「鬼灯さん、起きてください」 鬼灯の自室へと足を踏み入れ、寝台に近づきながらそう声をかける。床に就くまで資料でも眺めていたのか、無造作に広げられたままのそれを拾い上げて棚へと仕舞う。 相変わらず乱雑な部屋の様子に胸の辺りがやわらいで、くすりと口の端から笑みをもらしながら彼の傍へと膝をついた。 普段ならば直ぐにでも目を覚ますのだが、数日前から徹夜続きだったらしく鬼灯は未だ深い眠りの中にいる。 寝心地のよい場所を探しているのか、もぞもぞと動きながら寝返りをうつ鬼灯に困ったように眉を下げた。このまま寝かせてあげたいのは山々なのだが、仕事もあるし、とためらいつつ彼の寝顔を見つめる。 あの切れるような眼差しを放つ瞳はまぶたの裏に隠され、柔いそこを黒く長い睫毛が縁取っていた。 その細い影を落とされた頬から口元にかけて瞳をすべらせると、小さく開いた唇からすうすうと寝息がこぼれている。 普段のきりりとした表情は露ほども見せず、あどけない顔をのぞかせる鬼灯に心のやわいところがくすぐられたように感じてしまう。 可愛い。 その言葉を彼が耳にすれば存分に眉をしかめられ口ではなじられるのだろうけれど、そう思わずにはいられないほどになまえの目の前で無防備に眠る鬼灯は可愛らしかった。 揺り起こそうと持ち上げた手のひらを元の位置に戻してしまうくらいには心惹かれる寝顔だ。 いやでも、2人して遅刻などという事態は避けねばならないと苦渋の決断をくだすべく鬼灯の肩へ手を伸ばした。 「鬼灯さん、起きないと遅刻しちゃいますよ?」 ゆらゆら、と優しく身体を揺らすけれど、返ってくるのは穏やかな吐息だけ。 どうしたものかと首をひねり、何か大きな音でも出せば起きるかも知れないと室内を見回したその時だった。 鬼灯の肩に置いたままだった手ががしりと掴まれたと思えば、次の瞬間には世界がぐるりと一回転していたのだ。 思わずきゅっと目を瞑った暗い視界の中感じたのは胸元に回された、寝ている人特有の高い体温。それに力強く引きずりこまれた先は鬼灯の寝台で。 柔らかな布団が背中を受け止めてくれたおかげで痛みはなかったが、大きな衝撃が去ったあと恐る恐るまぶたを開いた目の前いっぱいにうつったのは鬼灯の顔だった。 ぼうっと眠気の残る瞳をなまえに寄せる鬼灯に、布団へ引き込まれてしまったらしい。 横向きに向かい合うようにして横たわるふたりは口を結んだままお互いを見つめている。1人はまどろみに支配され、もう1人は状況がうまく飲み込めずに錆びついてしまった思考回路のおかげで、その瞳にからめとられたように身動きひとつままならない。 そんな状態が数分ほど続いたのち、再び瞳に蓋をしてしまった鬼灯に気がついたなまえは、今更ながらにどきどきと高鳴る心臓を抱えながら慌てて声をあげる。 「おっ、起きてください!朝ですよ!」 「………うるさいですよさっきから…」 「ででももう起きないと時間が、」 いつもより少し高いなまえの声が不快なのか、嫌そうに眉をひそめた鬼灯は彼女の後頭部へと手を伸ばす。 なまえを愛でるようなその撫で方は癖になってしまっているらしく、するりと髪に差し込まれた指先が彼女の絹髪を優しく梳く。その感触がひどく心地よくて、なまえが無意識にゆるゆると孤を描いた瞳を真似するようにふっと鬼灯の目が細められた。 そんな小さな仕草ひとつにきゅうっと胸が甘く締め付けられてたまらない想いがうまれる。 頬をほんのりと赤く染めたなまえを引き寄せた鬼灯は、恥ずかしがる彼女にはお構い無しに腕の中の柔らかなものを抱きすくめた。 「鬼灯さん、寝ぼけてるんですか…?」 「………いいえ」 「半分寝ちゃってるじゃないですかー…」 赤一色の眼前からどうにか顔を持ち上げて鬼灯を仰ぐけれど、黒曜の虹彩はまだ姿を見せない。辛うじてなまえの科白には反応を示すものの、意識を保っているかは怪しいところだ。 それでもなまえを拘束する腕には逃がすまいとするようにぎゅう、と力が込められている。 何だか甘えられているように思えて、仕方ないな、と呆れまじりの微笑みを浮かべたなまえはそっと鬼灯の背中へ手を回した。 「あと10分ですからね?」 「………ん、」 返事のようなうわ言のような音をもらした鬼灯はなまえの頭に頬を擦りつけるように身じろぎ、眠りの淵へと誘われてしまう。 鬼灯のあたたかなぬくもりと、彼が呼吸を繰り返す度に髪が揺れるのを感じながら、なまえはのどやかな雰囲気に身を任せたのだった。 |