Long | ナノ



こんなに振り回されるのも。
こんなに惑わされるのも。



一体いつぶりだろうか。






ハート












「今度のテスト頑張るから。」

(…突然何を言い出すんだ、こいつは。)



それは11月も半ばに差し掛かった、ある日のこと。
スコールが授業中、上の空のリノアに注意をした日の放課後だった。
廊下は走るなとあれだけ色んな先生に言われているにも関わらず、何度だって懲りずに走ってくる彼女が、約半月ぶりに職員室のスコールの元に訪れた。



「わたし、頑張る。だから、100点取れたら褒めてください。」
「…また突拍子もない申し出だな。」



スコールの座席まで来たかと思えば、突然こんなことを言い始めたリノア。
正直、意味が分からなかった。その気持ちを隠すでもなく、スコールは眉を寄せ、座っていた回転式の椅子を回し彼女に向き合った。



(学生だ、学業をするのは当たり前。それを…出来たら褒めてだと?何で俺にそんなことを要求するんだ。)

「うん、って言ってくれたら頑張れるから、わたし。良いでしょ?スコール先生。」



ふいに呼ばれた名前に、どくん、と心臓が大きく跳ねた。彼女はスコールをファーストネームで呼んだことがなかったはず。それなのに、何故こんなにも突然。



(…久しぶりに来たかと思えば何なんだ。)

「先生…?」
「…ま、そうだな。気が向いたらな。」



続く沈黙に首を傾げたリノアから、スコールは動揺を隠すように目をそらして素っ気なく答えた。
わからないことだらけだった。彼女ではなく、机の書類に目を落とすことで乱された思考を一度中断させる。



「うん!…ねぇ、スコール先生。また、質問しに来ていいですか?」



そんな様子をさして気にする様子もなく、視界の端に映る少女は少し手をもじもじとさせながら言う。



「…勝手にしろ。」



投げやりな言葉にも嬉しそうに「はーい」と答えたリノア。顔を見ずとも、はじけるような笑顔でそう言っていることがスコールには容易に想像できた。










***










開始の合図とともに一斉にプリントをひっくり返す音が聞こえる。
テストが、そしてリノアにとっての勝負が始まった。



―――先生のこと、あきらめない。



そう決めたあの日、早速リノアは放課後、スコールに会いに行った。そして「テストで100点取れたら褒めて」と、そう言った。
取れたら告白しようとリノアが思っているなんて、きっとスコールは思ってもみないだろう。

スコールは訝しげにしていたが、それでも否定の言葉は使わなかった。「気が向いたら」と言ってくれた。



(だからわたし、頑張るの。苦手な数学だけど、頑張る。)



不純な動機だと言う人もいるかもしれないが、知ったことではない。
大好きな人を想うことが理由になったって良いじゃないか、そう思っていた。



その日から、リノアはまたスコールのもとへ通うようになった。もちろん勉強を教えてもらうために。約2週間分の授業が全く頭に入っていなかったため、リノアにとってそれを取り戻すことは生易しいことではなかった。
何とか授業に追いついたところで、テスト前1週間はスコール断ちを決め、自宅で復習に明け暮れた。
そして頑張る宣言からおよそ1か月後の今日がその力試しの日。
リノアはペンを走らせる。



(―――解る。これも解る。)



この1か月の勉強漬けの日々は決して無駄ではなかったと、勝手に動く右手が教えてくれる。
そして、テスト終了まで残り10分という時間を残して、リノアはペンを置いた。
3回、いや、4回は見直した。手応えはあるか、と聞かれれば全力でイエスと答えるだろう。周りがまだペンの音を響かせる中、リノアは本当に100点いけるのではと、そんなリアルな期待を抱いてこっそりと微笑んだ。

回答欄が埋められたプリントを裏返す。
テスト開始時には真っ白だった裏面には、ぎっしりと計算式が並んでいる。消そうかとも思ったが、これはこれで頑張った跡だし、と手に取った消しゴムを筆箱に戻した。
その代わりにもう一度ペンを握りなおす。



(褒めてもらえたらね、きっと勇気が出るから言える。好きですって。…びっくりするかな?それとも言われ慣れてる?)



裏返したままのプリントの右下に、自分の想いを4文字で綴る。



頑張ろうと決めたあの日、リノアは初めて先生のことを名前で呼んだ。
「レオンハート先生」ではなく「スコール先生」と。
気づいてくれたかは分からない。スコールはすぐに目を逸らしてしまったから。あるいはリノアの言葉のあとの沈黙を考えると、不快感を示していた可能性もなくはない。
けれど後悔はしていない。これを機に少しでも自分のことを意識してくれればいい、そう思っていた。



だ い す き



丸っこいリノアの癖字。
殴り書きされた沢山の数字の中で、唯一の文字がその存在を主張している。
ああもう、いっそのことプリントに想いを書いたまま回収してもらおうか。溢れそうな気持ちから、そんなことも考えたが。
やっぱり直接言いたい、と思い直す。
でも書いてしまったからには、なんだか消しゴムで消すには気が引けた。自分の想いまで消してしまうようで。
だからリノアは書き足した。自分の気持ちにほんの少し気づいてほしい、と期待を込めて。





テスト終了を告げるチャイムと共に、解答用紙を後ろの人から前の人へと渡す。リノアの想いが詰まった一枚もまた、他の生徒のプリントに重なって運ばれていく。
―――そしてそれは、スコールの手元に収まった。










***










正解、不正解、不正解、正解・・・

夕方、というより夜といえるその時間に、スコールは職員室で単調な作業を繰り返していた。

不正解、不正解、不正解、正解・・・

流れ作業のように、淡々と、赤い線をプリントに滑らせていく。生徒たちの出来不出来を識別するための記号のようなものを、今日一日で一体何度記しただろうか。
スコールは休憩がてら赤ペンを置き、硬くなった体を伸ばした。
ふと外に通じる窓へと視線を向けると、既に他の校舎は明かりが消えている。職員室にも片手で足りるくらいの人数が残っているだけだ。

明日にはテストを生徒たちへ返さなければならないとはいえ、スコールも本当ならばもうとっくの昔に終わらせているはずだったのだ。
…校長が突然雑用を押しつけてきたりさえしなければ。


―――校長、シド・クレイマーは本当につかみどころのない人物だった。
いつもにこやかではあるが、それが逆に周りに裏を探らせないというか。ふわふわとしていて、一体何を考えているのか、その真意を知るものは彼の妻のみ、だそうだ。が、その妻の姿を見た者は居ないらしい。
こうして、どこか人を茶化すような雰囲気の人柄から、一部の生徒や先生に狸校長などと呼ばれているのだ。



スコールは随分長い間使い続けている愛用の黒いマグカップを手に取り、口をつけた。
煎れたての熱いコーヒーが口内に広がる。寒い日に飲むそれは体を内側からじんわりと温めてくれた。
カップを元あった場所へと置きなおし、残りの回答用紙の枚数を数える。
多分あと10分もかからず終わるだろう。
おおよその目安を立てると、再びペンを握りなおして採点作業を再開させた。



1枚、2枚、と先に進むと、最後の一枚になったところで、手を止めた。回答用紙の名前欄には見慣れた字体が並ぶ。

―――リノア・カーウェイ。

教室の窓際の列の一番うしろがリノアの席。だからプリントも一番最後なのだろう。
そんなことをぼんやりと考えつつ、ひと月ほど前聞いた彼女の発言を思い出す。



『わたし、頑張る。だから、100点取れたら褒めてください。』



ひと月経った今でも、彼女の言動は謎のままだった。親にでも褒めてもらえよ、と言うつもりだったのに、気づけば『気が向いたら』なんて曖昧な答えを出したあの時の自分自身もまた謎だった。

最後の一枚だからか、はたまた彼女の回答用紙だからか、今までの流れ作業とは違い、どこかゆっくりと丁寧に模範解答と照らし合わせていく。

最後の一問まで赤ペンを入れ終わったところで、僅かに口角を引きあげた。



(あいつらしいというか、なんというか、な。)



回答欄外には何度も計算した跡が残っていた。あんなにも苦手だった数学を本当に頑張っていたことが窺える。
何気なくプリントを裏返してみると、そこにもぎっしりと数字が並ぶ。いつもの子供っぽい字とは違い、走り書きのせいか少し大人びた字。

しかしそんな中に混じっていた、明らかに他の数字とは違うものにスコールは目をとめた。

プリントの右下。そこには、鉛筆で塗りつぶされたハートマークが四つ並んでいた。



(ったく。こんなの書いてる暇があったら、もっと解答の確認しろよ。)



考えに反して口元は緩んだまま、何気なくそのハートを指でなぞる。



「珍しいですね、レオンハート先生。何か面白いことでも?」



突然耳に入った凛とした声にスコールはハッとして顔を上げる。
その声は、スコールが座っている席の真向かいに机を構える女性のものだった。
艶のある長いブロンドをうしろでひとくくりにしている彼女―――キスティス・トゥリープは学校内でも男女問わず人気の、いわゆる美人教師。国語を担当している彼女はリノアのクラスの担任でもあった。
容姿端麗、運動神経も良く、頭も良い、そんな彼女に憧れる生徒は多く、ファンクラブまで存在しているという噂を聞いたこともある。



「…珍しい、というと?」
「貴方が赴任してきてから、笑顔なんて見たことなかったから。」



(…笑顔?俺が?)



「無意識、かしら。」



怪訝な顔をしたスコールに、キスティスは「そんなに怖い顔しないで」と困ったように笑っていた。



「…いや、生徒のテストの回答が少し面白かったもので。」
「あら、……ほんとね。時々あるのよね。」



スコールは思いがけない第三者の介入に戸惑いながらも、僅かに話を逸らすように言葉を選ぶ。裏面のハートマークを見せないよう、表の回答欄だけを指し示すと、キスティスは質の良さそうなコートを羽織りながら同意を示す相槌を打った。



「それじゃあ、私は一足お先に失礼するわね。また明日。」



上品な笑みを浮かべ、軽い会釈と共に挨拶を述べて職員室を出て行くキスティス。その後ろ姿を見送ると、スコールはゆっくりと息を吐き出した。



「……。」




スコールは今まで採点してきたプリントとリノアのプリントを纏め、端を揃えると、ファイルにしまい込む。何気なく廊下側の窓に映る自身を見てみたが、その顔は笑顔なんて程遠い仏頂面だった。



『無意識、かしら。』



笑顔のつもりなんてなかった。
普段人の気配に敏感なスコールが、すぐ近くでこちらに目を向けられていたことに気付かなかったこと。
単なる生徒の落書きを見られまいと隠してしまったこと。
自分らしくない自分の行動、それらがスコールを混乱させていた。

立ちあがって、残っていたコーヒーを一気に飲みほす。洗うのは明日で良いかと考えながらコートと鞄を片手に持つと、スコールは職員室を出て行った。





まるで何かから逃げるように。
まるで怯えた子供のように。

スコールが歩むスピードを緩めることはなかった。












my heart
(そんな「俺」、俺は知らない)




END



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