今日は早く帰るようにしますので、と言い渡すと仕事に行ってしまった鬼灯を見送って、ふわふわとどこか浮ついた気持ちを落ち着けるように部屋の片付けに取り掛かった。 「よし、大掃除でもしよう!」 小さな身体では届かなかった本棚の上の方から順にはたきをかけ、ふり積もったほこりを落としていく。 異国のものなのか、妙な形をした置物や東洋医学の研究で用いるらしい粉末の入った瓶を布巾で丁寧に拭い汚れを除く。 床も念入りに水拭きし、その上からごしごしと乾いた雑巾をかけた。 そうして風呂場に差し掛かった時とくんと心音が跳ねる。 「…あーもう…」 ひんやりと冷たい木の床に蹲り、隠すように火照った頬を腕にうずめた。 鬼灯の言う通りこの身体はもう16歳のものなのだ。女であるなまえには理解の届かないことだが、男性には色々とあるのだろうし第一後見人である鬼灯が決めることに逆らっては駄目だ。 手を煩わせるようなことになるのは本意ではない、のに。 「でも少し寂しい、なあ」 もうこの居心地のいい乱雑な部屋で寝起きすることも、髪を濡らしたまま微睡みにさらわれた鬼灯を恐る恐る揺り起こすこともないのだと考えると胸の辺りが引きつるように痛んだ。 けれどやはり親離れしなければならないのだ。辛くてもがんばらなくては、ここでは日々を送ることも難しい。 「いつまでも頼ってちゃ…いけないよね」 ゆるり、ゆるりと頭をやわらかく撫でてくれるあのぬくもりを失うのは寂しいけれど、仕方ないんだ。 そう何度も言い聞かせながら、くすんだ木の表面を擦った。 * ずっと鬼灯の着物を着ているわけにもいかず、昼食時にお香をつかまえて理由を説明し彼女の着物を譲ってもらうことになった。 仕事上がりのお香と待ち合わせ、廊下の先からやって来る彼女を見つけて駆け寄ると風呂敷に包まれたそれを手渡される。 「ありがとうございます、お香さん」 「いいのよォ、アタシのお古でよければいくらでも。けど急に成長しちゃうなんて困るわね」 「はい…自分でも驚きました」 「なまえちゃんもだけど鬼灯様も、ねェ…」 「え?」 何でもないわ、と花のようにたおやかに笑う彼女に首を傾げればますます笑みを深めるお香。2人して見つめあっているとお待たせしました、と心にすっと染み入るような低い声がかかった。 「じゃあアタシはこれで」 「あ、ありがとうございました!」 ぺこりと頭を下げるなまえにひとつ微笑むと柔らかな肢体を揺らしながら去って行ったお香を見届ける。 行きますよ、となまえを肩越しに振り返る鬼灯の後に着いて彼の自室に戻った。逆さ鬼灯の描かれた扉を開けるなり眉を寄せた彼に、胸にたち込める寂寞を取り払うような明るい声音を装う。 「荷物、まとめておいたんです。ちょっとしかないですけど…。部屋も出来るだけ綺麗にしておきました!立つ鳥跡を濁さずって言うでしょう?あ、あと朝寝坊しないでくださいね?鬼灯さんだから大丈夫だと思いますけど」 「…」 「私閻魔寮には置いてもらえるんですよね?部屋は…」 早口でまくし立て、取り繕うような笑顔で表情を覆うなまえに眉間のしわを深くした鬼灯はぎゅう、とそのすべらかな頬を抓った。 「!?い、いだいです!」 「何を早とちりしたのか知りませんが、貴女が移るのは板一枚挟んだ隣の部屋です」 「え…」 「あとこれここの合鍵です」 そう言って鬼灯はこつん、と壁を拳で叩く。 え、と間の抜けた声をあげたなまえを鬼灯は見下すように眺めながら無造作な仕草で鍵をその手のひらに落とした。 「あの」 「朝は起こしに来てください、働けるようになるまでは以前のように部屋の掃除もお願いします。休みには勉学の続きを」 「……、…はあー…」 「どうしました?」 魂ごと吐き出してしまうかと思うくらいの深いため息をつき、気が抜けたようにへたり込むなまえに眉ひとつ動かさず小さく首を傾げる鬼灯。 預けられた冷たい金属は、きらりと鈍色に光を弾いてなまえの手の中に収まっている。 それを大切な宝物か何かのように胸に抱くなまえに合わせて蹲んだ鬼灯を見上げ、ゆるんだ笑みを浮かべた。 「いろいろ悩んでたのが馬鹿みたいでした…」 「色々とは」 「会える時間減るんだろうなとかご飯も一緒に食べられないのかなとか…いろいろです」 よかったと囁いてへにゃりとした情けない笑顔を見せるなまえに呆れたように眉を寄せる。 まさか今朝のあの言葉を受けても鬼灯との繋がりが絶たれるなどといったくだらないことを考えていたのか、と眉の間に力がこもっていくのを感じる。 「簡単に離す訳ないでしょう」 「え?」 「いえ」 低く降ってきた言葉を聞き返せばふい、となまえから目を逸らし立ち上がった鬼灯に疑問符を描く。 首を傾げたままのなまえを尻目に、少ない荷物を軽々と持ち上げる鬼灯に漸く我に返った彼女は慌ててその背を追ったのだった。 |