恋しぐれ | ナノ




てんつくてん、と辺りに鳴り響く胸が弾むような賑やかな祭り囃子と、手を伸ばせば触れられる距離を歩む鬼灯。薄ら闇に橙色をしたあたたかな提灯のあかりが灯り、出店で花めく通りに唇がほころぶ。

今日は獄卒の夏休みとも言える盂蘭盆地獄祭の日だ。
どれだけ年月を重ねても祭りには心躍るもの。昨夜だってなかなか寝付けずにやわらかな布団の中でもぞもぞと寝返りを打っていると、隣で横たわる鬼灯から呆れたような眼差しをもらってしまった。
斯く言う彼も存分に祭りを楽しんでいることは手に持ったりんご飴や優雅にゆらめく金魚が物語っているのだが。


「なまえ、逸れるといけませんから手を」
「でも鬼灯さん両手いっぱいじゃないですか」
「……では金魚を持っていてください」


ふふ、と笑みをこぼせばはたと足を止めた鬼灯に、金魚袋でできた小さな水槽の中をたゆたうそれを手渡される。フリルのような尾の裾をゆらゆらと翻し、あどけなく口を開閉する様はとても愛らしい。

出来る限り振動を伝えないようにと金魚を丁寧に持つなまえの片手を鬼灯がそっとさらうと、こちらを見上げた彼女はふわりと笑みを浮かべた。


「こうしていると思い出しますね」
「え?何をですか?」
「……」


きょとんと丸めた大きな瞳で鬼灯を見つめるなまえに、被っていた般若の面をつけてやる。また前が見えないなんてことにならないよう、今度は横にずらして。
すると漸く思い至ったのか、ぱっと朱色を頬に散らすなまえをわずかにゆるめた目で眺めればはじらうように俯いてしまった。


「…そうですね…思い、出しますね」
「あの時はなまえの顔も見られませんでしたが、今はその赤い頬を存分に愉しめます」
「は、恥ずかしいこと言わないでください!」


鬼灯が言っているのは、ふたりが想いを伝えあったあの縁日のことだろう。幾星霜を経ても色褪せず脳裏に蘇る鮮やかな記憶に、とく、とくと心臓が熱を持って鼓動を速めていく。
あの時鬼灯が与えてくれたぬくもりと甘みを帯びた言葉は、きっと一生忘れられない大切な思い出だ。

ほわほわと浮つく胸を携え、りんご飴にも負けないくらい顔を赤らめたなまえを見下ろし、鬼灯は彼女に気付かれない程度にくつりと喉を鳴らす。
繋いだ手を引いて再び歩き出すと、シロたちの元気の良い声が鼓膜を揺さぶった。
それにはっと面を上げたなまえはみっともなく色づいた頬を見られたくなかったのか、ついつい般若のそれで顔を覆い隠してしまって。驚いた彼らの叫び声が響き渡る。


「ああびっくりした…、なまえ様かぁ」
「ご、ごめんなさい柿助さん」
「いやあ、なまえ様もですけど大の男が心からお祭りを満喫しているという事実にも…」
「鬼灯さんはお祭りごととか大好きですもんね」


童心を忘れないというか、それとも子供の頃満足に遊べなかった反動か。大の男が、と口を揃えて言われることも多いけれど、そんなところも鬼灯らしい。
ふとした時に感じるいとしさに胸をくすぐられるような想いになり、なまえはひそやかに唇をやわらげた。


「夏休みがあるのは嬉しいけど、皆一斉に休んだら亡者の犯罪が増えたりしない?」
「うーん、少ないと思いますけどねぇ」
「このスキを見て犯罪を起こした奴は阿鼻地獄逝き、プラス中学時代の日記・文章を全国放送の刑ですから」


それでも何人かの亡者は罪を犯してしまうので、毎年恒例になっているその番組を心待ちにしている人たちも少なくはないだろう。
そんな地獄事情を説きながら入道雲のような綿あめをもふもふと咀嚼する鬼灯は何ともアンバランスで、それがひどく可愛らしく思えてしまう。形の良い口の端についた綿を拭ってやりながら足を進めた。


「せっかくですし一緒に回りましょうか?」
「わあ、いいの?鬼灯様も?」
「………いいですよ」
「…ちょっと不満気に見えるのは気のせいかな」


名残惜しい思いも少なからずあったのだろう、なまえの提案に心なしか眉を寄せた鬼灯はばしゃばしゃと水風船を遊ばせがら答える。

衆合名物のどスケベダコのたこ焼き、姿焼きと称した身体の各パーツをこんがりと炙ったもの、野干のひとだまフライ。小野芋子の大学イモ、牛頭の乳でつくったソフトクリームなどなど、周辺には興味を引かれる様々な夜店が出ていた。
最初は夫婦水入らずの場を邪魔してしまったのではと心配していた柿助とルリオも屋台を見て回っているうちにいつもの調子を取り戻したようだ。

無邪気に楽しむ3匹を微笑ましく見守っていると、不意に柿助が屋台の主から声をかけられる。どうやらくじ引きをしている店らしい。
早速くじに手を伸ばすと、柿助はカニのぬいぐるみ、ルリオは拭き戻し。鬼灯は今時珍しい金魚草のフラワーロックを引き当てた。なまえはというと、掴み取ったそれをきらきらと瞳を輝かせて見つめ、プラスチックで形づくられた金魚草に向かってあー、と声をあげて遊ぶ彼の袂を捕まえた。


「鬼灯さん鬼灯さん!これ見てくださいっ」
「金魚草のぬいぐるみですね」
「この子お腹を押すと鳴くんです!」
「これは…去年コンテストで優勝した、」
「はい、あの子の声ですよね!」


ホラーとしかいいようのない鳴き声をあげる、見た目だけは愛くるしいそれにふたりではしゃぐ夫婦にシロたちは相変わらずだなぁと笑みをもらした。
3匹には聞き分けのつかないその声も彼らにはわかるらしく、肩を寄せ合ってぬいぐるみを眺めるふたりは本当に仲睦まじい。


「あ、弓当てだってー」
「鬼灯様やってみて!」
「はい」


今度はシロにせがまれて弓を手にする鬼灯の邪魔にならないようにとなまえはその場から少し離れた。

器用に的を射すくめていく鬼灯を見つめていると、とんとんと優しく肩をたたかれる。首を傾げて振り返ったその先、にこにこと愛敬のある笑みでその淡麗な顔を彩っていたのは白澤だった。彼はすぐ後ろに見える薬膳の屋台を出しているようだ。


「こんばんは、なまえちゃん」
「こんばんは、白澤様たちもお店を出したんですね」
「うん、毎年出してるよー。そうだなまえちゃん、りんご飴でもどう?」
「え?でも、いいんですか?」
「むしろなまえちゃんに食べてもらいたくて買ってきたんだよ」
「では…いただきますね」


なめらかに光を弾く透明な飴でりんごを包んだそれを受け取ろうと彼に近づいた時だった。ひゅんっと空を切った何かが目の前を通り過ぎたかと思えば、それは白澤の持つりんご飴を見事に射抜いたのだ。
赤い甘味を的としたのなら確実に正鵠を射ているだろう。

感心しながら飴を見つめていると、白澤から引き離すように背後へと引き寄せられて。ぽすんとなまえの背中を優しく受け止めたのは案の定、仏頂面を厳しく歪めた鬼灯だった。


「なまえちゃんに当たったらどうすんだ!」
「そんな下手をうつ訳ないでしょう。というか人の嫁を誑かそうとするのいい加減やめたらどうです」
「鬼灯さんは弓当てがお上手ですねぇ」


顔を合わせた途端喧嘩を始める鬼灯たちも如何なものかと思うが、火花を散らす2人に挟まれながら呑気に弓の腕前を褒めるなまえもなまえだ。
彼らの大喧嘩に未だに慣れずにいる桃太郎は茶粥の具合を見ながら口元をひきつらせた。
そんな桃太郎の存在にぴくんと耳を震わせたシロはとことこと彼に近づいていく。


「へえー薬膳かあ、夏にいいね」
「さっぱりしてるし胃に優しいよ」
「あ それいいね、最近は仕事で毎日亡者の骨しゃぶってるし」
「胃も疲れてきたよなー」


すっかり立派に血なまぐさくなって、と内心感慨深く思う桃太郎をよそに、考えるように顎へと手を当てたなまえが白澤に向き直る。
シロたちの他に、不喜処の獄卒たちもそう感じているのではないか。だとしたら、食堂の新たなメニューに薬膳も加えたらどうかと思案したのだ。
職務に支障をきたさないよう、彼らの体調を整えるのも立派な仕事の内である。


「…白澤様、もしよかったら作り方を教えてくださいませんか?」
「もちろん、なまえちゃんのお願いなら喜んで!僕が手取り足取りこしと、ぐはっ」
「なまえ、茶粥なら私も作れます。教えて差し上げますから、コレには決して指導を仰がないように」


どす、と白澤の鳩尾に硬い拳を食い込ませつつそう言った鬼灯に困ったように笑って頷く。
低く呻き蹲る白澤は平気だろうかと様子をうかがっていると、時計を取り出した鬼灯がそろそろ時間ですねと呟いた。


「もうですか?楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいますね……」
「毎年のことですから仕方ないですよ。なまえはいつものように様子を見ながら獄卒たちへの指示をお願いします」
「はい」


眉を下げたなまえの虹彩に寂寞がにじむのを目に止めた鬼灯は彼女の髪をやわく梳いてから、切り替えるように表情を引き締めた。
仕事モードに突入した彼らに不思議そうに首を傾げる獣たちへ2人はひらひらと仲良く手を振りながら広場へと向かった。

0時を過ぎれば盆も終わる。即ち獄卒たちの休み明けであり、大捕り物の時間でもあるのだ。なまえは鬼灯の合図と共に亡者を地獄に引き戻すべく飛び出していった獄卒に注意を払い、状況の判断に徹しつつ指示を出す。
送り盆には百鬼夜行が見えるというが、それはこちら側に帰りたがらない亡者と獄卒の追いかけっこ、というのが真相である。

これで休みも終わってしまうなぁ、と少しもの寂しく思いながら、なまえはうすく天霧る夜の空を仰いだのだった。


prev next