日々、雨日和 | ナノ




16歳の目線でも見上げなければならない鬼灯の背を見つめながら廊下を進む。
そもそも小さな身体に縮んでしまったのが突然だったのだから、元の身体に戻る時も唐突だという考えを持つべきだったのかも知れない。
そうしたらいろいろと用意も出来て、鬼灯に情けない所を晒すこともなかっただろうに、と後悔ばかりが募った。


「おはよう鬼灯君、女の子連れなんて珍しいじゃない」
「おはようございます」
「おはようございます…」


朝からにこにこと朗らかな笑顔を向けてくれる閻魔に頭を下げるとその子誰?なんて訊ねてくる大王にぱちりとまぶたをまたたかせる。
くい、と鬼灯の着流しの裾を引けばなまえに合わせるように屈んでくれた彼の耳に唇を寄せた。


「き、気づかれてないんですかね」
「まぁあの小さななまえが一晩で急成長するなんて誰も思わないでしょうね」
「でも鬼灯さんはすんなり受け入れてくれたような…」


その言葉にさあ何故でしょう、と惚ける鬼灯に首を傾げるなまえ。
もしかしたら、抜け目のない鬼灯のことだからこの事態も想定内のことだったのかも知れない。そうならば少しほのめかすとかしてくれても良かったのに、とわずかに頬を膨らませた。

こそこそと内緒話をするように顔を寄せ合う2人を訝しげに見つめた閻魔はそういえばと口を開く。


「なまえちゃんは?まだ寝てるの?珍しいね、毎朝絶対一緒なのに」
「いえ、なまえはここに」
「は?」
「ですから目の前にいるでしょう」


え?どこ?ときょろきょろ首を巡らせる閻魔に、おずおずと一歩前へ進み出て緊張で震える声を絞り出す。


「あの、大王様…私がなまえです」
「え?……えええぇえ!?なまえちゃん!?」


閻魔の驚きの叫び声がきん、と食堂中に響き渡り、それまで各々好き勝手に動いていた瞳が一斉にこちらを向く。
それに居心地悪く身を縮こませると、なまえの様子に気がついた鬼灯が背に隠すように立ってくれた。


「あ…ありがとうございます」
「なまえは見世物じゃありませんから」
「……まあその様子だと本当、なのかなあ…」


鬼灯が心を傾けるのはなまえに対してくらいのものなのだから。
まだ信じられないけど、と閻魔が呟くのも無理はない。こうなった当人でさえ未だ夢見心地だ。早く慣れなければ、とは思う反面これは夢で、目が覚めたら何処も彼処も丸っこいぽてりとしたあの小さな身体に戻っているのではないかと考えてしまう。
そんな思考を振り払い、気を取り直して席につく閻魔に倣ってなまえも鬼灯の隣へと腰をおろす。


「でもそうなると色々とまずいんじゃないの?若い男女が一つ屋根の下に二人きりでしょ?」
「え?そ、そんな心配いりませんって!ね、鬼灯さん」


その問いかけに一瞬考え込んだ鬼灯はどことなくなまえから目を逸らすように視線を宙に持ち上げるとゆっくりと頷いた。


「いえ…それなりに」
「でしょ!?」
「今朝のあれは色々と来ました」
「ほ鬼灯さん?」
「今朝のって?」


今朝の、とはまさかあの裸を晒したともいえる…と思い至ってぼわりと頬が熱くなる。それはつまり鬼灯に見られたということで、気恥ずかしさが襲った後はまさかそれをネタにゆすられるんじゃ、とあらぬ被害を想像し終いには青褪めてしまった。

感慨深く言う鬼灯に赤くなるやら青くなるやらで忙しないなまえを鬼灯は悦を含んだ眼差しで見やると、閻魔の疑問に律儀に答えようとする。そんな彼の口を慌てて塞いだ。


「えー、何々気になるじゃないの」
「い、いや別に面白いことでもないですから!」
「そうですか?私は充分興味をそそられましたが」
「何言ってるんですかもう、怒りますよ!」


相変わらず本心の読めない無表情ですみません、と形だけ謝ってみせる鬼灯にため息をつく。
こういう科白をさらりと口に出してしまうところは本気だか冗談だか未だにわからない。


「とりあえずそれは置いておいて、部屋をどうするかですね」
「私は今のままでも…」
「それでは私が困るんです」
「え?」


こてんと首を傾げて鬼灯を見上げるなまえは自分が16だということをすっかり忘れているようで、きっと先ほどまで裸体を見られて頬を染めていたことなど頭の片隅に追いやられているのだろう。
そういう彼女の鈍感さや素直なところを好ましく思っているし、厄介だとも思う。

はああ、と深く息を吐き出した鬼灯をきょとんと見つめていればちょっとそこに正座しなさいと告げられた。


「は、はあ」
「いいですか、私は男で貴女は女性です」
「はい」
「5歳児には反応したくともできませんが16ではそうもいかないでしょう」
「…は?」
「据え膳食わぬは男の恥とも言いますし…食っていいのなら遠慮しませんけど」
「……、」


はくはくと金魚草のように口を開閉するなまえをよそに朝食を食べ始めた鬼灯はあっけらかんとしている。
椅子の上に正座したままかちんと固まるなまえはさぞかし滑稽だろうけれど、そんなことに気を配る余裕もなく唯呆然と鬼灯の横顔を視界に入れていた。


「ちょっとちょっと、なまえちゃん固まっちゃってるよ」
「放っておけばいいんです」
「それにしても鬼灯君がねぇ…」
「……」


とはいえ5歳の身であった時から明らかな想いがあったのかと問われればやはり首を横に振るだろう。いつかの亡者のように特殊な性癖を持ち合わせているわけではない。
頼りない布きれ一枚を必死に手繰り寄せ、かすかに熱をはらんだ瞳でこちらを見上げるあのなまえを目にした途端赤い実がはじけたというか。元々なまえのことは気に入っていたし、贔屓目も重なってそういう結論に落ち着いたのだが、何か、くっと胸に込み上げる熱いものがあったというか。

しかしそれも唯のきっかけにすぎない。きっと以前から、親心や慈しみを越えた想いが鬼灯の芯のどこかにうずくまっていたのだ。それを強引に引きずりさらけ出す機会に、今日偶々巡り会わせただけのこと。

要するに同じ部屋に共にいるには色々と辛く薄汚い欲が出てきてしまったのだ。男とは単純なものである。


「……」
「いつまでそうしてるんですか、置いていきますよ」
「ま、待ってください!」


ほんのりと朱色が差す頬のまま、急いで白米をかきこむなまえを行儀が悪いですよと諌める鬼灯の瞳が甘さを帯びている事実は、目の前で2人を穏やかに見つめる閻魔しか知らないだろう。



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