鬼灯と肩を並べて休憩がてらそぞろ歩いていると、2人の姿を見つけたなまえは鬼灯の袖を引いた。 閻魔殿を出てすぐのところで柔らかな草の上に腰をおろす茄子と、その隣で寝転ぶ唐瓜。茄子の方はどうやらスケッチをしているらしく、筆を構えて風景のパースを取っている。 「茄子さんと唐瓜さんですね」 「おや、スケッチですかね」 「そういえば茄子さんって絵も彫刻もお上手だそうですよ」 「へえ、それは知りませんでした」 この間見せてもらった抽象絵画なんてなかなか雰囲気があって素敵だった。絵のことはよくわからないけれど、茄子の創り出す作品には何か心が揺さぶられるものがある。 鬼灯とそんな会話を交わしつつ彼らに声をかけた。 「茄子さん、唐瓜さんこんにちは」 「あ、なまえさんに鬼灯様!」 「スケッチですか?」 「はい」 どれどれ、とスケッチブックを手に取る鬼灯の横からのぞきこむと、亡者や鳥の身体を持つ女性などおどろおどろしい地獄絵が描かれていた。 茄子が素描していた景色は遠くに見える荒んだ針山や烏が飛ぶ地獄の情景なのだが、どうやってその絵が生まれたのだろう。不思議だ。 1度茄子の思考回路を分析したいものだ、と癖毛をふわふわとなびかせる彼に視線を向ける。 「これはシュールレアリスムを基盤に昨今の金欲主義への警鐘と肉欲への皮肉を折りまぜた地獄絵です」 「凄まじい脳内変換」 「でも私茄子さんの絵好きですよ」 「俺もです、彫刻とかも!コイツの部屋凄いっスよーゴッチャゴチャで…」 よければ見せて頂けますか、という鬼灯の申し出により茄子の部屋へ訪れることが決まった。 鬼灯様たちが遊びにくる、と無邪気に片手ずつ手を取られぶんぶんと揺らす茄子は子供のようで可愛らしい。 今にも駆け回りそうな茄子の様子に、鬼灯と顔を見合わせて思わず笑みをこぼしてしまった。 そうしてお邪魔させて貰うことになった茄子の私室は、キャンバスに描かれた絵やそれを彩る色とりどりの絵の具、彫りかけの彫刻などが所狭しと並んでおり、いかにも芸術家のアトリエ、といった風の内装だった。 その中に金魚草の彫刻を見つけ、鬼灯と同時に声をあげる。 「わあ、凄い…金魚草の特徴をよく捉えてます…!」 「今にも鳴きそうです」 「よければあげますっ」 「いえいけませんこれはお金を取れる作品です!」 「もしくは美術館に寄贈して多くの人々の目に触れた方がこの彫刻も喜びます!」 こちらからすると不気味なオーラを放つ動植物の彫刻にしか見えないのだが、感動したように同じ反応を示す夫婦に唐瓜は苦笑いをもらす。 素晴らしい才能を持っている茄子は何故画家ではなく獄卒になったのだろう。 そんな素朴な疑問に金持ちでもない限り画家で食べていくのは難しい、と話す茄子は存外堅実的な考えを持っていたようだ。それもしっかり者の友人の影響だろうか。 「…私も和漢薬のレポートを絵で説明することはありますがこの程度です」 「イヤ上手い方ですよ、俺なんかまず絵心がないから……なまえ様は?」 鬼灯の描いてみせた金魚草は丸っこくてどこか可愛らしい。 ゆるりと微笑を浮かべながら見つめていると、歪な動物の絵を掲げた唐瓜に話を振られて焦ったように視線を宙に漂わせる。 なまえはまず絵心云々ではなくその感性の問題だ。普通に描けば月並みの絵が描けるものの、自分の感性のままに筆を進めるためにまともなものが完成した試しがない。 「わ私ですか?」 「なまえに芸術性を求めてはいけません」 「な、失礼ですよ鬼灯さん!確かに絵は得意ではないですけど…」 「描いてみてくださいよなまえさん!」 「そうですね、では……」 茄子に紙と筆を持たされてこくんと頷く。やめておけ、と目で訴える鬼灯に意地を張るように真白な紙の上にするすると筆先を滑らせていく。 滑らかに絵を描いていく彼女の手元をわくわくとのぞきこむ唐瓜の眉がだんだんと寄っていったのを一瞥し、それ見たことかと鬼灯はため息をもらした。 「それ…何ですか?」 「シロさんです」 「綿毛に顔がついてる変な生き物にしか見えませんよ!?周りにあるのって蒲公英じゃ…」 「シロさんって蒲公英の綿毛に似てませんか?」 「ええ…?」 「わー、なまえさん独自の世界が表現されてて俺好きです!」 可憐な蒲公英が咲き乱れる美しい景色の中にぽつんと描き出された綿毛にうもれるシロの顔。 ほわほわとした白い毛並みなんてそっくり、と朗らかに笑うなまえに口元を引きつらせる唐瓜とは対照的に、きらきらと瞳を輝かせるのは茄子だ。 感受性が合うらしいなまえと茄子を尻目に、どう見ても不思議生物にしか見えない、となまえが描いた絵を眺め回す唐瓜の肩を鬼灯がぽん、と叩いた。 「理解しようとしない方がいいですし、出来ない方が正常です」 「そんな言い方ないじゃないですか!」 「まぁなまえは置いておいて唐瓜さんはいい方ですよ、私の知ってる奴なんて…」 「鬼灯さん!」 きゅっと眉をひそめて憤慨するなまえの頭をぽんぽん、とやわく撫でてなだめながら思い浮かべるのはあの神獣だ。 東洋医学の研究会での発表で猫を描いたらしいのだが。辛うじて輪郭で猫だと分かるものの、歪で吸い込まれそうな眼窩とのっぺりとした顔… そのこの世のものとは思えない、何かの呪いにかかったのではないかと疑うような絵に度肝を抜かれた一同は薬のことなど頭から飛んでしまったらしい。 「前見せて頂きましたが、私は白澤様の絵好きなんですけどね…」 「あんな絵のどこが………というか見せてもらったっていつですか」 見せて頂いた、というくだりを耳敏く聞きつけた鬼灯は顔をしかめてなまえを見下ろす。 その射すくめるような瞳に誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべながらふらふらと目を泳がせたなまえは、視界の端に蠢くなにかを見つけてわざとらしく声をあげた。 「あ、あれ何ですか?動いてますけど!」 「こら目を逸らすな目を」 「うわっお前コレ何だよ!?」 「黒縄地獄の岩を絵の具にしたら呪いの絵になっちゃって…」 「うわあ、凄いですね…」 鬼灯の追求から免れようと話をはぐらかしたなまえが指差すのは1枚の絵だ。そこに描かれた顔はキャンバスからずるりと飛び出し、黒縄地獄で呵責された亡者の恨み言らしき言葉をつらつらと並べ立てるそれ。 いい加減うっとおしく思えたのか八つ当たりか、その顔面をがしりと掴んだ鬼灯は押し込めるようにぐりぐりと伸ばしていく。 「しかし絵の具って岩からできるのか?」 「そーだよ、岩絵の具っていって日本画で使うヤツだよ」 「へえ、絵の具ひとつにもいろいろあるんですね」 「はい、面白いですよー。…それで黒縄の岩使ってみたんですけど……かわりにもならなかった…」 瓶に詰められたその漆黒の色源からは何かが焦げるような音と、それに混じって人の呻き声のようなものが聞こえる。 亡者の怨念が染み込むとこんな現象も起きるようだ。地獄にもまだまだ不可思議なことがたくさんあるな、と観察していると、ひょいとそれを手に取った鬼灯が何かを閃いたように口を開く。 「…この絵の具もらっていいですか」 「いいですよキモチワルイから」 何か企んでいるな、と訝しむように細めた目を向けるなまえから視線を逸らしつつ懐に絵の具を仕舞う鬼灯。 この逃げるような目の逸らし方は何かを誤魔化したいか、嘘をついている時だ。 じっと見つめてくるなまえからふいと顔を背けた鬼灯は茄子たちと話を始めた。 葛飾北斎が話題に上がったところで、そういえば彼が閻魔殿の城壁に描いた絵が風化してぼろぼろと剥がれてしまっていたのを思い出す。 「茄子さん大仕事を頼みます!このキャラクターを使って……」 「?」 「鬼灯さんまさか…」 茄子が創作した一見太陽に顔がついたようなキャラクターを気に入った鬼灯はひとつの仕事を課す。それはその城壁に新たな絵を描画する、というもので。茄子の絵で上書きするのは大賛成だけれど、それだけではなさそうだと嫌な予感が胸をよぎるのは何故だろうか。 「なまえも手伝ってください」 「はい、それはもちろんですけど…」 鬼灯はどうにも素直に頷くことの出来ないらしいなまえを引きずって、早速閻魔殿へと向かったのだった。 * 「できた」 「お疲れ様です、素敵な城壁になりましたね!」 ふう、と額の汗を拭う茄子に手ぬぐいを渡しながら生まれ変わった壁画を見やる。 野菜や魚、亡者に鬼灯。本来ひとところに集まることのない物が一同に会する斬新なデザインだ。ふむふむと感心していると、唐瓜がふと疑問に思ったことを口にする。 「前の針山と炎の絵もよかったと思うんですけど、アレは誰が描いたんスか?」 「……ああ、葛飾北斎ですけど」 「S級国宝に値するじゃないッスか!!」 「けれどそろそろ修繕が必要でしたし…私は茄子さんの絵も好きですよ」 「なまえ様はのほほんとしてんなー…」 ふわりと穏やかに笑ってみせるなまえに唐瓜は苦笑いするやら感嘆するやらだ。偶に突拍子もないことを仕出かす鬼灯についていけるのはこういったゆったりとした気質があるからかも知れない。そういうところも彼女が他人を惹きつける理由のひとつなのだろう。 「俺は光栄だな!北斎の上に描けたなんて!」 「お前はノーテンキすぎ…」 「我ながらいい絵だよ」 「この顔なんて今にも飛び出してきそうですね…」 何の気なしにそう呟いた時だった。茄子が顔を近づけて眺めていたそれの目玉がぎょろりと動いたのだ。そのままぐぐぐ、と壁から逃れようとするように飛び出す絵に目を丸くする。 そういえば絵の具は鬼灯が用意していた。 まさかあの黒縄地獄の岩絵の具を、と思い鬼灯を仰ぐと、素知らぬ顔で手を背後に隠した彼に呆れたようなため息をつく。 「鬼灯さん」 「気づかれてしまいましたか、なまえに隠し事はできませんね」 「……でも名所になって良いかも知れませんね」 「でしょう」 うんうん、と頷きあうふたりに呆れた眼差しを向けつつ、相変わらず仲睦まじい様子を見てお香が恋しくなった唐瓜だった。 |