恋しぐれ | ナノ




軽い車輪の音をからからと響かせ、食事を乗せたワゴンを運ぶ。今日は滅多に全員が揃うことのない十王の晩餐会だ。
本来なら呼ばれるのは第一補佐官までなので食事を運び終えたら執務室に戻ろうと考えつつ、ことり、ことりと皿を並べていると、背中に心地よい低い声が降りかかる。


「なまえ、ご苦労様です」
「鬼灯さんもお疲れ様です。あれ、唐瓜さんもお手伝いですか?」
「はい、十王が揃ったところを見てみたくて…」
「滅多にお目にかかれませんからね」


どこを見ても威厳のある方ばかり目に入るので圧巻されるけれど、これもいい経験になるだろう。
緊張した面持ちで料理の乗った皿を手に歩く唐瓜を安心させるように唇に笑みを乗せると、彼にまとわる張り詰めた空気がわずかにほどけていった。


「皆さんを紹介しましょうか?」
「そうですね、10人もいるのでテンポよくいきましょう」


鬼灯がぱちん、と手を打った音を合図にどこからか流れてきた軽快なリズムに合わせて、にぎやかな歌と共に次々と十王を紹介していく様子はまるで教育用のビデオでも観賞しているようだ。
歴代の校長の写真を見てる気分だったともらす唐瓜にも頷ける。

それにしても、いつの間にこんな曲を作ったのだろうか。作詞は誰が、と疑問符を幾つも浮かべながら会食の席に顔を向けると、閻魔が鬼灯、もといなまえに声をかける。


「あ、鬼灯君…ううん、なまえちゃん!ビフテキ取ってくれないかな」
「はい、」
「大王、そう遠慮なさらずに…私が取りますから」
「いいよ!なんか嫌な予感がす」


言い終わるや否や、鉄板の上でじゅうじゅうと熱せられた肉が鬼灯の手によって閻魔の口へと投げられる。野球でもしているかのようだが宙を飛ぶ肉塊はボールではないし、彼の口もミットなどではない。
凄惨な悲鳴をあげた閻魔に慌てて駆け寄り、濡れタオルを彼の口元に押し当てる。


「大丈夫ですか大王?」
「ううう、ありがとう……君の夫なんとかしてよ…」
「すみません、私の手には余ります……」
「なまえ、何か言いました?」
「いえ!何も!」


随分と離れた位置にいるのにも関わらず訝しげにこちらを見る鬼灯は地獄耳なのだろうか、と困ったように笑いながら閻魔に料理を取り分ける。

そんななまえを見、他の十王補佐官を見……最後に鬼灯へ視線を走らせた閻魔は、他の補佐官たちが甲斐甲斐しく上役を世話しているのがどうしても羨ましく思えてしまう心情にため息をもらした。隣の芝は青く見えるというやつだろうかと考え込みながらポテトサラダを咀嚼する。

もの思いにふける閻魔が口の隙間からそれをぽろぽろとこぼしているのを鋭く目に止めた鬼灯は、持っていた盆を容赦なくその顎に振り上げた。


「ポロポロこぼさない!!」
「やっぱり気のせいじゃない!!」
「でも閻魔大王、確かに鬼灯さんもやり過ぎですけどテーブルマナーは大切ですよ…?」
「やり過ぎ?甘いくらいですよ」


ぺしぺし、とどこからか持ってきた木片で手をはたきながらそう言う鬼灯は小姑か何かのようだ。
いや、お母さんかな、と首を傾げるなまえの思惟を透かしたようにこちらへ尖った眼光を向けた鬼灯からさっと目を逸らす。
その先の視界に入った十王の補佐官たちは確かに従順で良い主従関係を築けているようだが、鬼灯が第一補佐官を務めているからこそ今の地獄が成り立っていると思うのだ。
閻魔の寛仁な部分を鬼灯が上手くフォローしているように見える。良い釣り合いが取れていると思うのだけれど、と2人を眺めた。


「鬼灯君、彼らをごらんよ…君も少しは見習って…」
「うちはうち!よそはよそ!!」
「お、お母さんみたいですね……」
「なまえを子供に持った覚えはありません。
……それともそういう嗜好でもあるのですか?今度付き合って差し上げましょうか」


思わず口をついて出た言葉を受けて、唐突に彼からにじみ出る雰囲気が甘さをはらんだものに染まる。なまえだけに聞こえるようそっと耳元に寄せられた唇からつむがれた音の並びに頬にほんのりと赤みが差した。

淡く艶めいた流し目で見つめられ、耳をくすぐる吐息に相変わらずの色気を感じて心臓が熱を持つ。
じわじわと全身を巡っていくそれを振り払おうと、きっと鋭く鬼灯を睨みあげた。


「なっ何言ってるんですかこんな所で!」
「誰も聞いていませんよ」
「そうかも知れませんけど…!」
「全く、今も昔もなまえは初心ですね」


からかうような声色に火照った心臓が熱く脈打つ。とく、とく、と身体の中心で主張するそれに一層肌を赤く色づかせながら、鬼灯の戯れのような言葉遊びにいつまで経っても慣れない自分を内心で叱咤した。

鬼灯も一寸したことで動けなくなってしまうような花恥ずかしい娘心を内に秘めた女よりも、色香や彼を躱せるだけの余裕のある女性の方が良いのかも知れない。
不意にそう思ってしまい、そろりと鬼灯を見上げて怖々訊ねる。


「……いや、ですか?」
「いいえ、いじめ甲斐がある良い嫁を貰ったと思っただけです」
「もう…!私執務室に戻ります!」
「此処にいたらいいじゃないですか、私の補佐でもあるでしょう?」


くつりと喉を鳴らす鬼灯は本来ならなまえの髪を優しく梳くところだが、十王の手前、林檎のように頬をぽおっと赤らめた彼女を見つめるだけにとどまる。
視線を感じたなまえが鬼灯の周りをふらふらとたゆたっていた瞳を彼にうつすと、ひどくやわらかい眼差しとからまってますます身を縮こませてしまった。

そんなふたりの事情を知る由もない初江王が鬼灯たちに声をかける。


「鬼灯殿、なまえ殿。いい機会だ、意見をきかせてくれないか?供養による亡者の減刑に疑問を持つ者もいるがどう思われる?」
「そうですね…確かに短絡的にそのルールに従えば金持ちや権力者ばかり減刑になります。しかし人望も亡者の重要な要素」
「…遺族の強い祈祷や手厚い施しを無碍にすることはできませんから、公平な判断が必要だと考えております」


かすかに熱をあげる顔を王たちへ向けたなまえは、未だ脈の早い心臓を抱えつつ意見を述べる。
うんうん、と頷く十王らは話題に上った供物の問題について頭を悩ませているようだ。大半が処分となってしまうあの想いの山を何とかしなければ、という見解を陳じる彼らに同意した鬼灯は、すっと手を皿へと向ける。


「手始めにこの会食の料理と飾り全て供物でまかなってみましたよ」
「お花は供花ですし、サラダはスナック菓子でお作りしました」
「…マジか……」
「…君ね……十王で試すなよ」


遺族が様々な真情と共に供えてくれた品々を廃棄するよりは良いと考えてのことだったのだが、彼らで試すのはいささか礼を欠いてしまったのかも知れない。
しかし職務の合間を縫って鬼灯と共に料理をしたのはこれが初めてだったので、十王には申し訳ないがとても幸せな時間を過ごせたのも事実だった。

ひくりと口角を引きつらせる閻魔に曖昧な笑みを返しながら、供物を料理で再利用する、というのを当該問題の対策としてこっそり採用することにしたのだった。



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