Rondo of madder and the scarlet- 笑顔- Smile - -
人目のつかない校舎の裏側にある木の上に、その人はいた。
「俺……なんでこんな所にいるんだろう」
はぁ、と大きな溜め息が漏れる。彼は今朝方、あの大きな樹のある公園で茜と出会った青年だった。
目が覚めてみれば見知らぬ土地と見知らぬ人物。どこかと問えば全く聞いた事のない国や町、そして文化。信じ難い事ではあるが、間違いなく夢ではなく現実である。
青年はもう一度溜め息を吐いた。春の暖かな風が彼の鮮やかな朱色の髪を揺らす。
あのまま公園にいても仕方がなく、茜にこの"高校"とやらに連れられた。とは言え武器を持ち、茜曰く「コスプレ」と言う格好をした自分が校内を彷徨く訳にも行かず、彼女が学校での授業が終わるまで隠れて待つ事になったのだった。
それから何時間が経った事だろう。太陽はとうに真上を通り過ぎ、既に東の空の向こうへと沈もうとしていた。
今日ここに来てから何度も聞いたチャイムの音が響く渡る。そして更に数分が経過した時、蚊の鳴くような小さな声で話し掛けられた。
「あの、お待たせしました」
「茜!」
青年は漸く現れた彼女の姿に嬉しそうに木から飛び降りて近付いた。それから茜が何かを言おうと口を開いたその時だった。
「あーちゃんー! 置いてくなんて酷いでー。最初の日くらい一緒に…………誰やアンタ?」
騒々しい声と共に現れた睦に茜と青年はまるで金縛りにでもあったかの様に固まった。その様子に何かを感じたのか、睦はハッとするとわなわなと顔を青くして震え出した。
「ま、まさかあーちゃんその人………」
「む、睦君っ……この人は」
「あーちゃんの彼氏!?」
「違うわよ!」
何となく予想していた言葉ではあったが、怒鳴らずには居られなかった。第一、今日会ったばかりで、しかもコスプレ同然な格好をした人を彼氏にする人はまずいないだろう。
そこまでは言わなかったが、睦は青年を上からしたまでじっくりと見ると「それもそうやな」と一人納得した。
「見た所、今日会ったばかりみたいやし……お兄さん迷子なんか?」
「え?」
普通、もっと突っ込むべき所があるのではとも思ったが、それよりも睦が青年にした質問が気になった。
「どうして、そう思うの?」
「どうって……こないな町中、しかも特に大きなイベントもないこの時期、校内にコスプレイヤーがおる訳ないやろ。それにお兄さん、何かものごっつ泣きそうな顔しとるからなぁ」
「そ、そうなのか!?」
青年は慌てて顔を押さえながら言うと、睦は頷いた。
「こう見えても俺は人間観察が得意なんや。お兄さん、演技とか苦手やろ?」
「ま、まあ……あまりやった事とかない、けど」
「睦君、それと迷子と何の関係があるの?」
話が見えない、と茜が言うと睦はうーんと腕を組んで考える様にしながら言った。
「何ちゅーか、これは俺が知り合いから聞いた話なんやけど。世の中には、この世界とはまた別の世界が幾つも存在しとるんや。そして世界のある一部の場所には異世界へと通じる道があって、それがこの町にもあるらしいんや」
「あ……」
「そうなのか!?」
「ああ、だからお兄さんももしかしてっと思ってなぁ」
茜もその話は聞いた事があった。しかもそれは割と最近聞いた話で、内容もよく覚えていた。知り合いが体験した、実際に有ったと言う異世界の話。
普通ならば夢物語だと、信じはしないだろう。けれどその話の内容はあまりにリアルで、何よりも話す時の知り合いの声が、本当に嬉しそうで、悲しそうで……とても夢だと言う一言では片付けられない物だったのを覚えている。
そしてそれは睦も同じ。だからこそ、青年が異世界の者だと思ったのだろう。
「じゃあ、俺は本当に……違う世界に来ちまったのか」
呆然と呟く青年に、茜はまだ彼の名前を聞いてない事に気が付いた。
「あの……あなたの名前、まだ聞いてなかったわ」
「え、ああ、俺は…………ルーク・フォン・ファブレ。オールドラントって世界の、キムラスカから来たんだ」
オールドラント、ルーク、キムラスカ……あれ?
「あの子の話に出て来た名前と同じ……?」
「え、何?」
上手く聞き取れなかったのか、ルークは首を傾げて聞き返すが、茜は「ちょっと待って」と返すと睦を向いた。
「ムゥくん、もしかしたら……」
睦は茜とは幼馴染みだ。去年彼が先にこっちに来るまではずっと一緒に過ごしていた為か、その一言で直ぐに茜が何を言いたいのかがわかった。
「あー……その可能性は捨てきれへんなぁ。けど……うーん」
しかしどうにも歯切れが悪い。そしてその理由も茜にはわかっていた。
「何か、わかったのか?」
「もしかしたら、お兄さんが元の世界に帰るヒントがわかるかも知れへん」
「本当か!?」
ルークは目を見開いて睦に詰め寄ると、睦はまあまあと落ち着かせるように宥めると茜を示した。
「さっき言った俺に異世界の話をしてくれた人ってのが茜の従姉妹なんや。だからその人に聞いてみれば何か解るかもなぁ」
「ただ、その子から話を聞くにはあと二ヶ月程待ってもらわないといけないの」
「え、何で?」
「それは……」
茜はとても言い辛そうに俯き、睦も苦笑を浮かべて頬を掻く。それから暫しの間が空いて漸く茜が言葉にしたのは、何とも頭の痛くなる話だった。
「その子、今朝から他県に長期実習に行ってて……暫く帰ってこないの」
「そ、そんな……」
ガクッとルークは肩を落として頭垂れた。そんな彼に茜は掛ける言葉が浮かばずにオロオロしていたが、睦は突然閃くとポンと手を叩いた。
「そや、だったら待てばええやんか!」
「待つったって……二ヶ月もの間どうやって待てば良いんだよ」
住む所だってないのに、とルークの言う事は尤もだった。しかし睦は得意気に笑うと言った。
「だから、その間は俺ん家に住めばええ」
「え、でも」
良いのか、とルークが問えば睦は大きく頷いた。
「折角やからこの世界を堪能してみてもええと思う。学校通って、友達作って……楽しそうやろ?」
「あ、ああ」
「なら決まりや!」
「あ、待って!」
じゃあ早速行くで、と意気揚々にルークの肩を組んだ睦に茜がストップを掛けた。
「あの、だったら……今わたしその従姉妹の家でお世話になってるの。だからあの子が帰ってくるまで、こっちの家で一緒に待たない?」
その言葉にはルークのみならず、睦も驚きを隠せなかった。
「な、何言うとんのやあーちゃん。年頃の男女がど、どど同棲しよう言ってんのと同じやで!」
「同棲って言っても、あの子のお母さんがいるわ。そ、それにわたしは別にルークさんに何か特別な気があるわけじゃないんだし」
「いやそれはわかってるんやけど……でもなぁ」
睦は困ったように眉を寄せる。しかし茜も考えを変えるつもりはなく、ルークを向いて手を取った。
「ルークさん。あの子のお母さんにはわたしからお願いします。さっきのムゥくんではありませんが、楽しんでみませんか。この世界を」
「茜……でも俺、迷惑なんじゃ」
と、申し訳なさそうに言うルークに茜は首を横に振った。
「迷惑だなんて思わないで。それにあなたがこの世界が初めてのように、わたしもこの町に来たばかりなんです。だから初めて同士、一緒に頑張っていきましょう」
ね、と優しく微笑む茜を暫し見つめ、ルークはついに折れたのだった。
「わかったよ。これからよろしく……茜」
そう言ったルークの表情は、この世界に来てから初めて見せた笑顔だった。
2012.5.13