盛況ぶりだった。これもアイドルであるマキの人気ゆえだろう。熱気に包まれ盛り上がる会場の声を背に受けながら舞台袖へと戻ってきたマキになまえは駆け寄る。


「お疲れ様ですマキさん!」
「なまえさん!……何ていうか、すごいコンテストですね…」
「そうですか?今年はマキさんのおかげで大盛り上がりですよ」
「…マキさん、どうもありがとうございます。これ粗品ですが」


2人が話に花を咲かせる前に、割り込むように鬼灯がひょいと顔をのぞかせた。
華やいでいた視界が墨を流したような黒に塗り替えられたなまえは、まぶたをまたたかせて目の前の逆さ鬼灯を見上げるけれど、彼はこちらに一瞥もやることなくマキに手土産を差し出している。
その背中から不興の色がのぞき、どこかふてくされたような空気を察してなまえは再び首を傾げた。

彼に問いかけようと口を開いたその時、見た目は男だが女性らしい雰囲気を醸し出した彼……彼女が姿を現した。


「カマーさん!」
「アラなまえちゃん、久しぶりー」
「…あの人ってつまり…」
「大会実行委員長であり私と同じ審査員です」


釜彦と顔を合わせるのは彼女が記録課を辞めて以来だ。
釜彦と、女性同士が久方ぶりの再会を喜ぶように盛り上がるなまえ。そんな彼女を見守る鬼灯に、唐瓜はああいうデザイナー居るよな、と独りごちた。
彼の言う通り釜彦の本職はデザイナーだ。


「審査員が男と女とオカマか…」
「公平でいいじゃないですか」
「次は宣伝ですね!」
「おや、おかえりなさい」


彼女との談笑を終え、戻ってきたなまえは着ぐるみを抱えてさやかに微笑む。少し小さいが唐瓜と茄子なら問題なく着られるだろう。
もぞもぞと着込む彼らを横目に、模擬店を見たいと言うマキに鬼灯とふたり、顔を見合わせてからなまえの足元にある被り物に視線を落とす。


「マキさん身長いくつですか?」
「153センチですけど…」
「じゃあ着られますよ」
「嫌なら断ってもいいんですよ?私もいくら金魚草のためとはいえ少し抵抗がありますし……ただ模擬店は見られます!」


なまえに遠慮がちに手渡されたお世辞にも可愛いとは言い難い着ぐるみにマキは口元を引きつらせるが、有無を言わせないような鬼灯の視線に断ることもできず。

結局鬼灯に引率される形で、まさにずんぐりむっくりという単語が似合う被り物に身を包み会場の周囲を練り歩くマキ。
自身の仕事に疑問を感じ意気消沈する彼女の肩を、なまえは慰めるように優しく叩く。そのやわらかな感触に気落ちしていた心がふわっと軽くなった。
こうして寄り添ってくれるひとがいる。見守ってくれているひとがいると思うととても心強く、マキはなまえには見えない布越しにやわく微笑んだ。


暫く付近を寛歩し戻って来た会場では、いよいよ審査が始まろうとしていた。
ぽってりとした赤い唇から放たれる咆哮に聞き惚れているなまえの横ではマキが気圧されたように一歩後退る。


「うわあ…」
「あ、マキさんこれ食べますか?」
「これ…たい焼き?」
「金魚焼きです!粒あんとカスタードがありますよ」


たい焼きの型を金魚にしただけだが、生地には苺を練りこんで金魚らしさを演出している。
因みに鬼灯とののどかなお八つ時、たい焼きを食べていたなまえが思い付いた商品だ。マキが模擬店を気にしていたようだったからこれだけでも、と思い買って来た物だった。
快く受け取ったマキがそれを小さな口に含むのを微笑ましく見つめる。


「あ、マキちゃんこれも食べる?」
「何これ、飴?パッケージは可愛い…」
「あ、それはサプリなんですけど…」


茄子に勧められたサプリメントは金魚草のエキスをぎゅっと詰め込んだものだ。その効果はお墨付きだが、マキが喜ぶとは思えない。
止める間もなく、マキはそれをぱくりと口腔に放り込んでしまう。そんな彼女たちを他所に舞台上では順調にコンテストが進んでいき、金魚草大使を決定する審査の真っ最中だった。


「あっマキさんコレ食っちゃった?」
「?うん」
「お、落ち着いて聞いて下さいね、マキさん。それ…金魚草100本分のしぼり汁を濃縮したサプリなんです」


声をひそめてぽつりと落とされたなまえの科白を耳にした瞬間、マキは込み上げる吐き気と共に金魚草と寸分違わぬ絶叫を発した。その苦渋に満ちた叫び声に、審査員たちはぎらりとした視線を向ける。思いがけず金魚草大使の座に輝いたマキ本人の意思とは反して盛り上がる会場。

一方、なまえはその望月のような瞳に星を閉じ込めたように煌めかせ、舞台へと引き摺られていくマキを見つめる。
彼女の叫喚は彼らだけではなくなまえの芯にも響き、ぐらぐらと心を揺らしていた。
今日のこれがなまえを一層マキのファンに仕立て上げることになった出来事であり、なまえとの会話が暫く彼女の話題で持ち切りになった鬼灯の、苦悩の始まりでもあったのだった。


prev next