小説 | ナノ




さらさら、と葉がこすれる乾いた音が耳をくすぐる。白澤が用意してくれた笹の葉の音色だ。
そよぐ風を遊泳するように揺れる細長い葉の奏でるそれがいつもよりも心地よく胸に落ちるのは、腕が触れ合うほどの距離に白澤がいてくれるからだろうか。

今は店のすぐ外に設置された笹に白澤と2人飾り付けをほどこしている最中だ。
色とりどりの画用紙を切って作った短冊や折り紙の輪を繋げたもの、七夕らしい星の形をしたものなどを葉にくくりつける。
なまえのささやかな願いごとを書いたあさぎ色の短冊も、白澤の目を盗んで丁寧に飾り付けた。

そんな中、ふと先ほどのことを思い出してしまう。鼻歌なんてうたいながら機嫌よくはさみを動かしているところを白澤に見られて、慈しみといとおしさを溶かしたような眼差しで見つめられたあの時はひどく恥ずかしい思いをしてしまった。
なまえに囁くようにかわいい、なんて言える白澤の気が知れない。
こっそり隣を盗み見ると白澤もちょうどこちらを見ていたのか、ぱちりと視線が繋がって少し驚く。


「なまえちゃんは驚いた顔もかわいいなぁ」
「……もう、あんまりからかうと怒りますよ」
「いやいや、いつだって本気だよ?驚いたなまえちゃんもかわいいし、照れ隠しに怒ってみせるなまえちゃんもかわいい」
「し、しつこいですって!」


にこにこと穏やかな笑みをのぞかせる白澤は嘘を言うひとじゃないからきっと本心なんだろうけれど、その甘い科白を手放しに喜べるほどこの人を知らない訳じゃない。
女性と見れば口八丁手八丁に口説く彼の言葉をいちいち真に受けていたら身が持たないのだから。
白澤のどこか甘みをふくんだ瞳を避けるように作業にいそしみ、漸く飾り付けを終えたなまえはふう、と息をつく。


「お疲れさま。うん、綺麗に飾ってくれてありがとう」
「いえ、こういう行事ごとって好きですし」
「確かに、さっきうきうきしながら飾りを切ってるなまえちゃんかわいかった」
「…白澤さんの口癖ってかわいい、なんですか?」
「もう、冷たいな。なまえちゃんにだけだって」


きゅっと細めた瞳からは真意を知ることもできずに、彼に悟られないよう小さく吐息した。
私にだけ、と言っておきながら白澤が女性にちょっかいをかけているところを何度見たかわからない。

本心だけど、本気ではない。
だからなまえは白澤へのほろ苦い想いを胸にとどめておくことしかできないのだ。

彼の薄い言葉にいちいち跳ねる心臓や、熱をためる頬を虚勢と意地で隠すことにはもう慣れてしまった。
それでも、白澤が女性に言い寄る場面を見る度にきゅっと胸を切なく締め付けられるあの感覚には慣れることはないけれど。


「なまえちゃん?どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
「そう?あ、今夜あいてる?ちょっとなまえちゃんと行きたい場所があるんだけど……」
「え?」


ぼうっとしていたらしく、うかがうように瞳をのぞきこまれてその端麗な顔との近さに胸が鳴った。平静を取り繕うなまえをよそに首を傾げた白澤へ、迷うようにまぶたを伏せる。

約束、というほどでもないけれど、地獄であるらしい七夕祭りにやんわりと誘われてはいた。先約がなかったらぜひ、とあの冷徹な低い声色をいくらかやわらげた彼に申し込まれて、曖昧に頷いてしまったのだ。
だっててっきり白澤はいつものように花街かどこかへ出かけるか、他の女性を捕まえていると思っていたから。

どうしよう、とふらふら視線を泳がすなまえとの距離を縮めた白澤は、そのやわらかな手のひらをぎゅっと握った。


「知ってる。アイツに誘われてるんでしょ」
「は、はい」
「先約がどうの言ってたけど、僕との約束、優先してくれないかな。……だめ?」
「………白澤さんは、他の人に断られたから私を誘うんですか」


白澤から寄せられた言葉は胸が弾むくらい嬉しいものだったけれど、頭の片隅にはどうしても白澤と綺麗な女性が並ぶ姿を描いてしまう。

思わず唇からこぼれた言葉は拾い上げて隠すこともできなくて、顔をうつむかせながら白澤の答えを待った。
ただの従業員のくせに、おこがましい。
そう思っても、他の誰かの代わりになるのはとても悲しくて、耐えられそうにない。
ゆるく唇を噛んで足元を見つめるなまえの瞳がゆらりとふるえた。


「……そんなことない。誘ったの、なまえちゃんが初めてだよ」
「え」
「何、その意外そうな顔。かわいいけど」
「で、でも私てっきり他の人を、」
「今日は特別な日だよ。1年に1度、好きな人に会える日なんだから」
「……」
「だからなまえちゃんにはアイツじゃなくて僕を選んでほしい。…なまえちゃんは、僕にとって特別だから」


柔らかな光を灯す甘い瞳の中にかすかな嫉妬の色をにじませた白澤は重ねあった手に指先をからめ、なまえを自分に繋ぎ止めるように深く握り込んだ。
肌から伝わるそのぬくもりにほどけていくのは唇だけではなく。虚勢にひた隠されたなまえの心もじわじわと溶け出していった。


「……わかりました。白澤さんと、行きます」
「…よかった」


心底ほっとしたような安堵の表情を浮かべた白澤は、なまえの手を離さないまま嬉しそうに顔をほころばせる。
白澤に咲いたその笑顔が嬉しくてたまらないと言っているようで、何となく気恥ずかしくなってしまう。
ほのかに赤く色づいたなまえの頬を見て、白澤はまたいっそう幸せそうな微笑みを見せたのだった。





日が落ち、ぽつりぽつりと星がまたたき始めた頃。白澤に手を引かれて連れて来られたのは小高い丘の上だった。斜面に足を取られるなまえを案じてそっと肩に回された腕や、あえかに甘みをはらんだ空気が彼女の胸を高鳴らせていく。

そんな心の内をはぐらかすように空を見上げると、きらめく星々が手を伸ばせば届きそうなほど近くに見えた。
あの青暗い空からこぼれ落ちた星が手に入るんじゃないか、なんて幼い頃夢に見たくだらない空想が頭をよぎる。


「綺麗、ですね」
「でしょ?ここから見える星空、好きなんだよね」
「……」
「あ、言っておくけど連れてきたのはなまえちゃんが初めてだから!」
「何も言ってないじゃないですか」


昼間の失言のせいで白澤への猜疑心が露呈してしまったようで、なまえを気遣うような言葉を口にする彼からふいと顔を背けた。
隣からちらちらと送られる白澤の視線がうるさいけれど、確かな想いを寄せられている気がして少し嬉しい。


「うーん、七夕のお願いってのも案外捨てたもんじゃないなぁ」
「そういえば白澤さん、短冊に何て書いたんですか?」
「今夜なまえちゃんと過ごせますようにって」
「……」
「あ、ちょっと嬉しそう」
「そんなこと、」


反論しようと開いた口を思わずつぐんだのは、振り返った先に見えた白澤の方がよほど嬉しさに満ちた笑みをもらしていたからだ。胸にくすぐったいようなあたたかさが触れて、白澤につられるようにして微笑む。

確かに今年の願いはなまえにとっても意味のあるものになったみたいだ、と口角をやわく沈ませた。

そんななまえの微笑をゆらめくような熱を秘めた瞳で見つめた白澤は、風の音も聞こえないような静寂の中口を開いた。


「…今まで何度も言ったけど本気にされてなかったみたいだから、もう一回言うね。僕、なまえちゃんのこと本当に好き」
「………」
「信じてもらえないなら何度でも伝えるよ。…って、だから信じられないのかな」


思いがけない恋心の吐露になまえはあどけなくまぶたをまたたかせた。普段より少し幼く見える彼女をいとおしく思いながら、緊張の糸を張り巡らせたような自身の心の内に呆れてしまう。

幾度となく音にしてきた、ありふれた科白に装飾された口説き文句など彼女には何の意味もなさない。何より白澤の髄にある気持ちしかなまえには伝えたくなかった。
ばくばくと耳の奥で鳴り響く心臓をおくびにも出さずに、白澤は言葉をつむいでいく。

それにただ耳を、心を傾けるなまえは全身に心地よい熱が巡っていくのを感じていた。


「女の子を口説くのは日課みたいになってて…なかなか変えられずに不安にさせてごめん。でも僕、なまえちゃんを好きになってからは断られるって分かってる娘しか口説いてないんだ。……言い訳みたいになっちゃうけど…つまり、えっと」


頭のいい白澤らしくなく、言葉を詰まらせて落ち着かないように周囲に瞳を巡らせる。その様子はあまりに初々しくて、やわいヴェールのような星の光に包まれた頬は淡い朱色に染まっていた。
白澤のそれが伝染したようになまえの顔にも熱が集まっていく。とく、とく、とあまやかに音を立てる心臓が熱い。
それでも素直になりきれないなまえの心を見透かしたように、白澤は懐から一枚の紙切れを取り出した。


「なまえちゃん、これ」
「!ちょ、ちょっと白澤さん取ってきちゃったんですか!?」
「だって、かわいかったから」
「……」
「なまえちゃんの願いも叶ったね?」
「…なんか自信満々って感じで面白くないです」
「自信なんかないよ、今だって心臓バクバクいってるのに」


白澤はその長い指先に挟まれた短冊をひらひらと揺らし、大切にしまいこんだ宝物でも見るかのような眼差しをそれに寄せた。
白澤がそのあさぎ色を通してなまえを見つめているような気がして、むずむずと心の中がざわめいてしまう。
短冊からなまえへと火照った視線をうつす白澤に、内側をくすぐる想いごと吐き出すようにため息をついた。


「言わないままでおこうって……隠しておこうって思ってたのに」
「いやだよ。想いあってるのに離れる理由はないでしょ?」
「…白澤さんには負けましたよ」
「いっつもなまえちゃんに負けてるからたまにはいいんじゃないかな」


彼女の困ったような笑みや呆れといとしさをふくんだ眼差し、怠惰な白澤を叱る表情。
どんな時でも甘苦しく白澤の心を揺さぶっていくのはなまえなのだから、たまにはこんな素敵な結末があってもいい。

そう思ってささやかな光を2人へ注ぐ夜空を仰いだ白澤の肩に、なまえはそっと頭を乗せる。

ー好きなひとの隣で星を見られますように
そう書かれたあさぎ色は、寄り添う2人を見守るように風に揺れたのだった。


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