Long | ナノ



怖かった。
近づきすぎて自分が傷つくことが。
だから近づいてきた奴を傷つけた。


俺は、逃げていたんだ。







宣戦布告







小鳥のさえずり、風の鳴く音、そんな晴れた朝の音でリノアは目を覚ました。
いつもはけたたましいアラーム音にも気付かず寝ているが、今日は違った。
気だるい体を起こすと、天井に向かって伸びをする。冬仕様のふわふわしたパジャマが少し暑く感じ、リノアは胸元のボタンを開けながら、片手をベッドサイドに置かれた時計に伸ばした。持ち主を起こすという毎朝恒例の仕事を果たさぬまま、時計はアラーム機能を解除された。
その横に並ぶのは、幼いリノアと、母親、父親が映った家族写真。幸せを象徴する四葉のクローバーがあしらわれたフレームがその写真を彩っている。



「おはよう、お母さん。」



日光のせいだろう、少しばかり色あせた写真は現実以上の月日の経過を感じさせる。写真の中の母親に向かってリノアは微笑むと、ベッドから抜け出そうと床に足をついた。



(…なんだかふわふわする。)



地面が揺れているような感覚。
壁に手をつくことでバランスを取り、カレンダーに目を移すと並んだ数字も揺れている。数ある数字の中から今日、12月22日の欄には「終業式★」という丸っこい字が綴ってあった。



―――そう。今日で、長かった2学期が終わるのだ。





***





一睡も、出来なかった。

うるさい電車の音、朝まで続いたらしい隣の部屋の宴会騒ぎ。そんな騒音なんかよりも、もっと耳障りな声がスコールの安眠の邪魔をした。
ベッドの中で、ただひたすら天井を見つめていた視界を一度閉ざす。



『言っただろう、俺はそういう色恋沙汰に興味はない。』
『勘違いしているだけさ。その内目を覚ます。』
『どうせ恋に恋しているだけだろ。』
『ガキのままごとに付き合わせるな。他を当たれよ。』
『俺みたいな優しくもないやつ、やめておけ。』
『後悔するのはあんただぞ。』



どれもスコール自身が吐いた言葉。



――昨日。
掴まれた手が急速に熱をもち、スコールの頭まで到達し、何も考えられなかった。自分でも驚くくらいに低い声で口を飛び出した辛辣な言葉たち。もはや言った順番なんて覚えてはいない。
リノアが口を挟む隙間さえ与えず、顔も見ないまま一方的に言い放ち、小さな手を乱暴に振り払ったスコール。



(…ガキじゃないか、俺。)



極めつけは、出入り口付近に居た彼女の肩を押しドアに叩きつけ、
『邪魔だ、どけ。俺に纏わりつくな。』
…確か、そう言った。

そこでようやく視界に捉えたリノアの顔。見開いた目は潤んでいて、体は震えていた。



(…くそ…っ。)



怯えさせたのは他でもない、自分。
心の中で悪態をついた瞬間、起床の時刻を知らせるアラーム音が鳴り響く。
スコールは上体を起こすと、むしゃくしゃする気持ちをそのままぶつけるように、時計を叩いて乱暴に止めた。
立ちあがり、今日の終業式で着るスーツを手に取りながら棚の上に伏せられた写真立てを一瞥する。…あの写真を見なくなって一体何年が経つのだろうか。

スコールは身支度をするべく、洗面所へと向かった。





***





「リノア…っ!」



掠れた視界に最初に映ったのは翡翠色だった。



「…セルフィ…?」
「んもーーっ!心配させんといてよっ!だから言ったやん!式には出んほうがいいって!」
「ごめんね。」



まくしたてるセルフィの言葉には、焦りのせいか母国語が入り乱れていた。怒っているのか泣いているのか分からない彼女に一言謝りながら、記憶を辿る。



(校長先生の話までは聞いたよね。)



確か、怪我をしないように、だとか、勉学も忘れず、遊びも頑張ってください、だとか。
そしてその話を聞きながら、隣に座っているセルフィの目が心配の色に染まっていて、リノアは不謹慎だと思いながらも少し嬉しくなったところまで覚えている。

その少しあと、どうやら倒れてしまったようだ。

視線だけを巡らせると、ここは、見慣れた保健室だった。
白い天井に白い壁、自分が横たわるこのベッドも真っ白。薬品っぽい匂いが僅かに香る。

しかし、そんなまっ白な世界の中に一人、浮いた存在を視界の端に捉えた。



「先生…。」
「………。」



終業式のためにいつもよりもかっちりとした服装に身を包んだスコールは、ベッドから妙に間をとった先の壁にもたれていた。黒いフォーマルスーツが、ただでさえスラリとした体型を余計に目立たせる。
何を言うでもなく、視線すらこちらに向けられてはいない。



「生徒同士のちょっとした喧嘩があってね〜、今カドワキ先生はその手当中!」


リノアの視線の先を理解したセルフィが口を開いた。
カドワキ先生、とはここの学校の保険医だ。



「ち、な、み、に。リノアのことは、レオンハートセンセがここまで運んできてくれたんだよ〜。」



つい先ほどまでの表情から打って変わり、セルフィの口元は少しにやついている。スコールには聞こえないよう、ひっそりと耳元で「良かったね」という言葉が追加された。



(…あ、そっか。わたし、まだセルフィに言ってない。告白、したこと。)



「……目を覚ましたなら、もう大丈夫だな。解熱剤も効いている頃だろ。ホームルームも終わったし、早く帰れ。カドワキ先生には伝えておくから。」



無言だったスコールがようやく口を開いたかと思えば、それは業務連絡まがいの言葉だった。そのまますぐに踵を返して帰ろうとしたその人に、リノアは昨日と同じ言葉を放つ。



「待って。」



スコールの足が止まる。
少し異様な空気を感じたのだろう、セルフィがスコールの背中とリノアの顔を交互に見ている。



「ごめん、セルフィ。先生とちょっとだけ、話したいの。」



一言そう伝えると、親友は何も聞かずに頷いて「終わったら連絡してね」とだけ残して去って行った。リノアの体調を考えて、一緒に帰るからどこかで待っている、ということなのだろう。
セルフィの気遣いに感謝すると同時に、帰り道に絶対に報告しよう、そう誓った。

あとに残るのは、スコールとリノア。二人の間に、いわゆる『気まずい』沈黙が流れる。
スコールはといえば、今は壁ではなく、ベッドの傍。去り際、セルフィによってその場所まで引きずられて今に至る。
リノアは今朝よりもずっと楽になった上半身を起こし、枕を背に寄り掛かった。



「まぁまぁ座ってくださいよ、スコール先生。」



おちゃらけた物言いでスコールの手を引っぱる。気まずい空気に合わないトーンに少し拍子抜けしたのか、スコールはそのまま大人しく腰掛けに座った。



「体は丈夫な方だと思ってたんだけどなぁ。」
「……。」
「あれくらいで風邪、ひいちゃうなんてね。」
「……。」



まずは余談、と話し始めたは良いものの、目の前の人はうんともすんとも言わない。リノアは頬を膨らませたい気持ちを押しとどめ、再び口を開いた。



「ねぇねぇ、先生。」
「…何だ。」
「スコール先生がここまで運んでくれたんだよね?」
「…………近くに居た男性教師が俺だっただけだ。」
「ん〜、そういうことにしておいてあげましょう!」
「……。」
「で、おんぶ?お姫様だっこ?どっち?」
「…は?」



想像の域を超えた質問だったのだろう。ようやくスコールは俯きぎみだった顔を上げ、こちらに視線を合わせてくれた。



(第一段階成功!)



全く目を合わせようとしない彼の視線をこちらに向ける、それはリノアにとってとても重要なミッションだった。
次は―――、



「だって気になるじゃない?わたし、想像しただけでドキドキしちゃうんだけど。」
「………。」
「重くなかったかな、っていう心配もあるけどね。」
「……帰る。」



話の内容に耐えられなくなったらしい。自分の胸に手を当て話していたリノアに盛大に溜め息をつきながら、スコールは呟いた。
ここで帰られては困る。話はまだまだこれからなのだ。
スコールを引き留めようと、リノアは身を乗り出した。



「あ、スコ…っ!?」
「…!」


―――どさっ。



ベッドの上にいたことも忘れ、咄嗟に腕を伸ばしたリノアは床へと転げ落ちた。はずだった。



「…本当にあんたと居るとろくなことがないな。」



だが実際にリノアが触れているのは冷たくて硬い床ではなかった。暖かくて柔らかい空間、背中に回された腕の感触に、スコールが自分を受け止めてくれたことを知る。

どくんどくん、と。今までにないくらい大きく打つ鼓動。
告白した時よりも、更に。

しかし、あっという間にスコールを下敷きにしていた細い体は、まるで猫を掴むかのように背中の襟を摘まれて引き剥がされた。そのまま彼自身も上体を起こす。
リノアの胸の内なんて無視するかのように早々と立ちあがろうとするスコールに、リノアはそれを阻止するべく、慌てて目の前の白いカッターシャツの襟を掴んで引き寄せた。
これが男女逆であれば、胸倉を掴んでいるこの状況はまるでカツアゲ中だ。



「…離せ。」
「やだ。」
「…離せ。」
「やだ。ちゃんと話聞いて。」



シャツが皺になろうが知ったことではない。
リノアはスコールの視界に自分しか映らないくらいに顔を寄せた。



「っ!わ、分かった、分かったから、もう少し離れろ。」



さすがのスコールもその距離には動揺したようで、リノアは少し力を緩めて顔を離した。それでも襟を掴んだままの為、まだ近いのに変わりはないが。



「勘違いしてるだけって言ったよね。先生のこと考えたら胸がぎゅ〜ってなるんだよ?それも知らないのに、そんな一言で片づけないで。」
「……。」
「他を当たれって言ったよね。残念ながら、スコール先生以外の人に対してそんな感情わきません。」
「……。」
「先生、優しくないって言ったよね。先生は知らないだけなんだよ、先生が優しいこと。わたし、いっぱい見てきた。昨日だって、今だって、助けてくれたでしょ?」
「……。」
「邪魔だからどけ、って言ったよね。でも、好きだからどきたくないよ。向き合ってくれるまで、わたし諦めるつもりなんか、ない。」



正直、自分が何を言っているか、よく分からなかった。
ただ、本当は優しい彼は、昨日の彼自身の発言に対して罪悪感や自己否定をしているのではと思うと、リノアは居ても立ってもいられなかった。だからその言葉を一つ一つ、スコールの代わりに取り消したい、第二のミッションとも言えるその想いを胸に、リノアは夢中で喋っていた。



「ちゃんとわたし自身を見て。それでもフラれた時はもちろん諦める。でもちゃんと向き合いもしないで諦めろなんて無理だよ。」



この人はきっと怖がっている、何かに怯えている。
昨日、灰色がかった青色の眼を見て、リノアはそう感じたのだ。だから、このまま諦めてはいけないと、そう強く思ったのだ。

喉が乾く。最後の方はもう、掠れていたかもしれない。



「スコール先生のこと、先生として好き、なんじゃない。」



未だスコールは沈黙を守ったまま。



「今、目の前に居る、スコール・レオンハートが好き。」



昨日よりも明るい場所で、昨日よりも近い場所で見る彼の瞳は、明らかに動揺の色を浮かべていた。



「だからわたしのことも、生徒としてじゃなくて、リノア・カーウェイとして見てほしい。」



そこでようやくリノアは一呼吸、間を置いた。
頭も顔も手も、どこもかしこも熱い。これが熱のせいなのか、一世一代の再告白による興奮からくるものなのかは分からない。だが、戸惑うスコールの瞳を見て、少なくとも自分の真剣な気持ちは伝わった気がして、リノアは目を細めて笑顔を見せた。



「そういうわけで、ねぇ、先生。これからも纏わりついていい?」
「……。」
「いい?」
「………勝手にしろ。」
「勝手にするー!」



半ば無理やりに導き出させた返答、なのかもしれない。それでも、精一杯の宣戦布告で手に入れたチャンスには変わりない。溜息をついて例の癖を発動させたスコールを見て、リノアは嬉しくて嬉しくて、沸き立つ気持ちを抑えることに必死だった。

と、その時。
冬休み突入によっていつもよりひと気なく静かだった保健室の外から、足音と声が聞こえてきた。リノアもスコールもハッとして、慌てて距離をとり立ち上がる。
少し足元がふらついたが、もう大丈夫そうだった。



「明後日、補講授業だよね。わたし、それまでに治して、絶対行くから。先生に会えるの、楽しみにしてるぞ?」



小声で話し、ちょっとおどけた様子で首を傾けた。リノアのアピールには何も返さず、ただ目をそらすスコール。これはきっと彼なりの照れ隠しなのだと思うことにする。

そんなスコールに、もう一言。
リノアよりも背の高い彼に少しでも近付けるように背伸びをすると、ひそひそと呟いた。



「―――――。」
「…………………お大事にな。」
「覚悟しててよねっ。」



にっこりとほほ笑むと、スコールは目だけじゃなく顔も逸らしてぶっきらぼうにそう言って去って行った。
リノアは校内のどこかで待っているであろう親友にメールを打ち、帰り道の報告内容を頭で考えながら乱れたベッドを整えた。








Declaration of war
(先生の降参宣言、待ってます。)




END



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