19.

「ーー体調は問題ないですね。体力も大分ついてきているようですし、引き続き栄養のあるものを食べさせて、運動や睡眠をきちんと取らせてあげてください」

ヒカルのお腹に当てていた聴診器を外した医師ーー高宮(たかみや)は柔和な笑みを浮かべて頷いた。
ヒカルの背後に立って診察を見守っていた岬も、その言葉にほっと表情を緩める。

「ヒカル、良かったな」

岬にぽんぽんと頭を撫でられて、不安と緊張で身体を強張らせていたヒカルは、ほっとしたようにはにかんだ。肩の力が抜けたヒカルを見て、岬は再度頭を撫でてやる。
体調は問題ないようだけれど…。岬は少し黙った後、もう一度口を開いた。

「先生、失声症の方はどうなんでしょう。今は薬も飲ませてないですけど…」

ヒカルを不安がらせないようにとは思うものの、岬の声には不安の色が滲んでいて。そんな岬の様子に、高宮が困ったような笑みを浮かべながら答えた。

「ヒカルくんの失声症は、精神的なものですからね。薬を飲んだらすぐ治るというものでもないんですよ」

それは、岬がヒカルを引き取ることを決めた頃にも聞いたことだった。
うつ病や精神疾患を併発している患者であれば抗うつ剤を処方されることもあるが、直接失声症に効く薬はない。
ヒカルのように、時折フラッシュバッグがあるものの、普段は特に問題なく元気に過ごせているのであれば、特に飲むべき薬はなく、ただ声が戻ることを根気強く待つしかないらしい。

「わかっていても、どうにかしてやりたくて…」

“こんにちは”や“ありがとう”というように口を動かしても音にならない言葉や、笑い声も、泣き声すら声に出せない様子は、見ている岬にとっても辛いものがあった。
歯がゆさに眉を寄せる岬に、高宮もなんとも言えない表情を浮かべながら返す。

「人によって、数週間で治ったという人もいれば、半年、一年と長引く人もいます。明確なことをお伝えできないのは、私も心苦しいのですが…」

「…いえ、こちらこそすみません」

不安げに見上げるヒカルに気付き、岬は大丈夫だよと言うように笑いかけてやりながら、高宮に言った。
笑い合う岬とヒカルの姿。それを見守っていた高宮の顔にも、自然と笑みが浮かぶ。

「ーー大丈夫。体調面もそうですが、ヒカルくんの心の調子も、入院していた頃よりずっと明るく元気になってきています。今はゆっくり見守ってあげましょう。きっと岬さんと一緒に笑顔で生活していることが、一番のお薬になりますよ」

「…ありがとうございます」

高宮の言葉に思わず瞳を見開いた岬は、照れ臭そうにヒカルの頭をくしゃくしゃと撫でながらそう言った。

「よし、これで診察はおしまいだよ。ヒカルくん、良い子だったね」

雰囲気を切り替えるように、高宮が明るい声でヒカルへ声をかける。
それにヒカルがはにかみながら、“ありがとう”と口を動かす。それを見て高宮が優しく微笑んだ。

「冬野さんと会うのはこれからですか?」

そういえば、と思い出したように聞いた高宮の言葉に岬は頷く。

「はい。昨日から楽しみにしてたんだよなぁ」

岬の言葉にヒカルは嬉しそうに笑った。その様子に高宮も楽しげに笑みを浮かべる。

「冬野さんもですよ。今朝も『ヒカルくんのことよろしくお願いします』って頼まれていたんですよ」

「冬野さんが」

電話口でもいつもヒカルのことを気にかけてくれていた冬野の様子を思い出せば、岬も自然と笑みが浮かんだ。

「良かったなぁ。じゃあ、冬野さんに会いに行ってくるか!」

岬の言葉にヒカルが大きく頷く。

「それじゃあ失礼します。ありがとうございました」

そう頭を下げた岬に習い、ヒカルもぺこりと頭を下げた。

「はい。ヒカルくん、またね」

微笑を浮かべる高宮に見送られ、岬とヒカルは診察室を後にしたーー。



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