恋しぐれ | ナノ




「鬼灯さん、視察ですか?」
「おやなまえ、お香さんも」


衆合地獄の前でお香と立ち話をしているところへやって来たのは、唐瓜と茄子を引き連れた鬼灯だった。
以前から衆合地獄…というよりお香に気があるらしい唐瓜を連れているところを見ると視察にでも来たのだろうか。
斯く言うなまえも近くに用があったついでに衆合地獄へ寄ったのだ。先までお香と近況などを語りあいながら、女性だけで執り行う拷問についての相談に乗っていたのだけれど、ひとまずお開きにしようと口をつぐむ。


「遊びに来て下さったの?」
「唐瓜さんが将来的にここへ就きたいそうなので視察ついでに1日体験してもらいます」
「まあここに就きたいの?楽しみねェ」


唐瓜を見つめて穏やかに微笑んだお香はよしよし、と彼の頭を撫でつける。ほんのりと頬を赤らめた唐瓜を見れば彼女目当てで来たことも一目瞭然なのだが、鬼灯は気がついていないのだろうか。

いや、彼のことだから1度懲らしめてやるつもりなのかも知れない、とひとつ頷きながら衆合地獄への道を進む彼らの後に続く。


「ところでなまえは何故ここに?」
「近くまで来たので、衆合地獄の方にお話を聞こうと思って寄ったんです」
「……」
「花街には行ってませんよ?」
「ならば良いです」


じ、と眼差しだけで訊ねられて首を横に振れば、何故だかなまえが花街へ赴くことを良しとしない鬼灯はその言葉を聞いてどこか安堵したように息をつく。

首を傾げながら隣を歩く鬼灯を見上げていると、お香がくすくすとたおやかな笑みをこぼしながら呟いた。


「鬼灯様ったら本当になまえちゃんのこととなると心配性ねェ」
「……まぁいろいろと危機感のない嫁ですから」
「危機感くらい持ってますよ?」


どうだか、と言うように肩をすくめてみせる鬼灯にかすかに唇が尖っていく。子供でもないのに、と思わずひとりごちてしまえば視線をこちらにうつした鬼灯に見下ろされ、その研がれた切れ長の瞳を負けじと見つめ返す。

暫く沈黙のにらみ合いが続き、ふいと目をそらしたのは鬼灯の方だった。


「これだから鈍感だと言うんですよ」
「そんなことありません!」
「そんなことあるんです」
「ふふ、いつまで経っても仲が良いわね」


面白がるようなお香の穏やかな笑い声に鬼灯となまえはばつが悪そうに顔を見合わせたあと、前を向いて歩き始める。
睦まじさを感じさせるぴたりと息の合ったその仕草にあたたかな微笑を浮かべながら、お香もそれに続いた。


結局何故花街へ行くことを許してくれないのか明かされないまま、衆合地獄へと足を踏み入れたなまえは唐瓜たちへ刑場の説明をするお香の声を聞きながら辺りを見回す。

薄っすらと紫煙が立ちのぼる衆合地獄はどこか艶をはらんだ妖しさに満ちていて、ここが身の毛もよだつような恐ろしい地獄だとは微塵も感じさせない。
そんな雰囲気も相俟って亡者は美しい女たちが張り巡らせた罠にかかるのだろう。


「昔はね女はただ亡者を誘うだけのお飾りだったけどね、今は女も拷問するわね。まァでも力技の拷問に関してはまだ基本男獄卒が中心ね」
「ですよね、女性に責められて嬉しい奴も多いですしね」
「え」
「……唐瓜さんって…」
「そういうアレですか?」


お香の話を真面目に聞いていたかと思えば、顔を赤らめて被虐趣味があるとも取れる発言をする唐瓜にまぶたをまたたかせる。
あっ、と思いついたような声をあげた彼の友人は、その空気をふくんだ柔らかい髪を揺らしながら首を傾けた。

以前街中で見かけた男女。男に首輪をかけ、まるで犬の散歩をするように歩いていた2人を見た唐瓜が興味なくはない、と言っていたことを思い出したらしく、茄子はぽんと手を打った。


「あれってそういうこと?」
「………」
「なるほどそっち系でしたか」
「ちっ…違いますよ全然そんなんじゃないッスよ!そりゃちょっと上からモノを言われると何かザワザワするとかありますけどでも違いますよ!」
「このボルボックス野郎!!」


焦って言い訳を連ねる唐瓜の頬を、妙な罵りと共に張り倒した鬼灯をいさめながらなまえは曖昧に笑う。確かに少し世間ずれした趣向だけれど、人それぞれに嗜好があるのだから恥じることはない。

唐瓜をアイアンメイデンに誘う鬼灯を楽しそうだなぁ、なんて呑気に見つめていると、思いついたように茄子から軽く問いかけられた。


「なまえさんはそういう趣味ないんですか?」
「わ、私ですか?ありませんけど…」
「鬼灯様の奥さんなのに?」
「それ関係ありますか…?」


鬼灯を何だと思っているのだろう、と困ったように茄子を見やるなまえを、彼はちょいちょい、と指先を折って手招きした。
茄子に合わせて腰を屈めると、内緒話をするようにこそこそと耳元で囁かれる。


「ほら鬼灯様ってドSだし、そういう趣向に目覚めちゃったりしないんですか?」
「し、しませんって!というか鬼灯さんの場合そういうのが好きな方より反抗心を持っているほうが好みらしくてですね…」
「屈服しないようにがんばってるんだ!」
「う、うーん」


特に気を使っているわけではないけれど、彼にいじめられるのを喜ぶ趣味はない。
加虐嗜好も被虐嗜好もないけれど、素直に従うのも何となく意に反するというか…と、思ったことを口にしていけば何やらきらきらと瞳を輝かせた茄子は明るく声をあげた。


「そっか、つまり相性いいんですね!」
「そ、そうなんですかね…」
「実際鬼灯様のドSについていけるのってなまえさんくらいですよー」
「……さっきから何の話をしているんですか貴女たちは」


すっかり茄子と話し込んでしまっていたらしく、衆合地獄の大方の説明は終わってしまったようだ。おまけに眉間にしわを刻んだ鬼灯が背後に佇んでいるとは露知らず会話を進めてしまっていたらしい。
さあっと青褪めていくなまえを見つめつつ、少し考える素振りをした鬼灯は静かに口を開いた。


「私はSではないと何度言えば……しかし矯正してほしいのならして差し上げますよ」
「どこからそういう話になったんですか!?」
「いえ、なまえも唐瓜さんのようになりたいのかと……心配せずとも私はどんな貴女でも愛せます」
「…前半部分がなければとても嬉しい言葉でした……」


愛せる、だなんて滅多に聞ける言葉ではないから変な話の流れをつくってしまったことをひどく後悔した。
はあ、と肩を落とすなまえを見やる鬼灯はまたからかっているのだろう、無表情ながらわずかに愉悦をにじませている。

恨めしそうにこちらを見上げる彼女を眺め、鬼灯はふと思う。
刃向かうのではなくいつでも飾らない反応をくれるなまえが好ましいのだ。詰まる所、彼女を前にすれば嗜好など何の意味も持たない。
振り回しているようで振り回されている事実を改めて噛みしめて、それもやぶさかではない自身がいることに鬼灯は諦めたように吐息した。


「あのォ亡者にもこういう人って多いかしらね?」
「イヤ、獄卒と同じで特殊なほうでしょう」
「でもいるならやめたほうがいいかもォ」
「ああ、あの企画ですか?」
「ええ…」


思い悩むように頬に手を当てたお香が言っているのは、女性の獄卒のみで拷問を行う、という企画のことだ。
彼女から受けていた相談の内容を察するにそういうお店を彷彿とさせたため、邪淫罪を犯した亡者が堕ちる衆合地獄に取り入れることにはあまり賛成出来なかった。


お香が呼んだその拷問チームを見ても怖いというよりいかがわしい雰囲気の方が強く出てしまっている。
顔には面をつけ手には鞭や拷問道具を携えてはいるものの、彼女たちを見た唐瓜の反応を見る限りでは、しどけなく肌蹴る胸元や網タイツで飾られた脚に目移りしてしまうらしい。


「怖くていいと思ったんだけどなー」
「衆合地獄には合っていないかも知れませんね…」
「ど助兵衛熟女団。」
「鬼灯さん…いやにいい声で正式名称言わないでください…」


色香を帯びた声音でそんなことを囁かれでもした暁には拷問という主旨を見失ってしまいそうだ。

すでに蠱惑的な彼女たちに誑かされてしまったのか、地面に蹲った唐瓜が平然と鉄面皮を保つ鬼灯を仰いだ。


「鬼灯様よく平静保ててますね…」
「そんなに青臭いわけないでしょう」
「強え〜鬼灯様の鬼灯超強え〜」
「鬼灯さんの……?」
「何でもないですよ」
「…?」


彼らの会話が理解できず無垢に首を傾げるなまえの気を引くように、鬼灯はそのやわい髪をするすると梳く。

その心地よい感覚にゆるく目を伏せながら、男性同士にしかわからない話題なのだろうか、と息をついた。
時折鬼灯たちの談笑についていけないことがあるのを寂しく思っていると、思いついたようにお香が手を叩く。

唐瓜を実験体にするのか、お香の一声でしなやかな肢体を揺らして近づいてくる一団。彼は火がついたように顔を赤く染めてたじろぐが、すぐに地面に組み伏されてしまった。

鞭をしならせてこちらまで痛みを感じるほどの鋭い音を立てながら唐瓜を打つ彼女たちを焚きつけるように、彼の指の隙間を大きく開いていく鬼灯。ちゃっかり彼女たちを煽る鬼灯を叱るようにくい、と袖を引いた。


「唐瓜ちゃんどう?怖い!?」
「せ……責め方がヌルいです!というかお香姐さんにお願いしたいです!!」
「唐瓜さん…やっぱり…」
「衆合地獄に就くのは勝手ですが末路は目に見えていますよ」


金棒でごりごりと頭を小突き回しながら言い含める鬼灯に項垂れた唐瓜は諦めがついたのか否か。
どちらにせよお香に近づきたいがために配属先を決めるなんて一途故の不誠実だ。けれど、その姿に始めは鬼灯の役に立ちたいという一心で獄卒を目指したなまえに通ずるものを見つけて微笑ましくも思えてしまう。

あたたかな懐かしさに唇をほころばせたなまえに小さく首を傾げた鬼灯を見上げ、彼女はまたふわりと笑みを深めたのだった。


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