15.
夏の交番は暑い。
扇風機や冷房設備はあるものの、基本的に開けっ放しの入り口では、室内が涼しく快適になることはなく、常に汗をかきながら仕事をしている状態だ。
暑いと文句を言っていた小谷が巡回に出た後は岬とヒカル、芝浦だけになり、セミの鳴き声だけが騒がしく響いている。
ディスクで書類に目を通していた岬は、きりが良くなったところでふぅと息をついた。
隣のヒカルを見やれば、先日芝浦が持ってきてくれた、赤と白の縞模様の服を着たキャラクターを探す絵本と真剣な顔で睨めっこしている。だが、やはり暑いのはヒカルも同じらしく、顔には汗が浮いていた。
「ヒカル、暑いし休憩室行ってるか?」
名前を呼ばれてはっと岬を見上げたヒカルだったが、その言葉にはここにいると言うように首を横に振る。
「けど暑いだろ?」
傍を離れたがらないヒカルの予想通りの反応に、岬は困ったように笑ってそう言えば、小さな頭をぽんぽんと撫でてやった。
ヒカルは、撫でられて嬉しそうにはにかむも、大丈夫と言うようにもう一度首を横に振る。
退院した直後は、虐待の痕が他人の目に触れないようにと長袖の上着を羽織らせていたものの、交番の茹だるような暑さに耐えかね、早々に脱がせてしまった。保護したばかりの頃にあった目立つ痣は消えたとはいえ、消える気配のない煙草の痕は痛々しかったけれど。
それでも無理に長袖を着せといて、熱中症になる方がかわいそうだしな。そんなことを思いながら、岬は健気に笑うヒカルの頭をもう一度撫でやる。
「大丈夫なら良いけど…」
体調云々よりも気持ちを優先している、ヒカルの“大丈夫”を当てにすることも出来ずに、どうしたものかと考えていた岬に、芝浦が口を開いた。
「岬くん。そろそろ休憩をもらうから、良かったらヒカルくんも連れて行こうか?」
「あ、良いんですか?」
芝浦からの提案に喜んだものの、問題は当のヒカルだ。ヒカルの方を見てみれば、案の定少し不安げに岬を見上げている。
芝浦や小谷に馴染んできたとはいえ、岬が一緒にいるのといないのとではやはり違うらしい。不安げに見上げてくるヒカルに、岬がどう言い聞かせようかと悩んでいれば、ヒカルの傍へと来た芝浦が先に口を開いた。
「ヒカルくん、一緒に休憩しないかい?」
「……」
椅子に座るヒカルの横にしゃがみ、目線を合わせて声をかけられると、ヒカルは戸惑うように芝浦と岬を交互に見る。
「大丈夫だよ、行っておいで」
岬にそう言われても、隣を離れるのはやはり不安なようで。なかなか頷こうとしないヒカルに、芝浦がとっておきの一言を口にした。
「僕の奥さんがね、おやつに持たせてくれたプリンがあるんだけど…一緒に食べないかい?」
「!!」
大好きなプリンという言葉に、不安げだったヒカルの表情にきらきらとした光が宿る。それを見た岬と芝浦は顔を見合わせて笑みを浮かべた。
「ヒカル、行っておいで」
岬が優しく笑い、もう一度背中を押すようにそう言えば、ヒカルはおずおずと頷いた。
「じゃあ行こうか」
そう言って差し出された手を握れば、芝浦に連れられて休憩室の方へと歩いていく。その後ろ姿を見送りながら、岬はほっと息をついた。
涼しい場所で休ませることができることはもちろんだったか、自分から離れようとしないヒカルが他の誰かと共に過ごそうとしたことも大きな一歩だ。
「よし、もうひと頑張りするか」
芝浦が休憩から戻れば次は自分の休憩の番だ。ヒカルと遊んでやる時間を作るためにも早く仕事を終わらせよう。
そう気合を入れなおせば、岬は再び書類に視線を落とした。
「はい、どうぞ」
まだ少し緊張した様子のヒカルだったが、目の前にプリンを置かれた瞬間、ぱっと顔に笑みを浮かべた。差し出されたスプーンを受け取りながら“ありがとう”と口を動かすヒカルに、芝浦は優しく笑い返してその頭を撫でやる。
「岬くんに、ヒカルくんはプリンが好きと聞いてね。奥さんにお願いして作ってもらったんだよ」
召し上がれと促されて、ヒカルは手を合わせて“いただきます”と口を動かす。
「いただきます」
それに合わせて芝浦も手を合わせれば、ヒカルは嬉しそうにはにかんだ。スプーンでゆっくりとプリンを救うと、ぱくりと頬張う。
「!!」
「おいしいかい?」
口に入れた瞬間、瞳を見開いたヒカルに芝浦がそう声をかければ、ヒカルはこくこくと頷く。それを見て、芝浦が嬉しそうに笑った。
「それは良かった。ヒカルくんはプリンが好きだと話したら、とてもはりきって作ってくれてね」
そう言いながら、芝浦もプリンを口に運ぶ。それを見て、ヒカルがまた嬉しそうにはにかんだ。
一人ではなく、誰かと共に食事をすることが楽しいというのは、ヒカルが岬と共に生活するようになって学んだことの一つだった。
芝浦が話すのを聞きながらプリンを食べていたヒカルだったが、半分ほど食べたところでスプーンを置いた。
「おや、もう良いのかい?」
そんなヒカルに、芝浦が不思議そうに声をかける。市販のプリンとさして変わらない大きさのプリンだ。ヒカルが食べきれないということはないだろう。
芝浦の言葉に、プリンを気にする様子を見せながらも、ヒカルはこくりと頷く。
食べたそうな素振りを見せながらも、残りを食べようとしないヒカル。その様子に暫し首を傾げていた芝浦だったが、ヒカルの行動の理由を悟れば、あぁと口を開いた。
「もしかして、岬くんの分かい?」
「っ!」
芝浦に理由を言い当てられて、ヒカルははっと芝浦を見上げれば、こくりと頷いた。
そんなヒカルの様子に笑みを深くすれば、芝浦はヒカルの頭を撫でてやる。
「ヒカルくんは優しいね」
このくらいの子なら、自分の分なんてすぐに食べてしまって、もっと欲しいと強請ってもおかしくないというのに。この子は、自分の分を分けたいと考えるのか。
それはきっと、ヒカルの元来の性格と、岬の教育がそうさせるものなのだろう。
「ヒカルくんは、岬くんが大好きなんだね」
芝浦の言葉に、ヒカルは満面の笑みを浮かべると大きく頷いた。
ゆーじがだいすき。言葉がなくても、そんなヒカルの気持ちがしっかりと伝わってくる笑顔に、芝浦はいい子だともう一度頭を撫でる。
「岬くんの分もあるから、これは全部ヒカルくんが食べても良いんだけれど…」
だが、半分分けてあげたいというのは、一緒に食べたいという気持ちもあるのだろう。
「ヒカルくんのプリンは冷蔵庫に入れておいてあげるから、あとでまた岬くんと一緒に食べるかい?」
芝浦の提案に、ヒカルは嬉しそうに頷いた。そして小さな口が“ありがとう”と形を作る。
そんなヒカルに、芝浦は優しく笑みを返した。
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