08


元治元年7月
しばらくして、京に長州の藩兵が押し寄せ、町は慌ただしくなっていった。新選組に会津藩から正式な要請が下り、長州制圧のため出陣。私が少女と呼んでいる雪村千鶴も、伝令や怪我人の手当てをする人員として同行することとなった。



「あーあ、屯所で待機とか退屈すぎ」
「君は傷さえ言えれば表舞台に戻れますよ。それに比べて私は……」



山南さんが暗い顔を見せて俯いた。本日屯所で留守を任されているのは私、沖田さん、山南さん、平助さんだ。山南さんは片腕が使えない為、戦に出ることは出来ない。沖田さんと平助さんは、池田屋の一件で重症を負っている為、今回は屯所で待機。私は三人が無茶をしないか監視をする為、屯所で待機。だが、留守の間は何をしていれば良いのだろう。



「そういえば寧ちゃんってさ、千鶴ちゃんのこと名前で呼んだこと無いよね」
「え?」
「あ、そういえばそうかも」



沖田さんと平助さんの言葉に、自分自身「そういえば」と心の中で思う。私はあの子の名前を呼んだことは無いし、心の中では「少女」とか「彼女」という呼び方しかしていない。だが、あの子は私のことを名前で呼んでくれている。……あれ? 私ってば結構失礼なことをしていないか……?



「不思議ですね。何か月も共に生活をしているのに、名前で呼んだことが無いなんて」
「それなら、帰ってきたら名前で呼んであげたらどうです?」
「そうですね。急に呼んで引かれなければ良いですけど」



そう言うと、平助さんが笑いながら「千鶴に限ってそれは無いだろ」と言った。果たしてそうだろうか。平助さん程仲が良いわけではないから、なんだか不安になる。その言葉に頷き、「とりあえず中に入りましょうか。ずっと外に出ていたらお体に障りますよ」と言い、隣にいる沖田さんの背中を押して屯所内へと入る。山南さんと平助さんも私達に続いた。




 ***




局長や副長達が帰ってきて、報告を受けた。
色々とあり時間がかかったが、新選組が着いた頃には戦闘は終わっていたようだ。長州の残党は天王山で切腹をし果てていた。逃げ延びた者が市中に火を放ち、民家や寺院が焼失。祇園会の山鉾も失われた。この後、長州は御所に発砲したことを理由に、朝廷に歯向かう逆賊とされる。この事件は後に「禁門の変」と呼ばれることになる。



「休まなくてよろしいんですか?」
「……ああ、今は手が離せねぇんだ」



長旅や戦で疲れが溜まっているであろう副長。それなのに、副長は帰ってきてからも執務に追われているようだ。とりあえず、煎れてきたお茶を机の上に置く。「すまねぇな」と言う副長に「謝るんなら少し休んだらいかがですか?」と言った。だが、どうしても手が離せないようだ。



「総司の様子はどうだ?」
「少し咳が出るようですが、それ以外は至って普通かと」
「……そうか。あまり無理しなきゃ良いがな」
「あの人の事だから、それは無理でしょう」
「はあ、そうだよな……」



頭をボリボリと掻く副長。沖田さんに憎まれ口を叩かれるくせに、副長は沖田さんの身を案じている。”鬼の副長”と呼ばれてはいるが、本当は心優しいお人なのだ。その優しい部分を知っているのは極僅かで、隊士達からでも恐れられている。この人は、損をする性格だ。



「では、私は失礼しますね」
「ああ」



軽く頭を下げ、副長の部屋を出る。最近、副長だけではなく新選組全体が忙しい。何か皆の心を癒すものや方法は無いだろうか。思考を巡らせながら縁側を歩いていると、前方から少女が「あ、寧さんっ」とパタパタと慌ただしく走ってきた。



「そんなに慌ててどうしたんですか?」
「あの、土方さんのお茶を煎れようかと思って。私だけ休んでばかりなので……」
「お茶なら私が煎れましたよ」



私の言葉に「えっ!? そうなんですか!?」とショックを受ける少女。表情豊かな彼女に、私は少し笑ってしまった。そして、「ああ、でも、」と言葉を続ける。



「副長の事ですから湯呑は空になってしまっている事でしょう。申し訳ありませんが、もう一度お茶を煎れてくれませんか?」
「!! 分かりましたっ!!」



ぱあっと笑顔になる少女。「頑張って煎れますね!!」と意気込む少女に、私はクスクス笑った。すると、少女が少し驚いた表情をする。ああ、そういえば、少女にはあまり笑顔を見せていない気がする。そのせいかな。「では私は行きますねっ」と言う少女に、「途中で転ばないように」と言うと「こ、転びませんよっ」と言いながら視線を逸らされた。怪しい。もしかして、既に転んでしまったのかもしれない。あ、そうだ。私はこの子に言っていないことがあった。



「そういえば千鶴、」
「はい。……えっ!? あれっ、名前……!?」
「無事に帰ってきて何よりです。――おかえりなさい」



私の言葉に、少女……否、千鶴は唖然とする。だが、次第にその顔は熱を帯びて行く。そして「た、ただいまですーっ!!」と言いながら、逃げるように走って行ってしまった。ふふ、面白い反応だ。



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