13.

「悪いっ、遅れた!」

「岬さん遅いですよー?」

出勤時間を5分程過ぎて到着した岬達を迎えたのは、からかうような小谷の言葉だった。

「悪かったよ。ちょっと予定が狂った…」

一人で通勤するなら十分程の道も、ヒカルの足では倍以上かかってしまう。疲れやすい今のヒカルにはその距離すらとても長いもので。結局、半分歩いたくらいで息が切れてしまい、そこからは抱っこになってしまった。
気まずげに謝る岬にしたり顔だった小谷も、すぐに岬に抱き上げられているヒカルを見れば、ふざけるような笑みを引っ込めて、口を開く。

「その子が、この間の…?」

病院にいる間は医師や冬野をはじめとした数人の看護師、岬としか顔を合わせることのなかったヒカルだ。初対面の小谷の姿に思わず顔を背ければ、自身を抱いている岬の首にぎゅっとしがみつく。

「そうだよ、ヒカルだ。ーーほら、ヒカル挨拶は?」

「っ…!」

顔を隠すヒカルに、岬が身体の向きを変えて小谷の方を向けるも、やっぱり岬の首元に顔を隠してしまって。
人見知りかな。保護されるまでは母親達としか顔を合わせることのなかったことを思い出してそんなことを思えば、岬はヒカルの背中をぽんぽんと叩きながら、優しい声音で声をかける。

「どうしたー? ヒカル、小谷だよ。怖くないぞー?」

ヒカル、と再度呼ばれた名前にゆっくりと上げられた顔。岬が瞳を合わせて笑い掛けてやれば、ヒカルは、ほっとしたように僅かに身体の力を抜いた。
それを見た小谷が、距離を保ったままヒカルに優しく笑いかける。

「ヒカルちゃん、こんにちは。そのうさぎさん、可愛いね」

「……」

小谷の“うさぎさん”の言葉に、ヒカルは岬にしがみついたまま、恐る恐る小谷の方に顔を向ける。小谷がもう一度笑いかければ、ヒカルは戸惑いながらもはにかむように笑った。

「ヒカル、“こんにちは”は?」

少し緊張がほぐれたらしいヒカルに、岬が口をゆっくりと促しながら“こんにちは”と言ってみせると、それを真似るように、ヒカルの口がゆっくりと“こんにちは”と言うように動かされる。

「ヒカル、偉いな」

その言葉は音にはならないけれど。昨日の夜、一緒に練習した挨拶の言葉を、ヒカルが頑張って伝えようとした事実が岬には何よりも嬉しくて。ヒカルの頭を思い切りわしゃわしゃと撫でた。それにヒカルは嬉しそうに笑みを浮かべる。

「…岬さん、なんかもう、普通にお父さんって感じっすね」

そんな二人を見ていた小谷が、感心したような声で呟いた。
それを聞いた岬は、わずかに顔を赤くして慌てた声で突っ込む。

「っ、いきなり何言ってんだ!?」

「や、だってそうじゃないっすか。今の岬さん、本当お父さん、って感じですよ」

「…知らん。とりあえず、お父さんとか言うな」

小谷と、二人の会話を聞いていたヒカルに視線を向けられた岬は、気まずそうにそう言うと、照れを隠すように視線を逸らした。
“お父さん”。その呼び名が無性に照れ臭く感じたのは、初めて冬野に呼ばれた時からずっとだ。自分の年齢や、ヒカルを養子にすることを考えれば別におかしな呼び名でないのはわかるのだが、なんだか妙に恥ずかしい。
結果、ヒカルには自分のことは“お父さん”ではなく“雄二”と名前で教えていた。

「…とりあえず、迷惑かけると思うけど、これから頼むな」

面白そうに笑いを浮かべる小谷に、話を切るようにそう言えば、制服に着替えるためヒカルを抱えたままロッカールームに向かおうとした岬だったが、ふと一つ思い出せば、足を止めて小谷を振り返った。

「あと、わかってると思うけど。ーーこいつ、男だからな?」

「え? …男!?」

まぁ、間違うよなぁ。一瞬ぽかんとした後に大きな声を上げる小谷は、案の定、岬が最初にしたのと同じ間違いをしていたようで。
本当に!? とまだ信じられない様子の小谷に「着替えてくるな」と一言言えば、ヒカルを抱いたままロッカールームへと向かった。




「おはよう」

着替えを終えた岬が、自身の服の裾を掴むヒカルを連れて戻れば、ディスクに付いていた芝浦が二人に声をかけた。

「所長、おはようございます」

初めて会う相手に、裾を掴むヒカルの手が強張ったのを感じれば、岬は大丈夫だというように頭をぽんぽんと撫でやった。そして歩くのを促すようにヒカルの背を押してやりながら、芝浦のディスク前へと向かう。

「ヒカルです。今日からお世話になります」

頭を下げる岬に頷けば、芝浦は優しい笑みを浮かべながら、ヒカルの前で目線を合わせるようにしゃがみ、優しく話しかけた。

「ヒカルくん、こんにちは。芝浦と言います。これからよろしくね」

子供の相手をし慣れている芝浦の雰囲気は、ヒカルをすぐに安心させたようで。握手しようと差し出された芝浦の手に、ヒカルは戸惑いながらも自分の手を重ねた。

「ヒカル」

良い子だ、というように岬がヒカルの頭を撫でてやれば、ヒカルははにかみながらゆっくりと“こんにちは”と口を動かして見せる。

「うん、こんにちは」

芝浦がもう一度同じ言葉を返してやれば、今度は嬉しそうににっこりと笑った。

ヒカルの、小さかった世界が少しずつ広がっていく。
岬はそれが、ただただ嬉しかった。


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