わたくしは見ての通り繁華街の隅に位置するこの甘味処のしがない店主でございます。 黒い着物を纏った鉄面皮な鬼神様と、可憐なお嬢さんでございますか?はい、確かにその方々ならば昨日お見えになられましたよ。 それはいつものように、開店を教えるためののれんを店先にかけていた時でした。 朝早くからお客様がお見えになることなんて滅多にございませんから、そのお2人のことはよく覚えていますよ。 道の先から、仲睦まじく寄り添って歩みを進める様子などさながら夫婦のようでございました。 いえ、もう契りを交わされていたかは存じ上げませんが、そう勘繰ってしまうのも無理はないと何卒ご容赦くださいませ。 それほどまでにあたたかな眼差しをお互いへと向けていたのでございます。 ええ、特に涼やかな印象を受ける男の方の瞳に混じる熱は、傍目にはわかりにくいものでしたがこちらがのぼせてしまうほどでした。 わたくしも言ってしまえば人を相手にする商売で食いつないでいるのです、そういった心眼は長年の間に培ってきたと自負しております。 いえいえ、勘違いなどではございませんとも。わたくしがそう感じましたのも、ちゃあんと理由があるのでございます。 お客様が先ほどから気にしていらしたお嬢さんですけれど、ええ、貴方様のおっしゃる通り。 艶のある黒髪がきらきらと日に透けて、お粧しにも注力なさったのでしょう、とても愛らしいお姿でした。 少し前から落ち着かない様相がにじみでておりましたから、きっと久方ぶりの逢引だったのでしょうね。まことお可愛らしいお方でした。 それで、急いてしまったお嬢さんの方が数刻ほど前に降った霧雨によるぬかるみに御御足を取られてしまいまして……。 はい、大事ございませんでしたよ。男性がしっかりとお嬢さんの華奢なお身体を受け止めてらっしゃいましたから。 彼の腕に捕まってほんのりと頬を赤らめるあの表情には、恋しさがあふれておりました。 見ているこちらの心まで春の気候のような暖かみを帯びてしまったほどですよ。 …わたくしも亭主と出会ったばかりの頃が脳裏に浮かんで… あら、申し訳ございません、お2人のことでございました。 お嬢さんを腕に抱いたその方は少し肝を冷やしたのでしょうか、彼女の手を包んで離そうと致しませんでした。 え?魔が差した、ですか?いえいえ、彼は心底心配なさっていましたよ…… あら、そんな風にお顔をお顰めになって…お客様はその男性のことがお気に召さないようですね…? はあ、お話を続けてよろしいので?では。 そうこうしている間にお2人がこちらへと歩み寄られたので、わたくしは慌てて店の中に身を引きました。 本来ならば覗き見するような真似をすべきではなかったのでしょうけれど、お2人の間にたゆたう空気がいとしさに満ちていましたから、つい出来心を…ふふ、わたくしも亭主と婚姻を結んで随分経ちますが、女というのはいくつになっても恋というものに心惹かれるのですね。 お2人は向かい合わせで座られ、男性が餡蜜、お嬢さんは善哉を頼まれたと記憶しております。 ひとつ、ふたつと、和やかに言葉を交わすお2人はその一時一時を大切に胸へと仕舞い込むように、噛みしめるように談笑しておりました。 あまり耳を傾けても悪いと思ったのですが、如何せんお客様はお2人をおいて他にいらっしゃらなかったものですから、わずかですが小耳に挟んでしまいました。 お嬢さんのはしゃぎようったらありませんでしたよ。懸命に抑えておいででしたが、こらえきれなかったのでしょうね。 時折お見せになる花がほころぶような笑顔にこちらまであたたかな気持ちになってしまいました。 そのお嬢さんを見つめる彼の瞳ったら、わたくしまでのぼせてしまうほどでした。 本に彼女を想う気持ちがこぼれ出しそうで………ふふ、お客様のお察しの通り表には出ていませんでしたが、わかる者にはわかるのです。 あのお2人はお互いがお互いのことを、心の髄からいとおしく想っていらっしゃいました。 心をまるごと捧げるような、そんな恋に落ちているのだと、感じましたよ。 ええそれは、年甲斐もなく羨ましく思ってしまうほどで……やだわたくしったら、お客様、このことはくれぐれも内密にしてくださいましね。 一介の甘味屋の店主がお客様を羨望するなど、愚者のすることでございます。 ええ、このようなことで怒りを覚えるような方々ではないことは充分承知しておりますが、これはわたくしの気持ちの問題なのです。 お客様は神様でございますから………え?神獣……でございますか?まぁ、これはこれは…まさか神獣様にお会い出来るなど露ほども思っておりませんでした。 あら、もうお帰りになられるのですか?大したもてなしも出来ませんで…もし再び近くに寄られるご用事がおありになりましたら、またのご来店を心よりお待ち申しております。 「ったく、興味半分に聞いた話だったけどとんだ惚気話だったよ。……でもま、なまえちゃんが幸せなら、それでいっか」 道ゆくそこのお方、休憩ついでに甘いものでもいかがでしょう。 そうそう、少しお話に付き合って頂けませんか。わたくし、神獣様に会ったのでございます。こちらの胸もゆるむような穏やかな笑みを浮かべたお人で…お知り合いの方だったのでしょうか、昨日訪れたあるお2人の事情を聞かれていかれました。 ほんのわずかに悔しそうな表情をなさっておりましたが、それを上回る慈しみに満ちたとても優しい微笑みを口元に乗せておられました。 彼のようなお方を、もしかしたら神様と呼ぶのかも知れませんね…… |