12.

ヒカルが岬の家へと来てから三日後。
退院に合わせて取っていた連休も終わり、仕事へ行く準備をする朝の時間はいつもよりバタバタとしていた。

「ヒカル、行くぞー? っと、お前着替えまだか!」

朝食を済ませ、慌ただしく着替えを終えた岬がヒカルを振り向けば、パジャマ姿のままのヒカルが不思議そうに首をかしげる。
俺がさせなきゃ着替えているわけないか。当たり前の事実を思えば、急いでヒカルの服を出し、着替えをさせる。

「今日はあんまりかまってやれないかもしれないけど、ごめんなぁ」

退院してからの二日間。ヒカルは片時も岬の傍を離れようとしなかった。
仕事中はかまってやれないだろう事を思えば、岬は少し苦い声でそう声をかける。
それでも、ずっと一人で留守番をさせるよりかは全然良い。そう自分自身を言い聞かせるように思えば、言葉の意味などわかっていないだろうヒカルの頭をくしゃりと撫でやり、優しく微笑んだ。




『ヒカルくんと一緒に出勤するかい?』

ヒカルを引き取ってから、仕事をどうするか悩んでいた岬に、そう提案してくれたのは芝浦だった。
病み上がりなのはもちろん、無戸籍で日常生活に必要な知識すらないヒカルを、簡単に預けられる場所などあるはずもない。

「引き取ってから、仕事はどうするつもりだい?」

ヒカルを引き取る報告に来た岬に、芝浦から問われたのはごく当たり前の内容だった。

「…退職を考えています。今のあの子の状態を考えると、預けることはもちろん、一人で留守番をさせることなんて絶対できません」

急な退職が芝浦はもちろん、同じ交番で働く小谷達にも多大な迷惑をかけるだろうことはわかっている。それでも、自分しか頼る相手がいないヒカルを第一優先に考えると、他の選択肢はなかった。苦渋に満ちた顔でそう言った岬に、その答えを予想していたのだろう芝浦は苦笑を滲ませながら呟く。

「ずっと頑張ってくれていた君がいなくなるのは痛手だなぁ。岬くんは部下からの信頼も、街の人からの信頼もとても厚いからね」

勿体ない芝浦の言葉に、岬はただすみませんと、深く頭を下げた。
この仕事は好きだ。尊敬できる上司がいて、慕ってくれる後輩がいる。そして何より、警官でなければ、ヒカルのことを助けることだって出来なかった。
だが、既に自分の一番大切なものは、自分に向けられる、あの無邪気な笑顔に変わっている。
それ以上、何も言わずに頭を下げる岬に、芝浦は少し考えるように黙り込んだあと、一つの提案をした。

「ーーヒカルくんと一緒に出勤するかい?」

ヒカルと一緒に? 思ってもみない芝浦からの言葉に、岬ははっと顔を上げる。

「幸い、大きな事件もない平和な町だ。一緒に出勤したからと言って危ないこともないだろう」

「ですが…」

芝浦にはもちろん、部下にも迷惑をかけてしまうことになる。そう思えば、芝浦の提案に簡単に頷くのは躊躇われる。
だが、そんな岬の背中を、芝浦の強く優しい言葉が押した。

「問題があったら、また考えよう。ーーヒカルくんが第一優先なのはもちろんだけどね、君の部下たちも、まだまだ君から教わりたいことは山ほどある筈だよ」

そこまで言われて、断ることは出来なかった。

「ありがとうございます。ご迷惑をおかけすることになると思いますが、よろしくお願いします!」

笑顔で頷く芝浦に、岬はもう一度深く頭を下げた。




「よし、着替え完了!」

そう言って岬が満足げに頷けば、それを真似るようにヒカルも頷く。そんな様子に思わず笑みをこぼせば、岬はヒカルの頭をぽんと撫でた。

「じゃあ、行くか!」

岬がリュックを背負わせ、うさぎのぬいぐるみを手渡しながら笑いかけてやれば、ヒカルは嬉しそうに頷く。
その頭をもう一度くしゃりと撫でると、手を繋いで家を出た。



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