福豆カカオの続きです 普段は宵闇に浮かぶ三日月のように綺麗な弧を描く頬が、丸みを帯びて動く様を黙って見つめる。 ふくらんだそこがいとけない仕草を繰り返すのを見守ったなまえは、ごくりとのどを鳴らして問いかけた。 「どうですか…?」 「甘過ぎなくてちょうどいいです。おいしいですよ」 「よかったです…!」 「失敗したことなどないのに気になりますか?」 「そ、それは……まぁ」 鬼灯の手の中で、嚥下されるのを待ちかねたようにその褐色の肌をつやめかせる甘味たちへ視線を向ける。 当日には間に合わなかったものの、鬼灯に想いの詰まったそれを手渡すことに成功したなまえはそっと肩をすくめた。 彼の好みを把握してはいるものの、好いたひとの反応はどうしたって気になってしまうのだ。 例えこのやり取りが毎年続いているものだとしても鬼灯のことならば何度だって不安になるし、彼の一言で心が浮き立つような喜びに幾度となく囚われるのだから。 ほろ苦さをふくんだ甘いにおいに満たされながら、なまえは淡く微笑む。 「そういえばあれだけのチョコ、もう食べてしまったんですか?」 「いえ、大王に献上して来ました」 「えっ」 「明らかな打算が見え隠れしている物もありましたし、あれらをすべて食べるのは少々無理があるので…私にはこれくらいがちょうどいいんですよ。毎年そうしていたんですけど、言ってませんでしたっけ」 執拗な甘みがあまり得意でない鬼灯のためにと甘さを抑えられたそれをひょいと口に運ぶ彼を見上げ、呆気にとられたようにまぶたをまたたかせるなまえ。 長年共にいたけれど、その事実は今日初めて知ったものだ。 いつも翌日には綺麗さっぱり消えてしまう小箱の山はてっきり彼の腹に納まっているのだとばかり思っていたけれど、どうやら見当違いだったようで。 それに複雑な想いを抱いていただけに何となく拍子抜けしてしまう。 「何を呆けているのですか?」 「い、いえ…」 「バレンタインに口にするチョコレートは、なまえの物だけと決めていますから」 「……!」 「なまえ、にやけるの止められていませんよ」 「う…」 鬼灯の科白にゆるゆると持ち上がりそうになる頬を懸命に留めたつもりでも、胸ににじむいとおしさには太刀打ち出来なかったようで。 だらしなくゆるんだ顔を露わにしてしまい、鬼灯の大きな両の手のひらに頬を挟まれて思わず笑みをこぼしてしまう。 その目に触れることすら叶わなかった恋心を想うと心が苛まれるけれど、もう少しだけ彼のぬくもりに溺れていたかった。 「大王、また太っちゃいますね」 「ダイエットには付き合って差し上げますよ、やる気があるのなら」 「ふふ」 取り留めのない会話を楽しみながら戯れに頬をつままれて、友人であるイワ姫にもそうされたことを思い起こす。 彼女よりいささか低い体温、少し乾いた皮膚がさらりと肌を撫でる感触に心へ熱が灯る。 友と語らう時とはまた違うあまやかなぬくもりに身を委ねるなまえを見つめた鬼灯は、胸に仕舞っていた科白を舌に乗せた。 「……そういえば、イワ姫にすべて話したんですね」 「…はい」 彼の妻であること、その真実をすべて自身の言葉で伝えたからか、憑き物が落ちたように笑う彼女の変化に鬼灯は気がついていたようだ。 しかし自分が踏み入る領域ではないと気を回してくれたらしく、やわくなまえの髪を梳く鬼灯は見守るような瞳をこちらに寄せてくれていた。 そんな彼に感謝とどうしようもないいとおしさがじんわりと湧き上がり、そっと身を寄せる。 甘えるように傾けられた頭が肩に乗ると、鬼灯はいささか虚を突かれたように目を見張った。 「珍しいですね」 「だ、だめですか」 「いいえ、むしろ普段からもっと甘えてくれても良いんですけど」 「それはちょっと…心臓が保ちそうにないので…」 なまえが身じろげばふわりと匂い立つ彼女の香り。髪が揺れる度に辺りにほころぶ石鹸のにおいが胸を甘くくすぐって、たまらない想いにさせる。 同時に木漏れ日に優しくくるまれたような安堵も覚え、翻弄されつつある内心に鬼灯は淡くまぶたを伏せた。 隣で頬に熱をためているなまえをいたずらにからかってはみるものの、彼女に心を揺さぶられているのは自身も同じ。 これほどまでに青臭かっただろうかと自問していると、ゆるいしじまに浸っていたなまえが口を開く。 「私、鬼灯さんに出会えてよかったです」 「なまえ?」 「…鬼灯さん、ずっとお側にいさせてくださいね」 「…ええ、もちろん」 あどけなさをふくむ科白に鬼灯が彼女を見下ろすと、いつも穏やかな眼差しを与えてくれる瞳は白いまぶたの向こうに隠されてしまっていた。 身体をつつむ体温と、胸にこぼれるあたたかな想いにまどろみへと誘われてしまったらしい。 なまえの安らいだ寝顔にやんわりと眦をなごませた鬼灯は、先よりも重みの増した彼女の身体を横たえ頭を膝の上へと乗せてやる。 ゆるやかな寝息を繰り返すなまえを何ともなしに見つめていると、何かを探るように畳の上をたどる彼女の手に気がついた。 夢うつつに寝ぼけているのかとなまえの肩に触れれば、さまようように移動していた手のひらがぴたりと静止する。 そのままするすると這いあがったなまえのぬくいそれに捕まえられた手は、きゅっと握りしめられて彼女の熱を伝えていく。 すり寄るようにして鬼灯の手を抱え込んでしまった彼女に何やら様々な衝動が駆り立てられるのを抑えつけながら、なまえのあどけない寝顔を悔し紛れに睨みつけた。 「……あまり我慢がきく方ではないんですけどね」 「ん…」 至福の夢にいるのか、へにゃりと顔をゆるませた彼女の頬を指で小突きながら呟かれたその言葉が、存外やわらかな音をはらんでいることに彼自身心づいてはいない。 意識外に想ってしまうのも彼の優しさを引き出してしまうのも彼女にのみ許された特権のようなものなのだろう。 なまえのまぶたにかかったもの柔らかな髪を、鬼灯は指先でそっと除けてやる。そうして己らしくないと嘆かせる唯一の彼女とふたりきり、幸福が溶ける空間に身を委ねたのだった。 |