日々、雨日和 | ナノ




腕に抱え切れないほどの荷物を持ち、売り子の賑々しい声で活気づく商店街を歩く。
休みの日にはこうして食材や日用品を買いに出かけるのだけれど、度々通ううちに顔なじみとなった店主たちから土産をたくさん貰ってしまい、結局なまえ自身が買ったものは片手にも収まるくらいの量ということも珍しくない。

普段なら鬼灯が手を貸してくれるところだけれど、今日は生憎隣が物寂しい。
両腕にのしかかる重みに感謝しながら、鬼灯は今頃眉間にしわを寄せて閻魔の相手をしているのだろうかと想像し、ひとり笑みをもらす。

すると、ゆるい微笑みを浮かべつつ足を進めるなまえを聞き知った声が呼び止めた。朗々とした声音からも感じ取れる人柄の良さは彼女の魅力のひとつだ。
屈託のない笑顔を向けてくれるその人に歩み寄れば、花の甘い香りが嗅覚をふわりとくすぐる。


「おやおや、またそんな大荷物で……貰いもんかい?」
「はい、皆さん良くして下さって有り難いです」
「ったくこの辺の奴らは皆なまえちゃんが好きだからねぇ」
「そそんな……私も皆さんのこと、大好きですよ」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ。うーん、じゃあウチの花はいらないかね」
「………あれ?何だか今日は薔薇が多いですね」


彼女の言葉をこそばゆく思いつつ店先を見回すと、華美な花が一際目を引く。
もちろん地獄産の奇妙な植物も多々あるけれど、今日はそれをしのぎなまえの気を惹くほどにその存在を主張していた。

燃えるような紅ややわらかな白雪のような色。美しく花弁を染める色彩にまぶたをまたたかせると、にっと明るく笑んだ彼女が口を開く。


「まあ今日は奥さんや旦那に送る人が多いから」
「え?今日って特別な日でしたっけ?」
「夫婦だけのね」
「あ…」
「なまえちゃんのとこはプレゼントなんかしなくても円満だから必要ないかもしれないけど、こういう日にあやかって機嫌取ろうって輩は結構多いんだよ」


どこかからかうような笑みに頬が熱くなっていくのを感じながら、持って帰れと勧めてくれる彼女に断りを入れ、懐を探る。
ふたりでつむいで来た関係を祝福し感謝するためのものを無償で貰うのは忍びないし、きちんと自分の手で贈りたい。

手の中で咲き誇る真紅の花をつぶれないよう庇いながら、なまえは鬼灯を想いあたたかくなる胸を携えて帰路をたどったのだった。





鍋の中身が煮立つくぐもった音と食欲を刺激されるにおいに満たされた台所に立ち、壁時計に視線を滑らせる。
時計の針がちょうど真下に仲良く垂れ下がっているのを確認し、鬼灯が帰るまではもう少しかかるだろうと座卓の上に目を移した。
そこには一輪の薔薇の花が生けられており、凛と背筋を伸ばしたそれは整然とした部屋を華やかに彩っていた。

なまえの心までも浮き立たせる蠱惑的な紅の花弁をそっと指でなぞっていると、がらりと戸を開ける無機質な音が玄関から響く。

慌てて廊下をのぞき込めば、常より随分と早く帰宅した鬼灯と視線がからんだ。


「おかえりなさい!早かったですね」
「ええ、午後の裁判が比較的早く終わったんです。少し用事もありましたし」
「?あ、今ご飯の支度をしますね」
「そう慌てなくてもいいですよ」


呆れの混じった慈しみがにじむ声色を背に受けて、微笑みを返しながら料理を盛りつけていく。

並べられていく皿を横目に席についた鬼灯は、その真中に飾られた紅に吸い寄せられるように視線を奪われていた。
対面に腰をおろしたなまえはまばたきを増やした彼に気恥ずかしさを覚えて照れたようにはにかみ、畳の目に視線を落としながら口を開いた。


「今日商店街にいったら、花屋さんにいい夫婦の日だからって薔薇を勧められたんです」
「ああ………だから笑われたんですか」
「え?」
「なまえ、これを」
「あ…」


鬼灯が背後から取り出したあでやかな色に目を丸くすると、彼はばつが悪そうにふらりと視線をそらした。

どうやらお互いに同じ贈り物を用意していたようだ。

そのくすぐったい事実に思わずゆるい笑みを浮かべながら、桜色の和紙とリボンで綺麗に包装された薔薇を受け取る。


「今日が何の日か知っていたんですね」
「いえ、大王やお香さんに言われるまで気づきませんでした」
「ふふ、そこも私と一緒です」
「花を贈るのが一般的だと言われて買ったのはいいんですけど…まさかなまえも同じことを考えているとは思いませんでしたよ」
「…何だか嬉しいですね」
「………」


鬼灯から贈られた薔薇が一輪の紅と寄り添うのを見つめながらゆるゆるとほどけていく頬が引き締められずに困っていると、向かいから与えられる甘さをふくんだ眼差しに気がついた。
言葉はなくとも、注がれる瞳から感じる心になまえの頬はじんわりと熱くなっていく。まるで熱をはらんだその虹彩から伝染したように体温をあげていく肌に心臓までもが煽られる。

顔を背けられずに視線を混ぜ合わせたなまえを見つめたまま、鬼灯はおもむろに喉をふるわせた。


「贈る薔薇の本数にも意味があるのを知っていますか?」
「あ……そういえばそんな話を聞いたことがあります」
「なまえが買ってきた一本は"一目惚れ"、"私にはあなたしかいない"ですよ」
「な、何か恥ずかしいですね…じゃあ鬼灯さんがくれた9本はどんな意味なんですか?」
「"いつも想っています"です」
「…………」


彼の濡れた瞳に囚われたのは眼差しだけではなかった。いつもよりうんと甘さのこもった声に胸が掴まれたようにせつなく音を立てる。
たまらず寄り合った10本の花束に視線を流すけれど、目に鮮やかな紅が鬼灯からの想いを象徴しているようでまたとくんと心臓が跳ねた。


「これから毎年、9本の薔薇を贈りますよ。………そうですね、111年目までは」
「111…?何か意味があるんですか?」
「999本の薔薇は…」


なまえの騒がしい胸中を察してか話を再開した鬼灯をそろりと盗み見ると、引き結んでいた唇をやわく和ませて手を伸ばされる。
すくい上げるように優しく取られた手にまぶたをまたたかせれば、鬼灯は繋ぎ止めたなまえの手の甲に親指の腹をするりとすべらせた。


「何度生まれ変わっても、また貴女を愛します」
「!」
「……………という意味です」


彼の唇から大切そうにつむがれた言葉に鼓動が高鳴る。
身体の中心で、熱と鬼灯への想いを刻むそれを握られていない方の手で押さえると、なまえの心情を見通したように鬼灯の片眉が持ち上がった。

胸の中からあふれそうになるほどに膨れあがる想いを押しとどめるように彼の手をきゅっと握り返し、問いかける。


「じゃあ………112年目は?」
「生まれ変わったら、また惚れるところからでしょう」
「ろ、ロマンチックですね…」
「自分でも気障だと思いますけど……特別な日ですから、たまにはいいでしょう?」
「はい……毎日やられたら心臓が保ちませんもん…」
「それは私もです」


互いのぬくもりに浸りながら、いとしさがこぼれたように交わした言葉はきっと幾ら時を重ねても色あせることはないだろう。
2人の間で花盛りと咲き乱れる深い紅のように心へ色を落とす思い出を抱きしめて、これからもこの恋しいひとと共に歩んでいきたいと強く願ったのだった。


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