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これの続きです


「あの、」
「何でしょう」
「こ、この状況は何でしょう…」


先ほどまで確かに仕事をしていた筈なのだ。隣で巻き物に瞳を落とす鬼灯をちらちらと盗み見しては時折目が合い注意されて、頬を赤らめて、を何度か繰り返して。
それから如何なったのだったか。罰として倍近くの書類を手渡されたのを何とかこなしていたと思ったのだが、と首を捻るなまえに鬼灯が詰問するように口を開く。


「最近あまり寝ていなかったんじゃないですか?」
「え、そ、そんなことは…」
「…なまえさん」
「……て、徹夜してました…仕事が溜まってたんです…」


それも全部執務室の構造が悪いのだ。
普段ならば仕事を溜めたりなどしないのだが、鬼灯と恋人になってからというもの、ほど近い距離で肩を並べるというあの空間になまえはとくとくと胸を高鳴らせてばかりで、仕事に碌に手もつけられなかった。
目の下につくってしまった隈は化粧で誤魔化せたのだが、身体は限界を迎えていたらしい。
仕事中にふっと意識を飛ばしたなまえに少なからず驚いた鬼灯は、彼女を休ませるために私室へと運んだのだった。

だとしても、だ。
膝枕はないのではないだろうか。

90度傾いた景色に映るのは好いたひとの生活感あふれる部屋、流れた髪のせいで露わになった首筋に触れるさらりとした質の良い布地の感触。
なまえを取り巻くすべてが要因となりじわじわと頬が熱を持っていって、これでは休まるものも休まらない。
がちがちと身を固まらせるなまえの緊張をほぐそうと肩に触れる鬼灯の手が、ますます羞恥やら何やらを煽ってくれている。


「あ、あの、普通に寝たいんですけど…というか何で鬼灯様の自室なんですか、医務室は……!」
「なまえさんが仕事を溜めた原因…私でしょう?意識しすぎなんですよ」
「えっ!?そんなことは…っ……なきにしもあらずですが…」


科白を綺麗に無視されて囁かれた言葉を思わず否定しようと見上げた先の鬼灯は、有無を言わせないように鋭くなまえを射抜いており、おずおずと頷く。
呆れたようにため息を落とされて何だか自分が情けなくなった。

こんなことなら衆合地獄にあるホストクラブにでも行って男慣れしておくべきだった、と半ば自暴自棄になりつつ鬼灯の硬い膝に顔をうずめると、ぺしりと軽く頭をはたかれる。


「妙な気を起こさないでくださいね」
「何のことですか…」
「私以外の男と馴れ合う必要はないと言っているんです」
「っ鬼灯様ってエスパーなんですか!?」


貴女が分かりやすいだけです、とこぼしながらゆるゆると頭を撫でられて心臓が熱の固まりになったかのように熱く脈打つ。
そのくすぐったくも心地よいぬくもりに浸りながら、身体からゆっくりと力を抜いた。

どうしても鬼灯に意識を集めてしまうのは仕方のないことだと思うのだが、もう少し慣れないと今後更に支障をきたしてしまうかも知れない。そう考えたなまえは意を決したように起き上がり、鬼灯と向き直る。


「鬼灯様を意識しないためにはどうしたらいいんでしょうか!」
「……また率直な質問ですね。そのための膝枕だったのですが、温かったようです」
「それはどういう、」


疑問を口にしようと開いた唇を塞ぐようにやわく触れた鬼灯の指先は、そこをなぞりながら移動していく。音としてうみだされることのなかった言葉はなまえの喉の奥でか細くなって消えていった。
こうなることを見越して私室に運んだのだと言ったら、彼女は何と言うだろうか。頬を火照らせ、恥ずかしさを隠すように怒ってみせるのだろうと考えてふっと眉間のしわがやわらいだ。


するりと頬を滑り落ちていくあたたかい手のひらと、細められた瞳はどこか艶やかさを帯びてなまえに寄せられている。
落ち着かない様子でふらふらと視線を彷徨わせるなまえは、顔を背けることも出来ずに結局鬼灯へと吸い寄せられるように瞳を戻した。

からみあった眼差しにじわりと甘い熱が灯っていくのを感じながら、ぽうっと鬼灯を見つめる。


「コラ、呆けない」
「でも…」
「習うより慣れろ、です。今度はなまえさんから触ってください」
「はい………はい!?むむ無理です!!!」
「この程度もやり切れないようではいつまで経っても徹夜する羽目になりますよ。その度に迷惑をかける気ですか」


確かに数日徹夜しただけでもこの有様なのだ、また面倒事を引き起こしてしまう訳にもいかない。

さぁ、と顔を近づける鬼灯に火傷でもしそうなくらい熱をためた頬と逃げ出したい衝動を懸命にこらえて、恐る恐る手を伸ばす。
差し伸べた人差し指の先を、ちょん、と鬼灯の唇にくっつけた。男の人にしては小さな口元。相変わらずへの字に曲げられたやわらかいそこに唇を重ねあわせたのは数えるほどしかない。

そこまで考えて、かすかにしっとりとした赤に痛いほど胸を穿つ心臓を抑えようと胸元を握りながら、これ以上は無理だ、と徐々に指をすべらせていく。

たどり着いた、白くわずかに弧を描く頬をほんの少し力を込めて押してみると、ふに、と肌が弾んでまるで餅のようだった。
やわらかい。
もち肌、という単語は鬼灯のためにあるのではないかと思ってしまうくらい、やわくてぬくいそこ。
自身の頬より断然良い感触にきらきらと瞳を輝かせ、どこか楽し気にはにかむなまえに、鬼灯は眉を寄せる。


「何にやけてるんですか」
「え、にやけてました!?……いや鬼灯様のほっぺたって意外と柔らかくて、可愛いなって」
「…………可愛い?」
「いえ!何でもありません!」


なまえに頬を包み込まれながらも、すっと研がれた視線に切りつけられ慌てて誤魔化した。
首が千切れるのではと思うほど勢いよくぶんぶんと頭を振るなまえにゆるいため息をつく。怯えながらも鬼灯の頬の質感を楽しむように動くあたたかい手のひらに、愛でられる動物の気分がわかったような気がした。


「特に期待などしていませんでしたが、本当に色気のない人ですね…」
「な、何ですか失礼な!私がそういう性分だって分かっているでしょう?」
「それはそうなのですが。密室に2人きり、しかも寝台の上でお互いの肌の感触を確かめ合うというシチュエーションに、女性として何か感じないのですか」
「…………」


そう言われると、そうだ。
今はお互い身を起こしているものの、真白な布団の上でちょこんと正座をして向き合うこの状態に、そういうあれを想像してもおかしくない。
というより連想しないと女として終わっている気がする。
ずりずりと這いつくばるように身を引こうとするなまえの腰をたくましい腕にしっかりと捕まえられて、恐る恐る鬼灯を見上げた。


「落ち着いてください、私を意識しないようにしたいのでしょう?」
「し、したいですけど!これは…っ」
「一線を越えてしまえば或いは克服できるかも知れませんよ」
「ちょ、ちょっと鬼灯様っ?」


反転し揺れる視界と、香り立つ色気にくらりと目を回しつつ鬼灯の着物を握る。一枚どころか数十枚上手な鬼灯に抵抗するすべは当然なく。

冗談とも本気とも取れない無表情な顔が覆い被さってくるのをなまえはぎゅっと目を瞑って待つしかなかった、のだが。
真っ暗な眼前のなか、何の行動も起こさない鬼灯に首を傾げながらそうっとまぶたを開ければ、鼻先が触れそうなほど近くに身を寄せた彼がただじっとなまえを見つめていて。
その瞳に愉悦がふくまれているのに気がつき、熟れた林檎のように頬を赤らめたなまえを目にして鬼灯はゆるりと瞳を細める。


「からかったんですか!?」
「すみません、なまえさんがあまりにも必死なもので」
「あ、当たり前です!っ鬼灯様のばか!」
「まぁ徐々に慣れていけばいいじゃないですか」
「さっきと言ってること違いませんか!?」


そうですか?ととぼけてみせた鬼灯を引き離そうと躍起になるなまえを物ともせずに、結ばれた唇をかすかにゆるめた鬼灯は胸元に置かれた彼女の手を徐に取る。

なまえの薬指に光る銀色のそれにゆっくりと唇を落とされるその仕草だけで心臓が甘く鳴るのだから、彼に対する免疫がつくことなど一生あり得ない気がする、と静かに息をついたのだった。


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