ぼよん、と閻魔の腹が揺れる。椅子に座る度歩く度、たっぷりと脂肪をたくわえた腹がたゆむ。 彼のふくよかな身体は閻魔の気質や人格そのもののように丸みを帯びていて、見ていると和むのだが。最近は一層肥えてしまったような気がして、病に罹りはしないかと心配になることも多々あった。 そんな己の現状に自覚があったのか、肉のついたそこを撫でながら閻魔が独り言のようにぼやく。 「太ったよなあ、特にお腹がやばいよ…」 「私は大王のお腹好きですけれど…肥満は様々な病気の元になりますからね」 「ジムにでも行こうかな」 「私もお香さんと約束していますし、ご一緒しますよ」 そんななまえたちのやり取りを聞いていた鬼灯は、脳裏にひょろりとした今にも折れそうな閻魔を想像して、うん、と力強く頷く。また閻魔をいじり倒すつもりなのか、精神的にもか細くなった彼をいいようにこき使おうとしているのか。いずれにしても乗り気になってしまった彼にあまりいい予感はしない。 「いいですね行きましょう!」 「うーん…悪い予感しかしないのですが…」 「なまえちゃん、ワシもだよ…」 俄然閻魔のダイエットにやる気になったらしい鬼灯がてきぱきと仕事を片付けていくのを見守りながら、わずかな懸念に苦笑いをもらしたのだった。 * 少し肉がついてきた下半身をどうにかしようとは前々から思っていた。そんな時、偶々お香との会話にダイエットのことがのぼったのだ。これを機にジムにでも行こうということになり、交わした約束の日がちょうど今日だった。 着物を捲くりあげ、竹刀を手に閻魔を監視する鬼灯。サボろうものなら強烈な一撃が飛んでくるので、閻魔も気が抜けないようだった。お香の他にもシロたち動物獄卒や唐瓜など、皆勢ぞろいしている。意外にも体型を気にする者が多いようだ。 私もがんばらなきゃ、と気合を入れてジム内を見渡すが、いまひとつどの機器を使ったらいいかわからない。 ううん、と首をひねるなまえに鬼灯が歩み寄る。 「なまえは痩せなくとも大丈夫ですよ」 「鬼灯さんには分からないかも知れませんが、最近太もものあたりにお肉がついてきたんです!」 「そうは思いませんが…ちょうど良い肉つきだと思いますよ。やわらかいですし」 「でも…」 鬼灯としてはこれ以上痩せられると倒れてしまいやしないかと心配になるのだが、女性には色々あるのだろうと思い直し、悩むなまえの手を引く。 連れてきたのは下半身の筋肉トレーニングを行うための器具の前だ。 「どうしても気になるのなら、ランニングをしたりレッグプレスを使うと太ももの引き締めに効果的ですよ」 「わぁ、ありがとうございます!あ…閻魔大王はどうですか?」 「まあ、今は頑張っているようですが長続きしそうにありませんね」 閻魔は鬼灯が離れたので気が抜けたのか、先ほどよりもゆったりと腹筋に勤しんでいる。そんな彼を引きずって、処刑宣告にも近い運動量を容赦なく言い渡す鬼灯はまさに鬼のようだ。 息を切らして励んでいた閻魔はとうとう限界に達したのか、そのあまりの扱いに文句を垂れはじめる。 「君みたいに太りにくい体質の人にはわからないだろうがね…!」 「…確かに鬼灯さんってたくさん食べるのに太りませんよね……」 「そうですか?」 羨ましい限りだ。太ってしまうのを気にして、甘味を食べるのにも制限をかけているなまえから見ればその体型を維持できる秘訣を教えてもらいたいものである。 鬼灯はむう、とかすかに頬を膨らませるなまえのそこに指先を押し付けて、ぷす、と空気が抜ける感覚を楽しみながら口を開く。 「きっと運動量が違うんですよ、私は大王を持ち上げたりそのまま投げたり戯れたりしていますから。つまり日々の積み重ねの賜物です!」 「そうですか……では私も大王を持ち上げられるだけの力があれば…!」 「なまえちゃんに持ち上げられたりしたら何か大切なものを失いそうだよ…」 威厳とか、と呟く閻魔には直属の部下にやり込められている時点で威厳も何もあったものではないのでは、という科白は胸にしまっておくことにする。 しかし、同じことの繰り返しでは飽きてしまうだろうし、なかなか痩せているという実感がつかみにくいこの遣り方は閻魔には合っていない気がした。 「そういえば鬼女さんたちの間で流行っているダイエット法があると聞きました」 「おや、そうなんですか」 「はい。お香さん、少しいいですか?」 唐瓜たちと一緒にいたお香を呼んで事情を話すと、閻魔のダイエットに協力をすると快く申し出てくれた。 その流行のダイエット法というのは、八大地獄と八寒地獄を行き来するというものだった。 早速、ということで閻魔殿を出たなまえたちは八大地獄と八寒地獄の境目に聳え立つ巨大なふたつの門の前に佇んだ。 まずは八大で身体を動かして汗をかいたのち、八寒に移動し身体を冷やす。これを繰り返して新陳代謝を良くし、老廃物を外に出すと共に脂肪も減らすというダイエット法らしい。 その途中、鬼灯がごそごそと何かを用意していたので手元をのぞきこめば、耳あてや襟巻き、半纏など様々な防寒具を風呂敷に包んでいるところだった。 「ほ鬼灯さんそれ…」 「……だって寒いじゃないですか」 「そりゃ寒いですけど、それじゃ意味が…!」 「閻魔大王の肉を絞るためのダイエットですから問題ありません。ほら、なまえもあまり身体を冷やしてはいけませんよ」 憮然として寒さを凌ぐように半纏を羽織る鬼灯に呆気に取られていると、やわらかな襟巻きをふわりと首元に巻いてくれる。 あたたかなそれはとても有り難いけれど、皆がんばっているのに、となまえは困ったように笑った。 「あっ鬼灯君たちズルイ!」 「いつの間にか防寒具の準備をしていたみたいで…」 「ここはご覧の通り極寒の地ですので、普通の獄卒では就けません。従業員も雪鬼、化け鯨など……」 「説明はいいから早く戻ろう!このダイエット体によくないって!」 閻魔の訴えにことごとく無視を決め込む鬼灯は綿の詰まった衣類にぬくぬくと身をうずめながら説明を続ける。それだけでは飽き足らず、どこからともなくお汁粉を取り出し美味そうにすすり始めた。 彼が一口嚥下してこちらに差し出したそれは、芯まで凍えてしまいそうななまえにはひどく魅力的なもの。しかしがたがたと震える閻魔たちへの罪悪感からそっぽを向くと、誘うようにぴとりと頬に当てられたのはあまい香りのする温い缶だった。 「ほら、飲みたいんでしょう?」 「や、やめてください…っ皆さんの分がないのなら私も……」 「あったかいですよ、甘くて美味しいですよ」 「ううう…」 「認めてしまいなさい、そして心ゆくまで啜れば良いのです」 「…鬼灯様楽しそうだなあ…」 鬼灯は愉しげに目を細めて、逃げるように顔を背けるなまえを追う。 自分たちに対してとは違い確かな愛情のある弄り方に柿助は苦笑いをもらした。 そんな中、とうとうお香にも限界が来てしまったのか彼女はぶるぶると身を震わせながら本を開く。 「もう十分冷えたので戻りましょう、ダイエット本にもここに10分以上いちゃダメって書いてあるし…」 「そ、そうだ戻ろう!」 「もう1秒だって居たくない…」 一刻も早く暖かい八大の風に当たりたい、と皆一様に踵を返せば、来た道が風雪に閉ざされて跡形もなく消えてしまっていた。その様に意気揚々とこれが八寒地獄名物だと明言する鬼灯。 彼の隣には甘い言葉に負けてしまったらしいなまえが汁粉の缶を傾け、ほこほことあたたまるそれで暖をとっている。 いつの間にか鬼灯の半纏も羽織らされた彼女はそのぬくもりにすっかり絆されてしまったようだ。 「これって遭難じゃないですか!」 「っていうかなまえさん誘惑に負けちゃってる…」 「…………あっ、いえこれはその…」 茄子の声にはっと我に返ったなまえの頭を愛でるように撫でながら満足そうな顔をする鬼灯は、このまま彷徨えばダイエットになるのでは、などとのたまった。 「それを一般的に飢餓って言うんだよ!ああっ携帯も繋がらない!」 「ああ…アタシのせいで…」 「お香さん、大丈夫ですよ」 「ええ、ここは刑場なので巡回の獄卒が通る筈です。かまくらを作って待ちましょう」 膝から崩れてしまったお香と半纏を半分ずつ肩に掛けながらかまくらの完成を待つ。 危機感と疲労が一線を越えてしまったのか、温かな料理を思い浮かべて気を紛らわせる彼らになまえまで意識が朦朧としてきた。ラーメンやすき焼き、熱燗……脳裏にぼんやりと描くそれらを投影したようにごうごうと吹雪く視界の隙間から垣間見えたのは、皿に盛られた焼きそばのような―… 「おーいあんたらどしたー?」 「あっ!?謎の妖怪!?」 「…いえ、彼は…なまはげさんですね」 通りかかったなまはげに無事救出され、更にはほかほかと湯気ののぼる鍋までご馳走になって。器いっぱいに盛ったそれらを気持ちの良い食べっぷりで食していく閻魔は、ダイエットを諦めたのだろうか。 そんな彼を目にした鬼灯は、なまえによそってもらった料理を口にふくみながら意志の弱い上司を雪の中に埋めておけばよかったと人知れず思ったのだった。 |