Long | ナノ





***






ちっ ちっ ちっ

時計の針が進む。


ちっ ちっ ちっ

30分、1時間、2時間―――。



何度時計を確認したことか。
いつまで経っても来る気配のないリノア。 今日のテスト返却でひどく落ち込んでいた彼女だったが、今日から入った新しい分野も早速躓いたようで、今日の放課後教えてと、確かそう言っていたはずだ。

時刻は午後の7時半。 いつもなら授業が終わってすぐに顔を出していたのに。
スコールは作り終わった配布資料を見直し終えると、用済みのボールペンを自分が羽織っているジャケットの胸ポケットにしまいこんだ。



(何を気にしているんだ、俺は。)



急用ができたのだろう、もしくは友達と会話に花をさかせているのだろう、あるいは今日約束したつもりではないのだろう。
これは絶対の約束ではない。だからこそリノアが現れない理由なんていくらでも思いつくというのに。



―――ただ、一つだけ気がかりなことがあった。
それは数学準備室で交わした会話だった。



『センセ、見っけ〜。』
『…ティルミット。』
『あ!もしやもしや今リノアじゃなくてガッカリした〜?』
『…用がないなら、』
『リノアにラブレターが届いたんですよ、知ってます?』
『……知るわけないだろ。それに何だ、何が言いたい。』
『今日の放課後、体育館裏。リノア行くんだって。』
『それがどうした。』
『…センセも満更じゃないくせに〜。素直にならなきゃ後悔しますよ〜。』
『意味が分からない。壁とでも話してろ。』
『は〜い。ねぇねぇ、壁さん、知ってる?”先生”もね、一歩学校から出たらただのオトコなんだよ〜。』



そんな声を聞きながら必要な教材を抱えて立ち去った今日の昼休み。
さすが彼女の親友というべきか、スコールの態度に物怖じしないセルフィの物言いは彼のペースを乱した。

真冬の日が落ちるのは早い。
とっくに暗くなった外を見やれば、スコールは席から腰をあげた。



(仕事は終わった。俺は帰る。)



言い聞かせるように頭の中で呟く。
暖房が効いた室内はむしろ暑いくらいで、スコールはコートや鞄を腕に持つと、周りに残っていた他の教員たちに会釈して職員室を出て行った。





***





ギギギ…と錆びついた扉を開けたことで、暗かった室内に一筋の明かりが差し込んだ。



「…!」



その光の先に、横たわる小さな体。それを視界に入れるや否や、スコールは駆け出した。マットの上にある丸まった体の傍に膝をつくと、探していた少女の横顔にかかる細い髪の毛を払う。



(…寝てる…だけか。)



状況に見合わぬ穏やかな寝顔と寝息に、強張った全身から力が抜けるのを感じた。そのまま安堵の吐息を漏らしてその場に座り込む。



(全く、人騒がせなやつだ。)



錆びついた扉を開ける音、スコールの足音にもリノアは気付かないままだ。毎朝のホームルーム間際に慌ただしく廊下を走っているのはこのせいだろうとスコールは密かに確信した。
ふいに、今まで安らかだった寝顔に少し陰りが見えた。悪い夢でも見ているのだろうか、彼女らしくもなく、眉間に皺を寄せて口は一文字。手はまるで何か掴むものを求めるように、握ったり開いたりを繰り返している。



「…さん、」
「…?」



何かが聞こえた気がした。うなされていると思われるリノアの言葉を聞きとるべく、彼女の顔に自分の耳を近付けると、今度こそはっきりと聞きとることができた。『お母さん』と。どんな夢なのか、少し気になった。天真爛漫な彼女、やはり母親も同じようなのだろうか。

近づけていた顔を元のように離し、スコールは何気なくグーパーを繰り返すリノアの手のひらに自分の手を乗せてみた。と、途端に手を握りこまれる。蠢いていた掌はやはり掴むものを欲していたようで、スコールの手を取った瞬間、安心したように彼女の口元は弧を描いた。



(まるで赤ん坊、だな。)



同じ人間とは思えないほど小さくて、細くて、柔らかいその手は、この気温の中にいたせいか、指先まで冷え切っている。
早く起こそうと思う反面、何故だかもう少しこのままでいたいと思う自分がいることにスコールは気づくが、その理由が分からない。

不可思議な心のやり場に困ったスコールはとりあえず目線をリノアから外す。と、その時目についたのは見覚えのありすぎるプリントと小さな便箋。
握られた手はそのままに、もう片方の手を伸ばしそれらを自分の元に寄せる。

便箋はセルフィが言っていたラブレターのようだった。
彼女がなぜこの用具室に居るのかは分からないが、それでもここに居るということは、きっとこの手紙を書いた人物とも会ったのだろう。
…リノアは何と返事をしたのだろうか。



(…俺には関係ないことだろ。)



苛々するのは何故か。スコールは頭に飛び交う様々な想像を振り払う。
人に踏み込まれることも、人に関わることも面倒だとか意味がないと思っていた自分の変化に自分自身がついていけない。スコールは何かに気付きかけた心に蓋をするようにラブレターを置きなおした。
そして手に取るのは15点という近年稀に見る点数を叩き出した解答用紙。回答欄の並びさえ合っていれば100点だったというのに。



(…馬鹿なやつだな。)



苛々から一変、知らず知らずの内にスコールの口角が上がる。採点中の、あの時のように。
そこでハッとする。
スコールは空いている手で自分の頬に触れることで、ようやく自分が笑みを浮かべているということを認識した。キスティスの言っていたことは本当だったとようやく理解する。



(…馬鹿なのは俺の方、か。)



温かいというのだろうか。久しいこの感覚に何と名前を付ければいいのかわからない。
だが。口角や手や目線、自然と動く自分自身に、スコールは少しの興味が沸いた。
自分の頬に触れていた手を、次はゆっくりとリノアに向かって伸ばす。武骨な手が未だ瞳を閉ざしたままの彼女の頭を撫でた。



「よく、頑張ったな。」



ただ一言、そう言った。しかし、その瞬間思いがけず身じろぎした彼女にスコールは体を硬くした。



「せんせ…?」



寝ぼけまなこがスコールを見つめる。リノアはぼんやりとした頭で少しずつ今の状況を把握しようと記憶を巡らせているようだ。同時にスコール自身も頭をフル回転させる。



(――まずい。)



横になったリノアの傍に座るスコールの片手は彼女の手の中に、そしてもう片方の手は撫でていた頭の上にそのまま。とにかくこの状況をリノアに悟らせまいと、スコールは握られた手を引き抜くと、頭に置いていた手で強めに小さな頭を叩いた。これくらいなら頭の下のマットが衝撃を吸収してくれるはず、と思いながら。



「あだっ。」
「ったく、何してるんだ、あんたは。」
「何で先生がここに…。」
「……………偶然な。」
「偶然?体育館に?」
「……明日の終業式の準備に必要なものを取りきたんだ、そしたらあんたがいた。」



―――嘘だった。
適当な話を作り上げるスコールの頭の中で、同時に、職員室から出たあとの自分の行動がフラッシュバックした。帰ると決めながら向かった先は彼女の教室。未だに机に残っていた彼女の鞄や携帯に、嫌な汗をかき、気付けば体育館裏へと走っていた。あたりを探し、まさかと思いながら来たここで見つけたのだ。リノアを。

スコールは、頭への衝撃でようやく夢と現実の狭間から戻って来たらしいリノアの手首を掴み上半身を起こす手伝いをする。彼女はこれまでの経緯を聞いたことでようやく胸をなでおろした様子だった。



「…あんたこそ何でこんなところに。」
「わたしも、偶然!偶然ここにきて、そしたら鍵かけられちゃって。」



偶然だと答えた彼女に、もやっとしたものが心に広がる。本当は告白されてたくせに、とか、なんでそれを隠すんだ、とか、そんな不信感に似た感情。
ただ、自分は自分で嘘を付いているのだからと、彼女にそれ以上問う気もなく、スコールはただ「そうか」と頷いた。



「嬉しい。」
「は?」
「スコール先生が来てくれて、わたし凄く嬉しい。」



程なくして聞こえた唐突な言葉にスコールが眉を寄せると、すんなりと言葉を紡ぐリノア。どうしてこうも率直な言葉が簡単に出てくるのだろうか、とスコールは不思議に思う。だが、今は何故かその率直な言葉がなんとなく気に食わない。
だから素っ気なく一言、「”先生”だからな。」と返した。
―――そんな返答に対しどこか寂しそうな笑い方をするリノアを見て、少し後悔した。



「〜〜へっくしゅ!」
「ったく。ほら、立て。今日は早く帰って休め。」
「あ、もうっ、もっと優しくしてよ〜。」



小さなくしゃみを聞いて溜息をつく。スコールは立ちあがると、握っていた細い手首を強引に引っぱる。その行動に口を尖らせた彼女からは先程一瞬垣間見えた表情は消えていて、スコールは安心した。
立ちあがったリノアから一度手を離し、持ってきていたコートを肩にかけてやると、再び握った手首を引いて、用具室から抜け出した。



「あ、あのっ。」
「何だ。」
「その…、えっと…手、何で…。」



前を歩くスコールからはリノアの表情は窺えない。ずんずんと前に進むスコールに対し、歩幅の違う彼女は少し小走りになっているようだったが、スコールはそれに合わせる余裕などなかった。リノアの問いに対しても、何も返さずただ歩き続ける。
そして彼女の教室に辿り着いたところでようやく、スコールは足を止めた。急な動きに、勢いあまってリノアが背中にぶつかる。



「いきなり止まらないでよ〜。」
「…知っているか?」
「え?」
「寒い時に温めると効果的な体の部位。」



振り向くと、数分ぶりの彼女の顔を視界に捉える。その顔は薄暗い校舎内でも分かるほどに赤く染まっていて、スコールは慌てて眼を泳がせた。一方リノアはといえば、赤い顔はそのままで、きょとんと黒曜石の瞳を丸くして突然の問いに首を傾げている。



「首だ。」
「首…?」
「首、手首、足首、とかな。そこを重点的に温めると全身が温まるのも早い。」
「あ、…ああ、だからさっき…。」



解説すると、リノアはそこでようやくこれが自分の問うたものの返答だと合点がいったようだった。すっかり温かさを取り戻した手を解放する。握るもののなくなった掌が寒く感じるが、それを感じまいとスコールは拳を作った。



(深い意味なんて、ない。風邪をひかないようにしただけだ。)



『先生』だからこその処置、そう反復して自分に言い聞かせた。



「気を付けて帰れ。もう面倒に巻き込むなよ。」
「ご、ごめんなさい。」
「鍵の担当には明日言っておくから。…じゃあな。」


しゅんとした様子を見せたリノアに胸がちくりと痛む。それを無視して彼女の肩にかけていたコートを受け取ると、教室に放っていた鞄と共に片手に持ち、スコールはそのまま佇むリノアを横切って教室から出ようとした。
が、その瞬間、固く握った拳が温もりに包まれた。



「待って。」



電気をつけていないままの教室。窓から入り込む、運動場を照らすための光が二つの影を作る。
手放したばかりの温もりは間違いなく彼女のもの。スコールは後ろを振り返ることができないままだったが、片目に僅かに映る繋がった影がそれを教えてくれた。
ごくり、と息をのむ音が聞こえる。それが彼女のものなのか、それともスコールのものなのか、麻痺した頭には判らない。






「わたし、先生のこと、…好き。好きです、先生。」








気づいていないふりは、もう出来ない。









END




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