安部進ー3




気が付くと、日は落ちていた。下校時刻はとっくに過ぎている。薄暗い教室の窓辺の席で、俺は一人、文化祭の演劇の台詞を呟きながら、どうしようかと時計を見ていた。
「当たり前だった日常が壊れるのを、私は知っているのです。だから、貴方の傍に居ると、幸せなのに、どこか怖いのです。そんな自分が赦せないのです。私は、貴方のことなんて何も考えていないのかもしれません」
俺の役のお姫様は、幼くして隣国の王子に気に入られ、政略結婚として大好きだったお城を出ていくしかなかった。断れば、お姫様の大好きな家族はもちろん国の未来も危ぶまれたのだから。
「…………」
劇のシナリオを読めば読むほどに、高校の文化祭でやる劇の内容じゃないような気がする。
「それでもいいでしょう?」
「?」
強く優しい声がして、俺はびっくりして、振り返った。
そこには帝人が立っている。
めずらしく、猫背になっていない。真っ直ぐ、普通に、いや、なんか頼りがいがあるようなオーラで立っている。
「て、帝人?」
「私が貴方の傍にいたいのです。どうか、お許しを」
スマートに膝なんかついて、俺を見上げて帝人はニコリと微笑んだ。やばい、なんか、心臓に悪い。
「……て、王子の台詞かっこいいよな。俺もいつか、そんな王子になりたいな」
「じゅ、じゅうぶ、ん、帝人は、王子様やけど」
「え?」
「ちゃ、ちゃうで、役に磨きがかかっているって言っただけや」
「本当? 嬉しいな。進に言ってもらえるのが一番、感動するわ。なんでかな?」
「し、知らない」
「そうっか。でもさ、この劇の台本、すごいよな。少女マンガみたい」
「少女マンガってこんな感じなんか?」
「え、あー…、たぶん。なんかさ、ヒロインが辛い目にあっても真っ直ぐ生きていて、優しい気持ちを忘れていない感じ? で、最後に愛は勝つ、みたいな展開とか」
キラキラと語りだした帝人に俺は不思議な気持ちになった。この物語はそんな見方もできたのかって。
「俺には、ただ、ヒロインが、優柔不断で、運がいいようにしか見えなかったよ。最終的にはハッピーエンドっぽいけど、そこに至るまでが、生々しいっていうか、暗い展開多いじゃんか」
隣国の王子のもとに嫁いだ後に、姑にいじめられるシーンに始まり、やっと隣国の王子のことを好きになれそうってところで知らされる『嫁いだ国の裏側の事情』とか。そして争いが起きて、お姫様以外の人が全員、死んじゃって。呆然としているところに、ヒーロー(帝人役の王子)が現れて。助けられて。
「言われてみればそれもそうだけど、それは、ストーリー展開に必要なスパイスみたいなものだし」
「帝人、めずらしく、語るな。もしかして、好きなの? こういうの」
「え、あー…、その、うん。好きだよ。王道少女マンガとか」
「へー、意外。おすすめとかあったら、教えてよ」
「え、でも、進は好きじゃないかもしれないよ。この劇の台本が好きじゃないなら、俺の趣味の漫画は」
「帝人。俺は、その通り、少女マンガに興味はないけど、帝人が好きなものには興味あるよ」
「す、進。ありがとう。そうだな、俺の好きな漫画はたくさんあるんだけど、とりあえず、そろそろ帰ろう。もう、暗いし、送っていくよ」
「そやね。もう、下校時刻過ぎてるんやった」
机の上を片付けて俺は鞄を抱えた。
「……」
教室を出ると廊下で帝人が手を差し出してきた。
俺は、あたりを見渡してから、その手をとる。
もう、誰もいないし、いいよな。
外も暗いし、大丈夫だよな。
繋いだ手を放したくなくて、ずっと握っていた。
楽しそうに少女マンガについて語る帝人のとなりで、俺はほほえんでいる。
たったそれだけのことですべてのものが輝いて見えた。
世界はまるで俺たち二人だけのために存在しているかのようにさえ錯覚した。
「進、遅いから心配したよ」
気が付くと、俺の家の前まで来ていた。
「おば、おばあちゃん!?」
俺は慌てて帝人の手を放した。帝人も夢から目が覚めたように、戸惑っている。
「そんな怖がらなくても。私は反対しないよ? あなた、帝人くんでしょう。よかったら、夜ご飯、食べておいき」




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