恋しぐれ | ナノ




ごつごつとした起伏のある土を踏み、なまえは受苦無有数量処へ向かう。そこで呵責を受けている一寸法師のことが気がかりで、時々こうして様子を見に来るのだ。
童話に描かれているだけあって、彼は世間に名高い有名人。故に実物と逸話の格差を好き勝手言う俗衆に苛まれ、それが心の深部に鬱積し重荷になってしまっているのだ。
触れれば爆発してしまいそうな彼をどうにかしてあげたくて愚痴を聞いたりしているのだけれど、なまえに同じような経験がないからかあまり心を開いてはくれない。

今日も彼の元へ向かおうと足を進めると、背中に声がかかった。


「なまえさん」
「桃太郎さん、芥子さんも受苦無有数量処に何かご用ですか?」
「亡者に生える木を薬に使うんですよ、生えている場所まで案内してもらっていたんです」


肩越しに振り返ればこちらに向かってその小さな手を可愛らしくふりふりと揺り動かしているのは芥子と、その傍には桃太郎の姿があった。珍しい組み合わせに目を丸めて彼らに近づくと、2人の背後に地面へと倒れ伏せている亡者がちらりと見えた。どうやら薬の調合に使う薬材を採りに来たようだ。
ちょこんと岩の上に座る芥子のふわふわとした背を優しく撫でていると、ふと脳裏に電灯がぱっと灯ったように良い案を思いつく。

2人の共通点はどちらも人々の間で語り草とされていること。そしてそれは一寸法師も同様だ。彼らならなまえの理解が届かない一寸法師の心中も分かち合うことができるのではないか。事情をわかってくれる人がいれば心持ちも随分異なってくる筈だ。
そう考えて芥子のやわらかな肌触りの前脚をきゅっと握って口を開いた。


「あの、お2人に会わせたい方がいるんですけど…!」
「私達に会わせたい方…ですか?」
「はい、一寸法師さんです」


ぴょこん、と耳を揺らしながら首を傾げた芥子に頷いて、次いで桃太郎を見上げる。
桃太郎が真摯な彼女の瞳に思わず首を縦に振ってしまうと、やわらかく表情をほころばせたなまえに促されて受苦無有数量処の奥へと導かれた。

荒廃した大地を軽やかに進んでいく華奢な背中はどこか嬉しそうに弾んでいる。
彼女の原動力の多くは他人のような気がした。その人のためになるのなら例えどんなささやかなことでも懸命に尽くしやり遂げようとする彼女だから、協力しようという気になれるのかも知れない。桃太郎は彼女の背を見ながら、芥子はなまえのあたたかい腕の中に抱かれながらそう思った。

空中をすいすいと泳ぐように飛ぶ蜻蛉にも似た蟲やそこかしこに生えた茸の一群を横目に歩むと、何やら訴えるような叫び声が鼓膜を揺らす。


「何か騒がしいっスね…」
「この声、一寸法師さんです…」


今まで腹の底に溜めていた鬱憤を吐き出すかのような怒号に慌てて駆け出す。頭上に刺々しい手を伸ばした梢の群れを抜けた途端、目に入ってきたのは斧を手に白い毛玉を追い掛け回す一寸法師の姿だった。
手のひらほどの子犬たちを頭に乗せ逃げ回るシロを呆然と見やったあと、一寸法師を追う鬼灯に目をうつす。


「ほ、鬼灯さん?これは一体…」
「なまえ、と桃太郎さんに芥子さん、いいところに」


なまえを目に入れて金棒を横薙ぎにしようと構えた姿勢をぴたりと止めた鬼灯に3人揃って首を捻った。
さあ、と彼に促されるままに桃太郎、芥子、一寸法師は切り株に腰かけてそれぞれの内に秘めた思いを吐露していく。同じ悩みを抱えていた桃太郎と意気投合した一寸法師は晴れ晴れとした表情をしており、ほっと胸を撫で下ろす。


「よかった…」
「要は同じ境遇の友人がいなくてさびしかったんですね」
「はい、これで大丈夫ですよね」
「なまえは彼のことを知っていたんですか?」
「ええ、ここの獄卒たちの間では有名でしたし…いつも1人で何か小言を呟いていましたから、たまに話を聞きに来ていたんですけど」


不満のはけ口になればいいと思っていたのだけれど、なかなか上手くいかないこともあるものだ。
鬼灯も苦い思いをしたようだし、桃太郎と芥子がいてくれて良かった、とにぎやかに盛り上がる彼らを眺めながらふわりと笑む。
鬼灯はそんななまえをどこか不機嫌そうに眉をひそめて見下ろした。


「…彼、気性が荒かったでしょう」
「そうですね……苛々していたみたいでしたから」
「先ほども見たでしょうけど、斧振り回すような人間ですよ。怪我でもしたら如何するんです」
「あ…」
「前にも言いましたよね?そういう無茶は私の目の届く範囲でしてください」


それはきっと桃太郎と初めて出会った時のことを言っているのだ。
以前は桃太郎も乱暴な性格をしていて、研ぎ澄まされた刀を向けられた際もこうして叱られた。
きゅっと寄せられた眉根や気難しく細められた黒曜色がなまえの身を案じているのを痛いほど物語っていて、申し訳なく思うと共にくすぐったいような嬉しさが胸をあたためる。
心の内が表に出てしまっていたのか、なまえを見てますます唇をへの字に曲げた鬼灯は彼女のそのゆるゆるとほどけた頬をぎゅっとつまんだ。


「ほ、ほおふひはんはなひてくださ、」
「何を言っているかわかりませんね」
「うう…」
「守るとは言いましたけど、把握出来ないところで動かれたら守れるものも守れないでしょうが」
「はい……」


なまえの頬を放し、今度は両の手のひらで緩く挟み込むようにして言い聞かせる鬼灯にこくんと頷く。
今はこうして大人しく言いつけを守ろうとしているなまえだが、困っている輩を見つけたら鬼灯との約束など頭から抜け落ちてしまうのだろう。首に縄でもかけて繋いでおいてやろうか、などと半ば戯れ言のようにぽとんと胸に落ちた思考が最善最良の策のように思えてならない。

頬をやわく挟む鬼灯の手に自身のそれを添えながらこちらを見上げるなまえをじ、と見つめていると、頭を巡る不穏な考えを察したのかなまえはどこか怯えたように瞳を震わせた。
彼女は後ずさろうと身を引くが、頬に触れた鬼灯の手がそれを許さない。


「…な、なんか鬼灯さんの視線が怖いです……」
「そうですか?気のせいですよ」
「や、やっぱりちょっと怖いですよ!?」


頬を愛でるようにするりと手のひらがすべり、今度は手を握られた。ぎゅっと力強く繋がれた指先からじわじわと鬼灯のぬくもりが伝わって、なまえの体温と溶けあいひとつになっていく。普段ならとても安心できるものなのだけれど、なまえの首元をふらりと這う彼の眼差しからただならないものを感じ取って少し腰が引けてしまう。

彼女を射すくめながら、かすかに恐れをにじませた表情も好ましいものがある、と彼の胸中にひっそりとよぎった想いを敏感に悟ったのか、なまえが一瞬の隙を突いて鬼灯の手を振り払う。


「あ、こら待ちなさい!」
「いやです!」
「大人しく首を差し出しなさい」
「な、何するつもりですか!怖いですっ!!」
「苦しいのは最初だけですよ」


そんなことを言い合いながら追いかけっこを始めた夫婦を呆れの交じった目で遠巻きに見やる桃太郎たち。中でも一際口元をひきつらせた一寸法師は、これでは彼女にお礼を言う余地もないな、と苦く笑ったのだった。


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